結城さくなの存在しない世界線
さくなちゃんのお誕生日の歌配信があったわけですよ。歌枠終わって告知も終わってスパチャ読みの中での事。湊あくあとして活動中にホロライブを卒業したら悔いもないしこのまま表舞台から消える事も考えたと。でも「いて欲しい」「待ってる」の言葉が多かったから戻る決心をしたと。本当にまったりゆったりでいいんよ。声が聴ける嬉しさをこんなに感じた事がないんよ。これを話してくれたのをタイムシフトで見たんですが本当に泣いた。もしかしたら結城さくなとして再び戻る事のない世界線もあり得たのだと。本人は「みんなは私の事をアイドルと思ってくれているのだろうけど私はまだアイドルといえる存在ではないと思ってる」と言っていた。
前にさくなちゃんのマシュマロ配信の時にアイドルの話が出たのですが、その時はここまでは話していなかったので自分の中で不安がものすごくありました。「自分はまたこの子を最推し+アイドルとして推すのは正しいのかと」
本当に1ヶ月ずっと悩んでいました。今の博衣こよりちゃんに対する自分の感情ですが
「自分はこよりちゃんをアイドルとして見ている」
「アイドルとして応援している」「しかし自分の中ではアイドルとして捉えていない」
つまりこよりちゃんをアイドルと認識しているが、自分にとってはアイドルという偶像にはならないという事です。その存在が自分にとって湊あくあだけなんです。
だからこそさくなちゃんのマシュマロ配信でアイドルに触れた時に不安になりました。「彼女をアイドルとして見るのは簡単だが何かしらの事情で再び消える事があった時に自分は正気でいられるのだろうかと」それだけ知ってからの期間が短かったのに卒業と聞いた時のショックが大きかったです。そしてショックが消えるどころか蓄積されていきました。
話は前後しますが、彼女のデビューを知ったのが9連勤させられていた時で神経が大分すり減っている最中でした。デビュー日は本当は休みだったのに選挙関連の手伝いが必要だから来て欲しいと要請されてた時で、画面は見ずにイヤホンで声を聴いてずっと聴きたかった声を再び聴けた喜びでニヤニヤしてました。
彼女が思うアイドルの認識とマシュマロ配信で「もう一度アイドルになりたい」と聞いた時の自分の認識はほぼ同じだったのではないかなと。だから悩みに悩んだ結論がこよりちゃんと同じ様に「アイドルとして応援はするが自分の中ではアイドルではない」と思う事にしました。あくたんの誕生日までは。そんな理由であくたんの誕生日のnoteに「自分の中では唯一無二のアイドル」と書きました。
戻ってくれた理由はそれだけが全てではないでしょうが「そこにいるだけでいいんだ」という声に彼女が応えてくれたのは間違いなく本音だと思います。それを聞いてやっぱり彼女をアイドルとして見ないのは無理だ。何があろうと彼女をずっとアイドルとして見ていたい。と今は強く思います。彼女が「みんなのアイドル」として再び戻ってくれた事に対して本当にありがとう。ただただありがとう。深い感謝しかありません。
これは個人の願望で書くので捉え方は様々だと思います。
あくたんの誕生日にさくなちゃんがこんなポストをしました
これは#湊あくあ生誕祭2024 のタグが付いたポストに対するお礼なのではないかと。
このタグが付いたポストはすごく多かったです。まだ卒業して間がないのはあると思いますがあくたんの人気はそんなに衰えてないと感じました。それだけ祝ってくれるのだから感謝の1言は言いたいが言えないからあのポストにしたのではないかと。自分はそんなふうに受けとめています