見出し画像

【陽だまり日記】大判焼き

夜の空気がしんしんと寒くなると、どこからともなく現れる、そのキッチンカー。
橙色の裸電球に照らされたレトロな赤い暖簾には「大判焼き」の文字。

もう21時を過ぎていた。
残業する気なんて1mmもなかったのになあ。
1週間どうにか終えた体はクタクタで、PCと睨めっこしていた両目は、しぱりと瞬きをするたびに乾いた音を立てているよう。

そんな時に視界のはしっこに映った、あったかい甘さのお誘い。
こんなに寒くなるなんて聞いてなかった夜。それは、どうにもこうにも魅力的。

私の前を歩いていた、高校生らしき男の子の二人組が誘惑に抗い切れずにふらふらと其方へ吸い寄せられていく。反対方向に行こうとしていたオジサンも、つま先の向きを変えて同じ場所へ向かっていく。

気付いた時には、私も其の列に並んでいた。

細い三日月の下で、くたびれた私たちがお行儀よく並ぶ。
なんとも言えない心地よい時間。

順番が来て暖簾をくぐると、年季の入った鉄板の上できつね色のふくふくが食べごろになっていた。
つぶあん、こしあん、カスタード、ハムマヨ、チーズ、さつまいもあん。
カスタードとこしあん、どちらにしようか迷うのは、学生の頃から変わらない。

今夜は、カスタードにしよう。

指差したひとつを、おじさんが手早く薄い白い紙に入れて手渡してくれる。
今時は電子マネーでも支払えるようだけれど、そこは小銭をチャリンと手渡す。

160円。
私の学生の時より60円高いな、なんて、ちょっと乾いた大人の感想。
手の中のぬくさに唇が緩むのは、あの時も今もおなじ。

誰も見ていないから良いやと、夜道、はくりと齧ったとろんとしたクリームの甘さ。
舌をやけどしないように、慎重に、慎重に。

小市民の幸せを噛み締めながら、月を見上げる。
エモい、の使用法について未履修だけれど、きっと、こういう時に使うのだろう。

家までの道のりは、もう少しかかる。
甘さに励まされながら後少しだけ頑張ってみる、金曜の夜。

いいなと思ったら応援しよう!