あなたの信頼残高を勝手に積み上げたのは、私です
#いい人だと思っていたのに
言葉の通り、思ったのは私。信頼したのは私。
「あなたにとっていい人です」なんて約束されてない。
だから約束とか契約してるなら別。
「99%除菌」と広告したら、それは99%除菌してくれって話。
ある人でも物でも、その信頼口座にせっせこ貯金して、
ある人や物の好感度を勝手に上げているのは私。
予想外の上がり幅の時は、ギャップ萌え。
期待値を超えるご褒美があれば、サプライズ。
でも上がったモノはいずれ下がる。
正確には、上がる要素が底をついて、下がる要素が目につき始める。
その内、マイナスがプラスを上回る。
ひどい場合は“アンチ”になったりする。
「いい人だと思ってたのに(...最低だ、大嫌い)」
もう1回書くけど、
「あなたにとっていい人です」なんて約束されてない。
先日、ザ・紳士淑女みたいに思っていた人の趣味がパチンコと知った。
何にも悪いことはしていないのに、ちょっと面食らった。
(どうぞ偏見だと突っ込まずに、ニュアンスを汲んでいただきたい)
更地に“信頼”という巨大建造物を勝手に作って、
やっとできたら壊し始め、最終的には地盤ごと爆破で吹き飛ばす。
そんでぽっかり空いた穴を見て落胆し、「最悪だぜ」って。
どんなプレイよ。笑
#印象を決めたのは自分
僕の社会人人生は、ずっと広告業のどこかに身を置いている。
広告でとても気をつけているのは、嘘をつかないこと。
言葉一つ、写真一つ、どれも根拠がない、または怪しいなら使わない。
少し広げると、「女性に嬉しい野菜たっぷり」とかも好きじゃない。
男性だって野菜好きは幾らでもいるし、
女性もそれだけで誰もが喜ぶほど単純とは思えない。
言うべきは、「野菜がたっぷり入っている」ということだけ。
使うべきは、どんな風にどのくらいたっぷりかを表現するテクニック。
それを嬉しいと感じる女性がいるか否かは、受け手側が決める話。
全米が本当に泣いた事実があるなら「全米が泣いた」はまぁ良いけど、
「必ず泣ける感動の名作」は余計なお世話。
#実物とイメージは別物
「必ず泣ける」と銘打ったなら泣かせてくれないと困る。
でも勝手に「泣けそうな映画だな」と思って観て、泣けなかった場合に、
その映画を「最悪」と評価するなんて、なんとも滑稽だ。
“ある事象”と、そこから良さそうだと“勝手に膨らませたイメージ”。
2つは全くの別物。イメージは飽くまでイメージで、虚像。
見るべきは“ある事象”であり、“イメージ”ではない。
どうしても何かを評価するなら、事実の善し悪しだけに留めたい。
何かを信頼する時は、事実ベースで判断するとがっかりしない。
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