心霊的な何か、とは
今年は例年と違う状況の夏になってしまったが、とはいえ夏なのでこういう話題にも触れてみたい。
考え方は人それぞれだし、個人的には「いない」と思っているが「実在」と「存在」は似て非なるものなので、「いる」という人には「あぁそうですかあなたの中ではそうなんですね」としか言い様がないし、悪魔の証明にもなってしまうので、自分自身「いる」か「いない」かは割とどうでも良かったりする。ただ実在するかといえば今のところ否定せざるを得ない。
・まず「実在」と「存在」について
先の投稿でも述べたが自分の中では大前提として「実在」と「存在」を分けて考えるようにしている。
例えば空は大気の集合体だが人は便宜上それを空と呼ぶ。空は実在しないが存在はする。
だからそういう存在を「感じる」「見える」という人の中には、心霊的な何かは確実に「ある(存在する)」のだ。ただの見間違いだとか神経系のノイズだとかいろいろ反論はあるにせよ、その人の中の世界は揺るがない……もっともその人の中の何パーセントかはただの嘘つきなのかもしれないけれども。
・呪いや言霊について
これはもう否定派の自分もある、と言い切れる。但しそれにはいくつかの条件が必要になる、とも思っている。
例えばワラ人形、丑の刻参り。白装束で神社かどこかの大木に相手の名前を書いた紙とともに五寸釘でコンコンコン……やってる最中はあの行為を見られちゃいけないらしいが、ならばあれを本当の本当に誰の目にも付かないような所で――例えば無人島とか、何なら海外旅行に行ったついでにどこかよくわかんないところでその行為をやったとする。
これではただの自己満でしかないし怨んでいる相手にも何の念も届かないだろう……まぁ怨みを持った本人のカタルシスにはなるんだろうけれどもそれ以上の効果は無いだろう。
ところが、である。この行為を自分ちの近所、生活圏内、誰かに見られちゃうかもしれないリスキーなエリアであえてやったとする。まぁ、そのうちワラ人形が見つかり、名前を書かれた怨めしい人物の身元も割れ、やがて風のウワサでその本人の耳にも入るだろう。そうなった瞬間、呪いが発動するのである。呪われた相手は何かしら精神的に影響を受けることになるだろうし、ストレスで気に病んで自律神経がおかしくなったりするかもしれない。失業するかもしれないし、家庭不和で崩壊してしまうかもしれない。効果抜群の呪いの完成だ。
丑の刻参りというのは見られちゃいけないにもかかわらず、事後の痕跡は誰かに見つからなければ意味をなさないというなんとも不条理な呪いの儀式なのかもしれない。ハイリスク・ローリターン、「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったものだ。
それも踏まえて考えてみると、最近はネットに匿名で特定の人物に対して誹謗中傷を書き込んで痛ましい結果になる事件が散見されるが、まさしく現代の呪いそのものなのだと思う。
言霊についても似たようなものだ。口をついて出た言葉はもう二度と止められない。その言葉が一人歩きしていく中でいろんなものにいろんな影響を及ぼしてやがてとんでもない状況を引き起こしていく……もしご存じなければ是非とも『豊川(とよかわ)信用金庫事件』でググって欲しい。一人の女子高生のたわいも無い軽口が魂を持って言霊となり一人歩きし、どんどんと大きくなり、やがて社会生活を揺るがすようなモンスターとなっていく……その過程がよく分かるとても興味深い昭和の事件だ。SNS等によるデマ騒ぎに振り回されたりもする昨今、現代を生きる自分たちにも通じる教訓にもなる。
上記に関連して、自分が腑に落ちた表現としてタレントの伊集院光氏が自身の深夜ラジオの中で似たような主旨のことを話していたので紹介したい。
Youtubeで「伊集院光 深夜の馬鹿力 メディアでギリギリ言える『霊能者』の話」で検索すれば見られるが、まぁ恐らくは権利だなんだには抵触する動画なのでご視聴は自己責任で。
・じゃ、「いる」として何か科学的っぽく説明できないか?
否定ばかりじゃロマンが無い。それじゃ幽霊なり心霊的なモノなりが「いた」として何かしら観測なり何なりこじつけたりできないものかと考えてみる。
それにはまず質量があるかないか――科学的に考察するにあたり、そこが分かれ目になってくる。
→質量があった場合、e=mc2(相対性理論のエネルギー質量等価式)でも表せる通り、幽霊にも何かしらのエネルギーがあるはずなので何らかの手段で観測できるはずだが、今の科学技術をもってしてもこれといった決め手は無い……え? 魂の重さは32g? じゃ100人集まりゃ3.2キロ? イナバの物置なら余裕な重さ。ラーメン二郎で2杯分くらい、いやいやカロリー換算ならとんでもない量だ。
→それならば、と質量の無い未知の素粒子で幽霊が構成されていたとする。ヒッグス粒子だの何だの難しい話は一旦置いとくとして、質量が無いとすると地球上においては幽霊には慣性の力が働いていない事になる。だとすると幽霊は超高速で宇宙空間を移動する我々に必死で食らいついてきている、ということになる。
そうなのだ、普段意識することは無いものの、地球が自転しているというだけで我々は24時間で4万キロ近くを移動している。時速にして約1700キロ、(緯度が変われば速度も変わるが)日本くらいの緯度でも時速1400キロ。それでも見事にマッハ越え。TMレボリューションの西川さんはさらに+αで向かい風を受けている。スゴい。
さらに、である。その地球は太陽の周りを公転までしている。その速さ時速約10万キロ、秒速28キロ、東京から横浜までわずか1秒。崎陽軒のシューマイ弁当がいつでも買いに行ける気軽さ。もう意味が分からない。
さらにさらに、である。その太陽(太陽系)も銀河の中を高速で動いている。その速さ時速約78万キロ、秒速217キロ、東京から浜松までほんの1秒。これなら毎日うなぎパイが食べられる気軽さ。いよいよ意味が分からん。
要はそれだけの速さ、複雑な軌道で動いている我々を幽霊は24時間365日休まず追尾して、驚かしてみたり恨みを晴らしたりしている、のかもしれない。一瞬でもボーッとしようものなら数百キロ単位で離れて置いてかれてしまう。それが海外ならまだいいもののうっかり宇宙空間にひとりぼっち、って事にもなりかねない。これはもう幽霊サイドも必死なんじゃなかろうか? いや必死というかもう死んではいるんだけれども。
自分がそれに気づいたとき、思わず「お疲れ様です……」と合掌してしまったし、結構本気で彼ら(彼女ら)の本懐を遂げて成仏して欲しいと思ったものだ。
・さらにその先へ
とはいえあったらあったで面白いとは思う「あなたの知らない世界」。科学的な裏付けは置いとくとして、多元宇宙論、並行宇宙の何かしらがこの三次元の世界と干渉しあって……みたいな妄想が捗って、いつか小説のネタにしてみようと思ったりもした事もあったし、もの書き、クリエイターとしての自分にとっては不思議なモノ、心霊的なモノというのは都合の良い舞台装置になり得るのでこれを使わない手はないし、今後とも上手く付き合っていきたいとは思う。
いつかひょっとして科学の常識がひっくり返るような発見があるかもしれない。その時は素直にその存在を認めたいと思う。過去に固執しない、起こった事実、今がすべて、自分が違っていたと思ったらすぐゴメンナサイを言える、それが科学の強みなのだ。
いつか何かの本で読んだが、科学というのは再現性によって客観性を担保して構築されてきたものなので、そもそも心霊だのなんだの類の偶然性(≒たまたま)に支配される事象を説明するには極めて相性が悪い、ということらしい。だとすると科学的アプローチで心霊現象を解明してどうのこうのという試み自体がいささか無粋で見当違いなのかもしれない。
以上を踏まえて自分としては最初に述べたように、実在は実在、存在は存在。それでいいじゃないか、と思うのである。亡くなった親父やばあちゃんに会えるなら会ってみたいし。
最後に、もし幽霊が「実在」したとして、さらには人と意思疎通できるのならば、金にがめつい人間の事だから真っ先に金儲けの手段に使ってるだろう、と思っていたところ古典落語の『お菊の皿』ってのがありまして……大昔から百億万回以上言われた使い古した言葉でしょうが、やっぱり何より怖いのは人間という事なのでした。
お後がよろしいようで……それではまた次回。