だいじょうぶ、きっと彼女はしあわせになる
禍福はあざなえる縄の如し
数年前、NHKで放映していた「トットてれび」というドラマを、母親に薦められて観た。
黒柳徹子さんの若き日を満島ひかりさんが演じ、戦後間もない日本にテレビが登場した当時の様子を、面白おかしく、ときに切なく描いている。
わたしが大尊敬する作家、向田邦子さんに関心を抱いたのも、じつはこのドラマを観たことが最初のきっかけ。
とある場面でトットちゃんが、ミムラさん演じる向田さんに「禍福はあざなえる縄の如し」の意味を尋ねた。
トットちゃんは「幸福の縄だけで撚ってあるということはないんですか」と問いかけるが、向田さんは「ないの」と首を振ってほほ笑む。
幸福も不幸も、表裏一体。
人生にはどちらもやってくる、ということ。
このときの向田さんのなんとも切ない表情と台詞が、忘れられない。
以来、悪いことが起きるたびに、このやり取りを思い出している。
とある親友の不幸の縄
遠くに引っ越した親友と約1年ぶりに再会した。
思いがけず、彼女は悲しい出来事に直面していることを報告してくれた。
悲しい話など、他人に話すことは決して楽ではないだろうに。
泣きそうになるタイミングが、お互いに何度かあった。
それでも彼女は前向きだった。
仲間内では、少々おバカで「教養がない」とからかわれていた彼女。(ごめん)
そんな彼女が、苦手なエクセルやパワポを駆使し、新しい仕事にも挑戦するらしく「がんばるんだ」と言った。
「ああよかった。幸福の縄もちゃんとあった」
新しい仕事のことを話す彼女を見て、ふとそう思った。
苦しくて、まだまだ泣く夜もあるのかもしれない。けれど、今までに見たことがないくらいに、前向きで強い彼女を見た気がした。
だいじょうぶ、きっと彼女はしあわせになる。
禍福はあざなえる縄の如し。
不幸のつぎには、幸福が来る。
彼女のつぎの縄は幸福の縄だ、と別れ際に手を振りながら思ったりした。
壊れた愛車の窓は、5万円だった。
わたしのつぎの縄も、どうか幸福の縄であってほしいと切に願う。