作ったら、片付け。 整頓は制作の核
いつの頃からか自分が大事にしていることなのだけれど、ものを作るからには定期的な片付けリセットをするのは必須だ、と思っている。作業場についての考え方は作り手によって全然違う。「片付ける暇があったら作れ」っていう人もいるに違いない。正解はない。
「整頓」と言っても、普段から何かしら作っているので他人様から見たら散らかっている。それは間違いないのだけれど、自分なりに材料とか画材の整頓はしないととても気持ちが悪い。私の場合は独立した自分のアトリエがないので作業をやりっぱなしにすると家庭生活に影響が出る。
私はリビングの一角で作る。
編み物はスペースを取らないので一番楽だが、布の裁断からミシンかけから糸染めから糸紡ぎから全部やる。絵もリビングで描く。だから傍目からはまあまあ散らかって見えるかも知れぬ。
絵は通年で描く。
夏場は外でスケッチに行き、冬場は部屋に篭れるモチーフを選ぶ。
冬にストーブが付いている間は染色をする。
毎年ではないが、春先に羊毛を買ったりすれば、暖かい時期に洗う。編み物は主に秋、冬で、縫い物は春、夏に集中することが多い。
冬は大事な季節だ。
これからの数ヶ月間は「じっくりゆっくりのんびり仕事ができるいい時期」に入るわけだ。だから整頓をしている。主に紙ものをスキャンしてシュレッダーにかけるのが多い。でもこれを今時期にやっておくと作業中のイライラが半減する気がしている。それから道具の整頓をするので「あれどこに行った?」っていうストレスがすくない。
「制作と整頓」は一つの核になっているのではないか。
Twitterを休むのにも意味がある。(今年、名称がXになったけれど、これからも呼称はTwitterで統一する)2012年から1月程度の「Twitter休暇」をとっているのだけれど、厳密にSNSを絶っているいるわけではない。(時々Instagramには投稿している。)
なぜTwitterだけを休むかというと、Twitterのつぶやきを読んでいるとたまたま出会ってしまったトレンドワードや、他のユーザーのつぶやきを掘り下げ、その根拠の向こう側をのソースを調べようとしてしまう。興味が興味を呼び、何を調べたかったのかわからなくなってしまうほどだ。
「私は、今、それを知りたいの?」と問うと、全くそんなことはない。
集中したい時には、こうした直接関係のない情報はとても気が散る。
案外Instagramはそういったことがない。テキスト投稿が少ないので、絵の刺激はあるけれど、ざっとブラウズしてしまうだけで思考の侵食までには及ばない。記録的に自分の投稿だけして他の写真は追いかけることは少ない。
毎年9月か10月ごろにTwitterを休むのだが、今年は個展があったので11月まで伸びた。毎年の習慣になっているため、秋になってくるとだんだんTwitterが負担になる。秋というのは自分にとっては大事な時期なのだな、とわかる
片付けてはいるが、いつも完璧には片付かない。
今日は雪も降った。静かな1日になりそうだ。
書類のスキャンをかけたりしていれば、夕方には少しスッキリするだろう。
と書いたら、近しいことを書いている方がいたのでシェア
制作がうまくいかない人は、定期的に作業場を整頓するといいと思う。整頓の後の制作は明らかにクリアになってよく進む気がする。