脳内がお花畑??
ハリーポッターは好きですか?
あの眼鏡かけた魔法使いの少年が主人公のハリーポッターです
というのも、最近ラランドのYouTubeチャンネルで、ハリーポッターを扱う動画を拝見したのです
わたしはハリーポッターがとてもすきなので、原作(日本語訳)も3周くらい読んだし映画も前作2回ほどは拝見しているのですが、
ニシダも動画内で言っていたし、コメント欄にもあった意見を見てはっとしたのがこの題名でして。
「ハリーポッターって主人公全員にクソなところがある」
「ハリーは映画では勇敢で友情に厚い性格と美化されて描かれすぎている」
「ハリーポッターは完璧な人間などいないというところがとても面白い」
といったこういう種類の意見です
ここから私の話ですが
原作を読む中で、この感覚はありました。なんかこの人の設定ちょっと悪すぎへんか?的なそういう感覚です。特にジェームズの学生時代の描写では、おろおろこれでは応援できないだろう?と読みながら心配するような気持になってました
こう書いてたら何となくわかりますが、私はその違和感をあまり受け入れてなかったのですね。その違和感が動画やコメントで言語化されているのを目の当たりにして、事実を突きつけられたような、「あ、やっぱそうなんや」というような感覚になったわけです
多分私の中で主人公って基本的にいいやつでしかなくて、
そういう作品しか触れてこうへんかったていうのもあるとは思いますが、
何となくハリーほどのthe主人公にはクソな人間らしい部分なんてあってほしくないと思っているタイプの人間なのだと気が付いたのですね(そんな人間のタイプがあるのかは知りませんが)
ルフィに人間的にまっすぐじゃない、人間らしいクソみたいな部分が見えると、もうきっと応援できないかもしれないし
のびたくんのあのいろいろな怠惰やダメなところは、かわいいところとして認識してもうてるし
コナン君や新一は一生かっこよくいてほしいんですね
そこから派生して考えると
残念なことに、現実世界でもそういった傾向はあるのかもしれないと気が付いてしまいまして、
例えば、学校の先生に”落胆”やそれに近い感情を抱くとかはしたくないんです。あとは似たようなことですが、年上の人には年上だからという理由の多少の尊敬がデフォルトで入っています。
最近、親しい人に、能天気すぎるだ、人を信じすぎるだ、警戒心がなさすぎるだ、そういった類で割としっかり怒られたのですが
なんだか、これと通ずることがあるなあなんておもって、少し反省しました
ラランドのユーチューブを見るまでは、他人に美化した状態を期待する自分の一面をあまり自覚できていなかったので、他人に美化した像を勝手に押し付けているあまりに、なんだか今までのどこかの場面で無意識に誰かに肩身の狭い思いをさせていたかもしれないと思いました
他人の人間らしい部分を見て嫌いになるとかそういうのは、他人は主人公ではなくて人間なので、ありませんが。でもね、人間らしい嫌な部分を見ないようにしている部分はあるかもと思いました。
こんな性善説信者の様な性格は他人の美しい部分を見つけられることは利点ですが、事実以上に美化して認識するのは、その人のためにも自分のためにもなりませんね~~とこんなことに気が付きました。
社会人になって、世の中のいろいろに「あーーー。」と若干の失望や怒りや悲しみをおぼえるようなことが増えたのですが、きっと。それまでの私が美しい部分しか知らなかったのだろうな
暖かい場所で育てていただき、こんな性格も相まって、世間知らずで能天気な人間になりましたが、それゆえに今悲しみや怒りや苦しみなど暗い感情で心がふさがることが多いなあ。と思っていた矢先に、ラランドのユーチューブを見て、私って頭がやはりお花畑なのだな?と実感したというわけです。
今すぐ直せるような要素でもないし、直したほうがいいのかも分かりませんが、あのハリーポッターの違和感は全国共通だったのか!!!(SNSコメントの課題解釈)と知ったことで、自分が違和感から目を背けていたことに気が付き、脳内がお花畑なんだなと自覚できたことは大きな収穫だったと思い、ここに記しております。
ただ、脳内はお花畑なので、すぐにこういったことも忘れてしまうのですね。脳内に花が咲いてるのでね。
なので、こうして雑な文章であっても何となく、気が付いたことを記しておきたいと思いました。
きっと半年くらいたって、他人の人間らしい部分や世の中のくそな部分を目にして、傷ついたもしくは傷つけたときに、見直すのでしょう
ハリーポッター、もう一回見ようっと~~