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社交辞令のスキがいくらついても価値はない


noteには、本心とは関係なくスキを押す人が少なくない。

それは返報性の原理を利用して自分の記事を読んでもらうためだったり、スキをもらった相手への社交辞令的なお返しだったりする。

つまり記事自体の評価とは無関係なのだ。

だがこうしたスキの使い方を一概に悪いとも言い切れない。


現実の人間関係に置き換えると分かりやすいだろう。

自分から声をかけなければなかなか友人はできないし、嬉しいことをしてもらえば何かこちらも返したくなる。

友人を増やすことは別に悪いことじゃないし、お返しをするのも悪いことじゃない。


同様に、自分からスキを押さなければ記事が他人の目に触れる機会はなかなかないし、スキをもらえばこちらも返したくなる。

自分の文章をなるべく多く読まれたいのは自然だし、相手にとってもスキの増加により別の読者の目に触れる機会が増えるのは悪いことではない。

(あからさまな"営業スキ"には確かに不愉快さを感じるが……)


ピエロ時代


正直に告白すると――今となっては黒歴史なのだが――僕もかつてTwitterを始めたばかりの頃は頻繁に「いいね」を押していた。

そしてその動機には、フォロワーを増やしたいという下心や、もらったからこちらも返さねばという義理的なものも決して少なくなかった。

(ツイートの中身を一切読まずに押していたワケではなく、一応ちゃんと読んで多少なりとも良いと思えるものに押すようにはしていたが……)


しかしこうしたスキ(いいね)の使い方には大きな副作用がある。

どれが本心からのスキなのか、判別がつかなくなってしまうのだ。

ちょうどお世辞ばかり使う人の言葉が、どこまで本音なのか分からなくなってしまうのと変わらない。

自分から誰かに送る場合も、逆に誰かから受け取る場合もそうだ。

言い換えるなら「スキ」が腐ってしまうのである。


今はもうTwitterをやっていないが、当時のフォロワー数は確か1,000人を超えていた。

だがその中に本当のファンはおそらく5人もいなかっただろう。

当時の僕は、数字ばかり膨れ上がった軽薄なピエロだった。

称賛されるのが当然ではないところで称賛を望んだり受け入れたりさえすることは、もっとも軽蔑に値する虚栄心だけが可能にする結果であろう。

アダム・スミス『道徳感情論』高哲男訳、講談社


格率


かつての過ちを反省した今、このnoteではフォローもスキも一切押さないと決めている。

たとえ本心から良いと思った記事であってもスキを押さない。


「良いと思ったなら別に押してもいいんじゃないの?」

と感じるかもしれない。

だが一度でもスキをつけると、それ以降その相手から自分の記事につけられるスキが社交辞令である可能性を排除できなくなってしまうのだ。

(むろん無作為につけられる"営業スキ"であればいつでも判別できるが……)


なんて自分勝手な男だろう。

自分はスキを押してもらいたいにもかかわらず、他人には一切同じことをやらない。

ギブ&テイクではなくテイク&テイク。

まさにジコチューの極みだ。


葛藤


はたして今のやり方は正しいのか?

正直わからない。

どちらかと言えば間違っているような気がする。

少なくとも読者の数を増やすという観点からすれば明らかに間違いだ。

この方針にこだわらなければ、おそらく今よりはるかにフォロワーの数は多かっただろう。


自分だけスキを押してもらい、他人には押さない。

これには少なからぬ罪悪感もある。

先日とあるフォロワーの方に僕のnoteを絶賛され、あまりに嬉しい内容だったことから初めてスキを押した。

だがそれ以外には一度もnoteでスキを押したことがない。


もちろん本心からスキを押したくなった相手はそれ以外にも数人存在する。

しかし先に語った理由から、自分の格率をつねに優先してきた。

初めてのスキは12日前だ


スキは僕にとって非常に重要なものである。

その多寡により執筆のモチベーションが決まると言っても過言ではない。

少なければひどく落ち込み、多ければしばらくのあいだ幸せな気分が続く。

それは程度の差こそあれ他の人も同じだと思うので、本来であれば僕も積極的にスキを押したほうがいい。


だがそれ以上に僕はスキのお中元化を避けたい。

ピエロ時代の反動なのか、本心からのスキだけを受け取りたいという思いが異様なほど強くなってしまったのだ。

結果おそらく損していることのほうが圧倒的に多い。

その代わり、社交辞令のスキを排除するという目的はおおむね成功しているだろう。


もちろん受け取ってばかりでは良くないのも分かっている。

スキ以外のやり方で恩を返す方法はひとつしかない。

読んで良かったと思われる記事を、ひたすら書き続けることだけだ。

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