見出し画像

思い出のあれこれ

 イケアの三段になっているカートをご存知だろうか?キャスターが付いていて移動に便利なので、キッチンで使おうと随分前に買った。

 ……のが、今は、子の”あれこれ”が詰め込まれて部屋の片隅に置いてある。
 それを、今日勝手に掃除した。いつかやらなきゃ、でも捨てちゃうのも惜しい、と、なかなかできない片付けの一つだ。
 
 子の脳内同様、カート内は混沌を極めていた。でも、そういうものこそ、人柄が出ていて面白いと思う。

 地層ともいえるものの積み重ねの最下層には、もとは独創的な乗り物に組み立てられていたレゴブロックが、いつの間にか壊れてばらばらになり、散らばっていた。子はレゴが得意なのだ。本人いわく、最強の装備の乗り物を、前はよく作っていた。
 枝や葉っぱやどんぐりをセロテープで貼り付けた飛行機なんかもあった。文章では伝わりにくいが(片付けたあとによく思う。その子にしかできない創作物は、写真に残すべきなのだ)そういう私には思いつかないような”見立て”から生まれた類のものがたくさんあった。
 そういえば、カートそのものも、海賊船に見立てたのか、枝と時間割の紙で帆を表現し、さらにサランラップの筒で作った舳先らしきものをビニールテープでくくりつけてあった。
 宝箱らしい、空き箱の数々には、おもちゃのコインやダイヤ、貝殻、石、そんなものが詰め込まれていた。
 いつか当たった町内会の祭りのビンゴ、それが五等の虫除けスプレーだったのだが、その「五等 〇〇町内会」の紙がカートに貼られていたのも印象的だ。私たち親子にとって本当に大事な友だち、全員で行った夏祭りだった。心が通じた者同士の寛いだ時間や、その時の楽しい気持ちがそこに残されていた。
 一緒に作った折り紙の数々が、いつか連れ合いが編んだ毛糸の帽子の中に詰め込まれ、中段にハンモックのようにぶら下がっているのも面白かった。その帽子をかぶって銃を構え、戦士の真似事をしていたっけ。その帽子が今は折り紙入れ(兼ハンモック?)になっている。
 子の道具の使い方を見ていると、本当に、ものには本来の使い方とは違う可能性が秘められているのだと気づかされる。子の中で、世界は一面的ではない。自由で、想像に溢れている。

 カートは、子にとっておもちゃ箱であると同時に思い出箱で、想像と創造箱で、それを分類することなく、ごにょごにょと、地層さながらに積み重ねていける場所なのだ。

 整然としている、に憧れる反面、そういう、どうにもごにょごにょ分類できない心の状態を、子のようにそのままそこに置いておくのも嫌いではない。それがいっぱいになって、溢れ出して、苦しくなることもあるけれど、その都度ちょっと片付けて、基本的にごにょごにょ暮らしていて良いような気がしている。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?