新作歌舞伎 刀剣乱舞『月刀剣縁桐』感想 人と刀が繋ぐ未来
2023/7/27(木) 新作歌舞伎 刀剣乱舞『月刀剣縁桐』が千穐楽を迎えた。このひと月の祝祭のような賑々しい日々を忘れぬよう、舞台を創り上げた全ての方への感謝を込めて。
(※以下、ゆるゆるオタク長文感想なので色々とご容赦ください)
歌舞伎×刀剣乱舞
名のある人も、名もなき人も、想いを一心に伝えてきた、歌舞伎と刀剣文化の邂逅地点
今作では、刀剣乱舞と歌舞伎がごく自然に世界観を共有し、歌舞伎の時代物の物語にしっかと刀剣男士たちが顕現していた。筋立や演出の巧みさもあるが何より今作の世界観を揺るがぬものとしたのは、《伝統の継承》という両コンテンツの共通した基本姿勢があるように思う。
刀剣乱舞ONLINEの登場以降、刀剣文化への関心が高まっているのはご周知の通り。今作はその刀剣乱舞の大いなる力をお借りして、歌舞伎の魅力を新たな層に伝える、大事な挑戦だった。刀ミュでは花組芝居(歌舞伎)、刀ステでは講談、古典芸能とのミクスチャーが評判だったからこそ、既存の高クオリティのメディアミックスを楽しんでる方々にどれほど受け入れられるのだろう、という不安が大きかったが、それも全く杞憂にすぎなかった。初日、三日月宗近と義輝の帰結を見届けた観客からの熱い拍手が忘れられない。
よいもの・好きなもの・美しいもの・大切なものが後世に残ってほしい、と願う人が集まっているのが刀剣乱舞と歌舞伎の周辺地帯だとするなら、響き合うものがあるのはごく自然なことかもしれない。とうかぶのここが好き!という感想、そのひとつひとつに、今回の挑戦の成功と、歌舞伎の未来へ芽吹いたばかりの希望がある。
ご出演の役者さんの境遇にあれこれ言及するのは控えるけれど、初めから全てを潤沢に与えられたわけではなく、自らの力で未来を切り拓かんとする方ばかりだ。それぞれの立場で必死に歌舞伎に向き合っている。人生をかけて。刀剣男士たちが歴史を守る使命や刀剣文化の継承を語るとき、同時に歌舞伎への想いも滾っている。その熱さ、強さは、きっと初めて歌舞伎をご覧になった方にもしっかり伝わったのではないだろうか。
歌舞伎も刀剣も、人々の想いが連綿とつながって今日まで受け継がれてきたことは紛れもない。今作で、名のある人と共に、名もなき人への言及がなされるのは、幾星霜を超えて文化を繋いできた全ての人々への敬意がきっとある。膝丸と同田貫正国の去り際の台詞に、刀剣乱舞と歌舞伎の邂逅地点からの、過去と未来に向けた言祝ぎが詰まっている。
若い観客と若い役者、若者にこそ古典を
今作では、新作だからと分かり易く難易度を下げるのではなく、あえて古典の演出をストレートに見せていたのも挑戦的だった。開幕から小鍛冶(三日月宗近ver.)か!の驚きから、三日月宗近の『よきかな、よきかな』という声が響いた瞬間の高揚感。全編を通して、刀剣乱舞のファンにならきっと分かってもらえる、という信頼に基づいた挑戦だったと思う。
また、若手の役者が今できる本気の古典をやる!という心意気が随所に見えた。古典が大好き、古典がやりたい、と語る若手の役者さんは多いが、なかなか機会がめぐってこない現状がある中で、新作の枠組みの中でたっぷりと古典の風格がある場面を創った松也さんはやはり凄い。
特に三幕「石清水八幡宮神苑の場」「五條大宮松永弾正館の場」などの人間たちが主軸となる場面はより一段と強固な古典の枠組みでなされる芝居の趣があった。とても歌舞伎らしい旨みが詰まって最高だけど、刀剣男士があまり絡まないのチャレンジングすぎやしないか……という不安など意にも介さず、客席の集中力はますます研ぎ澄まされるようで、この深い受容の姿勢がどんなに役者さんの挑戦を支えただろう。
また、梅玉さんをはじめとする大ベテランの方々が、がっぷりよつで若手の芝居に付き合ったことに大きな意味があったと思う。例えば、それこそ通常の歌舞伎公演で、梅玉さんと歌女之丞さんの中に入って鷹之資さんが芝居の芯を取るということはまだまだ考えにくい。若手の芝居をそばで静かに支えるベテランの皆様の品格にも、深く胸を打たれた公演だった。
本物の、古典たり得る真の藝が、一朝一夕で出来上がるとは思わない。もちろん観客側もすぐに全てを理解出来るようになるわけじゃない。何年、何十年と鍛錬を重ねて、ようやく藝の真理を掴み取れるかどうか、というものだと思う。それでもその遥かな境地へ共に行こう、と差し伸べられた手はしっかと握り返されたはず。
脚本・演出・音楽・美術
演出:尾上菊之丞・尾上松也
企画・初演出・主演を務められた松也さん。約3年前のコロナ禍真っ只中にスタートした今企画は、ここに至るまで観客に推し量れない困難も山のようにあっただろうと思う。すべては各所と調整しやり遂げた松也さんの胆力、実現力あればこそ。心からの感謝と賛辞を。
そして、松也さんをサポートされた菊之丞先生の頼もしさ。演出はもちろん今作は振付が秀逸で、特に刀剣男士の特性をとらえた花の宴の舞はもっと長尺で見たい!一幕の舞踊に!と思わずにいられなかった。
最近のコラボ系の新作では、というよりストーリーのあるコンテンツはどうしても相手先の物語を歌舞伎の趣向を凝らして見せます、という形になりがち。今作では、刀剣乱舞ONLINEの〈それぞれの本丸〉制度の自由度もあって、歌舞伎の時代物の世界に刀剣男士を喚ぶ形になっていた。刀剣男士というスターシステムを頼りに、どの時代にも彼らを出陣させることができるかもしれない、というのはますます夢が膨らむ。
また、事前にファンが予想した演出は、どちらかといえばケレン味(毛振りや本水、番傘での名乗り等)が強いものだったように思う。ところが意外にも、たっぷりの義太夫の場面や、辛抱立役から赤姫の所作事やクドキなど、歌舞伎の滋味深い美味しさが詰まっており、歌舞伎ファンにも嬉しい演出だった。照明の色彩や花の降る量、全体を通して過剰すぎない上品な塩梅が美感を漂わせる三日月宗近の物語にぴったりの演出だった。
脚本:松岡 亮
今作は脚本も楽しみだった。《超歌舞伎》でも二次元コンテンツとのコラボ実績があり、コラボ先の特性を上手く脚本に落とし込む松岡先生が、刀剣乱舞という最高の題材をどう仕立てるのか期待するのは当然というもの。実際、物語の筋としてはシンプルで、だからこそキャストの技量と美しい演出を存分に味わえる仕上がりであった。
三日月と永禄の変、と発表されてそこ行くか〜!と思った刀剣乱舞ファンも多かったと思う。既存メディアミックスの舞台刀剣乱舞シリーズの『悲伝 結いの目の不如帰』で同じ時代を扱っており、さらに言えばそちらでかなり重要な位置を占める作品となっているからだ。
ただやはり同じ時代を扱っても味わいは異なる。三日月宗近と元主足利義輝の関係を主軸に、あったようでなかった、ひと振りの刀として葛藤する三日月宗近像を真正面から描く清々しさがあり、そこに加えて刀剣男士のキャラクター・人間模様・歌舞伎のお約束をスムースに織り込む脚本だった。さらに贅沢を言うなら、異界の翁・媼の掘り下げや、時間遡行軍によるタイムパラドックス的な危機がもう少々描かれても良かったり…と思いつつ、その辺りは次作に期待ということで。
音楽:
幕開き、女声で『浮き立つ雲の行方をや』と聞こえた瞬間の鳥肌が立つような衝撃。女の声で語られる土蜘蛛から始まるのか、という驚きから、三味線や鳴物に長唄といったなじみ深い音色と、箏をはじめとした邦楽器の音色が混じり合った、何とも新鮮な味わいだった。涼やかできらきらしい印象がやはり三日月宗近とも重なる。
なんといっても終盤の琵琶語り。《みんな大好き大薩摩》……と言われているかは定かではないが、歌舞伎ファンとしては結構あの椅子が出てくるとテンションが上がるもので、今回もおっ大薩摩か!とわくわくしたところにおひとりで登場した長須さん。薩摩琵琶の力強い音色と長須さんの鬼気迫る語りによって、客席の集中力が極限にまで高められていくのがゾクゾクした。
(榎本さんver.も拝見したかった……!)
そして義輝と三日月の一騎打ち。胸が締め付けられる悲痛なまでに美しい箏の音色、静寂、そしてまた溢れ出す音。一生忘れられない音楽。
美術:
今回感動したのは庭のセット。盆がまわって二條の庭をぐるりと見せる演出も素敵だったし、そこに吹く風や木々のざわめきまで聞こえてきそうな繊細で美しい美術だった。
また、印象的だったのは弾正館の調度。梅玉さん演じる松永弾正久秀の品のある人となりが現れていて、そこに集まる柵・久直を含めた善なる家族のあり方をも包み込んでいた。
そしてもはや主役と言っても過言ではない刀剣とその拵え。細部もっと見せてほしい!とあれほど願ったことはないかもしれない。三日月と義輝の立ち回りで、義輝が月影に翳した刀にぶわわっとうちのけが見えたような気がしたが…果たして……
物語の最後、月の下に六振りの刀剣のみが残る、あの潔い締めは刀剣乱舞だからこそ。千穐楽の芝居がはねた後、新橋演舞場の外に留まった藤浪小道具のトラックを胸の中で拝んだ。またいつか刀剣男士たちに会えますように。
キャスト
三日月宗近:尾上松也
松也さんのニン的にあまり想像できないかも…?と思っていたが、美しくてうぶで優しい歌舞伎本丸の三日月宗近であった。花道七三でくるりと回ってなびいた衣装と長髪も麗しく。部隊のまとめ役としての頼もしさと、思わず漏れる心の柔らかい部分、義輝との最後の立ち回りでは三日月宗近の哀しさと愛情深さの由縁をたっぷり魅せてもらった。背景美術の温もりある色合いのまどかな三日月がよく似合う三日月宗近である。
足利将軍家の武器として戦乱を巻き起こした足利への民草からの報いという〈公の責任〉を認識しながら、よく背負われましたと語りかける愛刀としての〈私的な労り〉に、役目を果たさねばならない刀剣男士としての使命、その全てが綯交ぜになった三日月宗近の心の流露。良い芝居だなぁ……
弾正や久直には歴史を守るために未来から来たことを明かしつつ、最後まで義輝様には自分から正体を告げられなかった胸の内が切なかった。そうしてようやく全てに気付いた義輝様に、抱き寄せられた時の揺れ動く心がそのまま溢れ出すような表情に、かつてそうして懐にあった時と同じぬくもりに縋るような様子。
滝上に残った唯一振りに降る桜、そしてスポットライトが交差し、月影を浴びて佇む三日月宗近の美しさは忘れがたい。
足利義輝/小狐丸:尾上右近
今作の出来は足利義輝にかかっていたと思う。三日月宗近と義輝の物語をと強く願った松也さんからの信頼に素晴らしい形で応えた右近さん、まつけんコンビ最高である。
鷹狩り(鶴狩り……)の紅白片身替りのお衣装は二面性の象徴であろうか、本心と乱心の狭間に揺れながら三日月宗近を求める切実さが切なかった。立ち回りの終盤、眼前の三日月宗近の刀と自ら手にする刀を見比べた義輝の驚愕から、全て気付いた後の三日月宗近への愛情に満ちた抱擁、すべてを抱えて行くまでの細やかで熱情溢れるお芝居、素晴らしかった。
ちなみに雲居姫を〈見目良き〉と評しつつ、三日月宗近と眺める三日月のことを《見目麗しき》と語る義輝様、かわいいね。
二役の小狐丸もキャラクターの大きさや三日月宗近との丁々発止、気心の知れた三条の関係性がはっきり見えて良かった。影に日向に、松也さんを支えられたのであろう、というカーテンコールのサプライズからのハグ、ほっとゆるんだ松也さんの表情含めて、本当に良きコンビ。
松永久直/同田貫正国:中村鷹之資
今作の二役で大収穫だったのは鷹之資さんではなかろうか。踊りの巧さは折紙付きであるが声もよくここまで芝居もできる、末恐ろしいとは正に、である。歌舞伎に馴染みそうな刀に割って入る同田貫、という期待を大きく超えて、初日に同田貫が名乗った瞬間のざわめき、ひとさし舞った後のどよめきの拍手、筋書きのインタビューでご本人が語った《刀は強いかどうか 役者は舞台でどうか》の答えは客席の反応からも明らかであった。
同田貫正国に加え、二役の松永久直は颯爽とした花道の登場から一瞬で目が離せなくなった。身体動作の制御ができるというのは単に踊りの巧さに繋がるだけではなく芝居で役の心を表現するのにも大きな意味を持つのだな、と気づかされた。果心居士と雲居姫に対して何度もグッと堪える場面、父を謀反に向かわせることへの葛藤、そして割られた額から流れる血汐を目にして思い入れ、ゆくべき道を定めた瞬間、全ての心の動きが鮮やかに繊細に表現されている。
そして何と言っても弾正館。大ベテラン梅玉さん歌女之丞さんの胸を借りながら義太夫狂言の確かな芯となった。一命を賭してでもやらなければならないことを成し遂げる覚悟と、"はわさま"と甘える純真さ、この若者がどれだけ愛しく誇らしい子であったかがありありと伝わって、謀反の道を進む弾正の決意への確かな根拠となる。
真面目さ実直さにチラリとのぞく愛嬌、という鷹之資さんご本人の美徳が、折れず曲がらずの同田貫正国にも久直にも、本当によく似合っていた。この先この役者さんはいったいどこまで行くのだろう、楽しみで仕方がない。
義輝妹紅梅姫/髭切:中村莟玉
可愛さとは技術である。技術を裏打ちするのは鍛錬と折れぬ心である。筋書きのインタビューで紅梅姫は赤姫という歌舞伎ジャンルのプレゼン、と語るクレバーさが頼もしく、なかなか取り扱いの難しい刀剣男士への恋というものを所作事で美しく提示していただいた。ありがたい。
兄思いの優しい心根と、周りを気遣う聡さ、三日月への想い、いじらしい心が見えるお芝居にほろりとする。観客には見えないものを見せ、そこにはないものを信じさせるのがお芝居だと言う。三日月宗近の瞳に魅入られるように引き寄せられる紅梅姫に、我々も彼の瞳の中の三日月をありありと思い浮かべる。色づく前の青紅葉を手に、花が咲き三日月の照らす美しい二條の奥庭から去った姫は、あの後どうなったのであろう。
二役の髭切も、羽織の紋を撫でたり小石を蹴ったり桜を見上げたり、悪気はないがつれない弟への態度や声音、とらえどころのない髭切がピッタリだと思わせる居ずまいも、きっとひとつひとつが髭切のキャラクターを考え抜かれてのもの。歌舞伎家話で語られた可愛いという評価への葛藤も、ああなんて信頼すべき役者なのだろう。可愛いという見た目の強さに胡座をかくことなく、さらにさらに精進しようとする心映えが、何より素敵に思う。
梅玉お父様からのいい子いい子も、きっとファンが喜ぶと分かっている視野の広さによるファンサービスの側面も大いにあるだろう。それでもこの先の莟玉さんを支える温かい想い出になるといいな、と願う。舞台本編で静かに確かに役目を果たされて、カーテンコールでひかえめに微笑まれる御一門の皆さんの居ずまいも何とも上品だった。高砂屋万歳。
膝丸:上村吉太朗
こちらもまた今作大収穫のおひとり。漲る心そのままに、板の上で膝丸という役をめいっぱい存分に演じる姿がなんとも快かった。新作で、この世界で初めて自分ひとりに与えられるお役、というのはどれほど愛おしいものなのだろうか。
名乗りから髭切膝丸の上下一対のポーズ、曽我物からの引用、二人注進、二振りの真剣必殺、源氏兄弟の二振りでひとつを表す表現は様々で、こなす要素も多かったろうと思われるけれど、全部生き生きと表現されているのは見ていて気持ちが良い。対兄者への甘えたな可愛らしさも、意外と気の合いそうな同田貫との悪童っぷりも、随所に芝居心が垣間見える。膝丸の舞、扇を持って上半身をひねってきまるところが何とも粋……!
また、SNSでの広報活動も素晴らしかった。何が素晴らしかったって、最後まで真摯にファンに向き合い続けたこと。異なる文化の交流には色々と難しい側面もたくさんあった。初日幕が開くまでの戦々恐々とした雰囲気、正直幕が開いてからも千穐楽まで色々あった。SNSというダイレクトな手段だからこそ気軽にコミュニケーションが取れる利点がある反面、恐ろしいスピードで恐ろしい数の言葉が飛び交う。そこに矢面に立って、最後まで歌舞伎と刀剣乱舞の架け橋となった姿勢は本当に立派だった。兄弟子の折乃助さんとともに、客席のファンの雰囲気を作ったキーマンである。お師匠、吉弥さんがお二人の活躍を喜んでいらっしゃるのも本当に良かった。
とても好きな、京博の末兼先生の髭切・膝丸評を引用する。吉太朗さんも歌舞伎を一身に背負うにふさわしい器を持った役者さんだと思う。これからのご活躍をますます楽しみに。美吉屋万歳。
小烏丸:河合雪之丞
父のような母のような父。小烏丸の両性具有的な神秘性が、雪之丞さんの女方にぴったりだった。小烏丸の存在がどの場面でも少しも揺らがないことで、板の上に立つ刀剣男士たちの説得力が増していたように思う。三日月宗近をそっと支え励ます古刀としての深みと、同田貫や膝丸とじゃれるようなお茶目さ、そのどちらもが小烏丸であると納得できるのがまた凄い。ゆったりとした舞ぶりの優雅さも流石だった。すべてが美しい。
キャラクターとしては、祓いたまえ清めたまえ、を小烏丸が…!という驚きもありつつ、紅葉狩での活躍を鑑みれば、歌舞伎本丸の小烏丸は確かに言うだろうな……の納得感もあり、歌舞伎ならではの味が出た一振りだった気がする。近年、何度か紅葉狩を見たけれど、雪之丞さんの小烏丸は玉三郎さんの紅葉狩に出てそうな峻厳さもあるなぁ。
歌舞伎家話で後輩たちの話をゆったりと優しく聞いているご様子からも、芝居の外でも若手のメンバーを支えていらっしゃるのだろうな、というのが伝わってきたし、松也さんが雪之丞さんに小烏丸を、とキャスティングしたのも頷ける。刀剣男士メンバーの中でもベテランだが、ご本人の頼りたくなる柔らかい雰囲気や、舞台上での瑞々しさ、歌舞伎本丸の小烏丸が雪之丞さんだったからこそ成り立ったものがたくさんある。
現在、歌舞伎と新派の垣根を超えてご活躍される裏にも、きっとたくさんの困難を乗り越えてきた経験があって、あの優雅で揺るがぬ美しさが確立されているのだろう。
異界の翁:澤村國矢
流石の存在感で、特に足利御所御座の場で久直と相対する果心居士の慇懃無礼さに、う、巧~!と痺れた。言ってしまえば敵方の象徴だが、そこに権威や武力への名もなき民草の復讐が込められているのがとても現代的。(今年の映画刀剣乱舞もそうだった)
石清水八幡宮の場で宮司春清への態度がとても気になる。お前たちだって権威や救済の有難い力を自負する癖に、いったい民草に何をしてくれた(何もしてくれなかったじゃないか)というような態度にも取れた。翁たちの書き込み、もっと欲しい……!と思いながら観ていた。
ますますのご活躍をお祈りしつつ、今年の超歌舞伎も楽しみに。(リミテッドありますように…!)
異界の嫗:市川蔦之助
カッコイイ女が出てくる歌舞伎はいい……!初め、色仕掛けで義輝を惑わす位置づけで女が出てくると分かったときは、今作でも歌舞伎のジェンダー感のキツさは取り払えなかったのか……と不安になったのだが、蔦之助さんの女方がまとう人間としての強さが、単なる客体化された女という位置づけになるのを毅然と撥ね退けていたように思う。すきっと粋な声であの時間遡行軍を従わせる姐さん最高。雲居姫が久直を扇で打ち打擲する時、だんだんと本性が露わになるところが本当に巧み。そういえば、終盤で戻った嫗の姿に雰囲気が弛むこともあったのだが、くすりともしないルッキズムに毒されていない若い観客の雰囲気も印象的だった。
山口左司馬:大谷龍生
龍生さんも日々格闘していらしたなぁ。子役時代から大きな舞台に出るのが久しぶり、という状況で、ひと月お役を務めながら少し上の世代の先輩が奮闘する姿を見るのはとても良い刺激になったのではなかろうかと思う。
弾正奥方柵:中村歌女之丞
弾正館の場面は、歌女之丞さんの柵あってのものだった。武家の父と息子、主従といった前時代的強固な家父長性の関係性の外から、逆縁の悲劇を嘆く柵がいることで、時代性を超えた普遍的な人間の悲しみが立ち現れる。鷹之資さんの熱演を受けて、歌女之丞さんのお芝居もどんどん熱を帯びていったのがまた良かった。愁嘆の様式を超えて久直の掌に重ねられた柵の掌、衝立の影の久直に手を合わせる姿、弾正の出立に際して顔を見合わせてしっかりと頷く様子、夫と子、それぞれと生きてきた日々が見えるようなお芝居だった。
善法寺春清:大谷桂三
石清水八幡宮の場面、痺れた。義輝のご乱行に対する春清の宮司としての信念がきっちり示されることで、そこに割って入る三日月宗近への義輝の葛藤がより一層引き立つ。あれだけの扱いをされたのにも関わらず直ぐに立ち上がって義輝の後を追う去り際まで素晴らしかった。刀剣乱舞のロマンを的確にくみ取って語られる筋書きのインタビューや、カーテンコールで松也さんを見て浮かべる満面の笑みも、何とも素敵。
松永弾正:中村梅玉
とうかぶに梅玉さんがご出演されることが発表されたときの驚愕を今でも覚えているし、終わってみてもまだ信じられないような気持ちがしているが、本当に素晴らしいものを見せていただいた……
今作では、苦海にあってもなお後世の人々の安寧の為に善道を志す人々と、それを見守る刀剣の付喪神たちが描かれている。歌舞伎が描きたい刀剣乱舞の精髄が松永弾正に込められていた。極彩色の敵役:松永弾正という後世に付与された虚像一枚一枚をはぎ取っていくと、そこに現れたのが忠義と善の狭間でじっと耐え忍ぶ清廉な人、というのがあまりに梅玉さんに似合いの役。息子や三日月宗近の想いに応えて立ち上がる弾正、というのが若者たちの願いに応える歌舞伎界そのものにも見えて、胸が熱くなった。
刀剣男士たちの言葉も、それを信じるか信じないかはそこに生きる人間にゆだねられる。久直も弾正も、人間の行く道は人間が決める、というのが人間性への誇り高い信頼のようだったし、人間の生き方に究極には介在できない刀剣男士のモノであったが故のあり方も切ない。
『この弾正が赴く道は二河白道』と道を定めた弾正に、三日月宗近が『我ら一同が赴く先は輪廻の先の未来世なり』と返す。自らや息子、主義輝の想い全てを彼らが未来へ持っていく、というのはどれほどの救いであろう。二河白道を導くのは釈迦と阿弥陀の声とされるが、きっとこの先の弾正を導くのは三日月宗近の声なのだろう。
我らの想いは輪廻を越えて共に在りましょう、という三日月宗近との約束を胸に去ってゆく弾正。人と刀剣の繋ぐ未来を示す、素晴らしい花道の歩みを魅せていただいた。
また次の出陣を楽しみに
まだまだ語り足りないことだらけだが、ひと先ずここまで。
新作歌舞伎刀剣乱舞が終わって、もうすでに役者さんたちは続々と次の舞台に立っている。今回素晴らしいお芝居を見せてくださった方々、それぞれのご活躍を追いかけながら、またいつかどこかの時代に出陣する歌舞伎本丸の刀剣男士たちに会える日を心待ちにして。(まずは円盤が出ますように…!)