いじめっ子ほど、なぜか幸せになっている。

私は小学生の時、いじめに遭っていた。
小学3年生の冬まで父の仕事の関係で海外で生活していた私は冬休み明けに日本の学校に転校することになった。そして訪れた1月。全校集会が終わると3年生全員の前で転校生として紹介された。最初は皆興味本意で近づいては私の話を聞きたがった。

「どこの国から来たの?」「日本人じゃないの?」「じゃあ海外の言葉話せるんだ!なんか喋ってよ!」

毎度お馴染み、転校生(海外からの)にかける言葉のテンプレート。何か喋ってと言われた時は混乱したが、みんなが話しかけてくれることが嬉しかったのでそんなに悪い気はしなかった。女の子だけではなく、男の子も話しかけてくれていた。
当時の私は天真爛漫で怖いもの知らずだったので、転校したばかりなのにも関わらず授業で発言したり体育の授業では大の得意だった縄跳びを披露したりした。正直、転校生としての枠を超えてかなり目立っていた。しかし、それだけ目立っていた割には友達ができなかった。いや、全くできなかった。
友達ができなかったとはいえ、男の子たちはしょっちゅう私に話しかけてくれていた。縄跳びで小学生にしては大技を決めればすごく褒めてくれたし、神というあだ名までつけてくれた。

そんなある日。私はいつもと同じように登校し、上靴に履き替えようとした。しかし、靴箱のどこを探しても私の上靴が見つからない。靴箱の上を見ても周りを見てもどこにもなかった。その日は真冬で上靴がないと足が冷えるのでなんとか見つけたかったが、私は諦めて教室へ向かった。その5分後、クラスの女の子が靴箱の上に置いてあったと言って私の上靴を持って来てくれた。こんなことが4,5回あっただろうか。それに加えて一部のクラスの女子から仲間外れにされ(主犯格はわかっていますもちろん)、体型や性格について悪口を言われるようになった。

「〇〇ちゃんってなんかウザくない?」「なんか全然痩せてないし」

流石に当時の私は友達がいなかった上にそのような悪口や物隠しが行われたので苦しくなって、まず親に相談した。そして連絡帳で私と話してもらうように担任に連絡し、私は職員室で当時の担任の先生と話をした。しかし、彼の第一声は
「これっていじめではないよね?」だった。私は言葉を失った。正直当時の私は学校の状況が耐えられなくて、学校に行くことを拒絶し始めていた。そんな中での担任のこの言葉。きっと彼は自分のクラスでいじめが起きていることを意地でも認めたくなかったんだろう。そしていじめの主犯格もそれはそれは陰湿な手口でいじめをしていたので、もしかしたら担任はいじめ自体に本当に気づいてなかったのかもしれない。

そんないじめの詳細はどうでもよくて、私が疑問に思っているのはいじめっ子ほど幸せになっていること。当時私をいじめていた主犯格の女の子は、小学校卒業後何年越しにSNSでフォローして来たと思ったら彼氏ばかりを投稿していた。彼氏がいた。私はあの時のいじめがあってから心に深い傷を負い、出る杭は打たれると思って性格も消極的になってしまった。そして小学校以外でも数々の同級生や部活の顧問などに攻撃され、今ではうつ病患者となっている。私はただ、疑問に思っている。復讐したいだとか、今になって怒りが込み上げてくる訳でもない。ただ、疑問に思っている。やはり社会ではいじめっ子のように周りのことを考えず、神経図太く生きている人間の方が生き残りやすいのだろうか。

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