ずっと、いつも、そばに。
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例の問題、ふた晩過ぎたらえらいことになってる…。2月からキレ散らかした甲斐があった。
レーベン盛岡紺屋町 川沿いマンション建設の問題|nyororoまいにち制作日記 @nyororo
私は子供の頃、海の街で育った。
田舎だから海を離れれば山だったけれど、「シンボルになるような山」は身近ではなかった。
大学入学時、橋から見える岩手山には驚いた。
街の中にシンボリックな山があるっていうのは、なんだか嬉しい。
春も夏も秋も冬も
晴れていても雨が降っていても、
見えても見えなくても
嬉しい時も悲しい時も、共に居てくれる。
例えばちょっとしょんぼりしたことがあっても「今日も岩手山が綺麗だからまあ、いいか」
なんて思う。いつも大好きだし、山が綺麗な時は大体写真に撮ってしまう。
盛岡や八幡平、雫石、滝沢など、「岩手山を囲む場所」に住む人たちにとって、山は人々のアイデンティティであるのかもね。
岩手山は大体どこの場所からでも「よく見える」のよ。
昔の人たちは色々工夫して「よく見える」ようにしてきたんだなって思う。
ずっとそこにあり続ける、みんなの山なのだと改めて感じる。
ずっとずっとずっとそばにいてね。
京都に引っ越したら、素敵な風景に感動するのは間違いない。
でも「いつも親しみを感じている山がないこと」については寂しく感じることだろう。
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マンションチラシ炎上を目にして、勝手な振り返りをしてみる。
昨年以前のミナペルホネンの盛岡城跡計画(ミナペルホネンは現在計画から撤退。これについては英断だったと評価している。)もそうだったんだけど、レーベンの話に対して私が感じた不快感を言語化するとこれだ。↓
ずっと大切にされた街の景色だもの、お金と引き換えにどこか特定の企業や個人が自由にしていいものじゃないと思う。
みんなの山、みんなの川、みんなの公園を、みんなで守る。
シンプルにそうあってほしい。
これからもずっと。
もはや私は十分ネチネチ言っったので、きょうは山の写真を貼ろう。
岩手山はいいぞ!
場所が怪しいところはカッコ表記している。あやふやなので信じないように。
(無断転載お断り)