内向的トランス状態が【いまここ】でシェアされて暮らしが「ととのう」ということ。
おふろカフェにいました。埼玉の。
ちょーキモチイイっすね。もうふわふわ~
ただ、館内着の私が「囚人にしか見えない」というのは遺憾(笑)
確かに舐達磨にでもいそうな髪型やし、メガネとかピアスとかな…ここのゆるい雰囲気を壊してないといいけれど…
そういえばなぜかアドレスホッパーとサウナは相性がいいみたいだが、トーキョーバックパッカーの私も例外じゃないです。
銭湯の交互浴も好きだけど、やはりロウリュサウナ→水風呂からの、外気に触れて産毛がぷちぷちと弾け、まるで用心深い貝のように毛穴が開いてゆく感じは、とてもいい。
さっき1時間ちょっと入ってたけど、また夜の前にもう一回いこ~。今日はここに泊まり込むのだ。
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思えば私のなかでは、サウナも筋トレもヨガもメディテーションもマリファナもチルいビートもいきつけのBARも、おなじカテゴリーに分類されてる。もっと言うなら、たぶん深夜のドライブ癖や緊縛、金パブや消毒用アルコールへの中毒すらもなんか近い。
なんか自律神経に効く系、って感じ? よくわかんないけど、ひとつの共通の欲求に紐づいた行為な気がする。
ベルギーにいたとき、秋晴れの日曜の朝に街はずれの湖のほとりを2人で口数少なく散歩したり、撮影クルー達と高速で150キロ飛ばしながら『LOST IN TRANSLATION』のサントラを爆音で流してた感覚。
最近だと映画『チワワちゃん』の雰囲気とか、なにげなくYouTubeでジミヘンのライブ動画みてて気づいたら日本酒3本空いちゃってたときとか。
若者コトバが「ヤバい」から「エモい」になったような。
それはどこかそこはかとない気持ちで、悲しくも楽しくもない、充実してるわけではないけれど空虚というには何かがありすぎるような。
…これらは、互いの感情が薄く延ばされて共時的・共場的に複数人のうちでシェアされつつも、それぞれの想いのベクトルは内側に向いているような感じで体験される、気がする。
( ↑ 昔から「をかし」「あはれ」で済ませるような文化なんだし「感性の腐敗」はないだろ 笑)
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暮らしから床も壁も屋根もなくなって、ハコから解放される夢を語るとき、
「それはさらに大きな『ハコ』に入っているだけなのでは?」と言われる。
都市機能やライフスタイルにおける家という「ハコ」の消失は、
自分の素直な部分をありのままに曝け出せる空間としての「ハコ」を
ココロのなかだけに限定されていた状態から 他者や社会も含む外的な環境まで認識的に拡張するだけで、
私が他者に対して思想や感情、価値観をシェアすることには繋がらないのではないか。
それは結局わたしが閉じこもっている「無菌室」的な空間が規模的に拡大しただけで、
どのみち私は他者に対して素直になることができないままなのではないか。
実にもっともらしい意見だった。私はそのたびに歯切れ悪く「なんとなく、そうじゃないんだよね」としか言えなかった。
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でも今なんとなく思うのは、それは一理ありつつも誤解もあるということだ。
たしかに私は「床と壁と屋根のない暮らし」においても、どこか孤独なままであり続けるだろう。ただそれは単に、心の中にあった「無菌室」を社会にまで拡大するだけということにはならない。
それは前述のような「互いの感情が薄く延ばされて共時的・共場的に複数人のうちでシェアされつつも、それぞれの想いのベクトルは内側に向いている」感覚なのだ。
ジムで筋トレに励むとき、サウナで汗を流すとき、そこに周囲のひとの会話は滅多にない。でもなぜだかみんな仲良くなれそうな気がして、ちょっぴり心地いい。少なくとも朝7時半の中央線上りの満員電車より、よっぽど居心地がいい。
ボロ車がガタガタ言いながら高速を150キロで爆走しているとき、みなが『LOST IN TRANSLATION』のサントラに得も言われぬ凛とした表情で耳を傾け、タバコをふかしてはたまに冗談を言ってふざけ合っていたけれど、あのとき、それぞれが内省的に思考にふけっていたのは明らかだった。
映画『チワワちゃん』は、クローズドながら薄っぺらい刹那的な関係性のなかで各自の思惑が飛び交い、会話のキャッチボールというよりはボールプールみたいだ。
オンラインという世界線が広がったことで、僕らは「つながる」ことに敏感になったため、もともとオフラインにもあった「つながり」も改めて見つめなおすことになる。そこで回帰してきたのが、複数人が各々の内省的なトランス状態に「いまここ」で共に耽るという体験価値なのだろう。
だから私が「床と壁と屋根をなくしたい」というとき、
それは自分にとっての無菌室を拡張するというより、
たぶんサウナ室を大きくしたい、というニュアンスが近いんだと思う。
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そういえば最近みかけたこのツイート、めっちゃよかった。
ようするに、こういうことなんだよね。こんな風に暮らしが切り取られて、拡散される感じに、近い。
まあ、これからももう少し考えてみる。