命を学ぶための教科書
少し期間が空いてしまったが、記録を残すことにする。
初めての記事から早1か月以上が経過し
妻のお腹も少しずつ大きくなった。
今記載する記事と、現状の妊娠進行度合いは相違が生まれるが、
あくまでもメモであるため、読んでいただけた方にはご容赦願いたい。
妊娠が発覚してから、まず何をすればいいのかを調べた。
この時期は何を用意し、何に注意し、何をするのか、しないのか。
我々には縁のない話だと、心のどこかでは思っていた。
しかし子供を望んでいなかったわけではない。
妻とはその点、お互いの考えを話し合っており
この妊娠が発覚する少し前に、不妊治療の検討をしていたのだ。
妻の検査と、私自身の検査を行い
年齢の問題はあれど、妊娠には問題ないという結果だった。
「じゃあ、もしかすると自然妊娠するかもね」と
「できたら嬉しいね」と、そんな会話をしていた矢先に
この妊娠は発覚したのだ。
私は、妊娠というものに神聖さを感じているところがある。
というよりも、女性の凄さ、というべきだろうか。
我々男性は、当然批判しているわけではないのだが、
子をお腹に宿すことは出来ず、体内で子を育てるということを
体感する術はない。
いうなれば、その大変さや辛さを、100%理解することは出来ないのだ。
勿論、妻に対して出来ることはあるだろう。
炊事、洗濯、掃除はもちろん、マッサージや何かを買ってきたりなどなど
しかしそれでも、女性の大変さを体感できないのだ。
そんな行為を、妊娠された女性は頑張っている。
これがどれだけ凄いことか。
道や電車で見かけた際は、心の中で妊婦の皆さんに感謝を述べている。
本当にありがとうございます。どうかお身体大事に。
話が逸れてしまったが、調べれば調べるほど
自然妊娠がいかに幸運であるかが身に染みた。
ある程度の情報が集まったころ、妻が悪阻を感じるようになった。
所謂「食べ悪阻」というもので、とにかく食すことが重要という。
しかし、妊婦は食べられないものも多いため、この情報収集や
実店舗でのチェックなども、なかなかに骨が折れる内容だった。
そしてなんといっても、昨日食べていたものが
今日は見たくもない、というように買ったものが一瞬で無になることもあり
これには本当に驚いた。
妻のケースを記載すると
・ショウガが最も悪阻に効いたが、1週間ほどで見ると吐き気を催すように
・ゼリー類は継続して食べられる
・フルーツはNGだったが、急に食べられる日がある
・ナスが大好きだったが、食べられなくなった
など。まだまだあるのだが、本当に日によってころころ変化し、
妻も私も困惑することになった。
しかし、なぜかハンバーガーショップのポテトだけは
悪阻期間中、ずっと好んで食べていた。
特にモスバーガーさん、本当にお世話になりました。
更に、妻は悪阻がひどいようで、とにかくベッドで横になる日々が続いた。
仕事も出来ず、楽しいこともできず、寝たきり生活のようになってしまい
本人のメンタルも徐々に弱っていた。
ハッピーキラキラマタニティなんてものは存在しなかった。
悪阻は継続し、少し収まっては翌日悪化。
お出かけしてみたらすぐに悪化と、生活を苦しめた。
この期間、私は彼女に何が出来たのだろうか。
あまりにも色々なことがありすぎて、正直なところ記憶があまりないのだ。
だが、1つだけ鮮明に覚えていることがある。
それは、二人で見たドラマ「コウノドリ」だ。
「コウノドリ」は、漫画原作のもとドラマ化された
「産科医療」のお話である。
妻の友人が、知識を得るにいいドラマだと進めてくれたため
一緒に1話から見始めた。
「コウノドリ」との出会いは、私にとって大きな衝撃と、
現実的な情報を与えてくれたのは間違いない。
それほどまでに、この作品は「リアル」を作り上げていた。
ネタバレになってしまうため内容は伏せるが、
とにかく知らない情報が盛りだくさんであり、
妊娠とは何か、出産とは何か、命とは何かを、伝えてくれる
教科書のような内容であったと考える。
もしかすると、男性には特に見てもらった方が良いのかもしれない。
たかがドラマで影響されるな、と叱咤されるかもしれないが、
それほどまでに情報が詰まった作品であった。
悪阻との戦いは長い。
個人差はあれど、見ている側ですらメンタルにくるものがある。
それを体感しているのだ、辛くないわけがない。
だからこそ、ほんの30分でも、気を紛らわせる「何か」を
二人で話しながら、やってみるのも良いと思う。
集中できる何かがあると、時間経過の体感は早い。
悪阻と戦う妻に、時間経過の体感を狂わせて1日をとにかく早く感じてもらうことが、当時私のミッションだったと振り返る。
最近は少しずつ悪阻も落ち着き、
1人でカフェに行って仕事ができるようになった。
某カフェのノンカフェインコーヒーに感動したと話していたので、
家でも飲めるように、こっそり豆を買ってプレゼントした。
散歩も少しできるようになった。
本当に少しずつ、悪阻が緩和されている。
それでも辛いことには変わりない。
たった1つの小さなことでも、本人にとっては気がまぎれるなら
色々と試してみたい。
そう考えながら、光陰は矢の如く過ぎ去り
季節は夏を迎えようとしていた。
太陽が光を強くする昼下がり
妻は何気なく横になっていた。
私は仕事をしていたのだが、急に妻が「え?」と言っている声が聞こえた。
「どうした?」と私が座ったまま聞くと、彼女は顔を悩ませながら言った。
「お腹を蹴られたかもしれない」
命が、形となって私たちに知らせをくれた瞬間だった。