感情を抱いた背景を見つける
私には、「こう思っちゃいけない」と考える癖がある。
出来事に対して、何か感情が湧き出たときに、
そしてそれが自分にとって"正しくない"と考えた感情の時にそう思う。
例えば
夫には幼馴染の女性がいて、とても親しくしている。
このことに対して、私の脳は即座に正しい感情を命令してくる。
「嫉妬をするな。理解を示して、穏やかになれ。」
この声は、感情が湧いたとほぼ同じタイミングで脳内に流れる。
そして仮に、私の感情では「嫉妬をしている」としたら、
そこに抑圧がかかるのだ。
こんなことを思うことは、間違っていることだし、
私はそう感じたくない。と、感情をねじ伏せようとする。
1,2回は上手くできるかもしれない。
でもそれはいずれ大きなひずみとなって、心の不調として現れる。
考えることと感じたこと、どちらを優先するべきなんだろうか。
考えることを放棄すれば、自己中心的になり、誰かを傷つけることになるかもしれない。それでは人と関係を築き上げることができないだろう。
感じることを放棄すれば、心が死んでしまう。人生を生き抜くことはできないだろう。
①出来事が起こる
②感じる
③考える
このステップを踏む流れが一番自然なのだろうか。
でも私は、この①と②の間に何かがある気がしてならなかった。
感じる上で、必要なことはなんだ。
そう、それが「固定概念」だと気が付いた。
①出来事が起こる
②固定概念を引っ張り出す
③感じる
④考える
知らず知らずのうちに、感じるための材料を自分の経験から引っ張りだしてきているのだ。
先程挙げた例の場合での私の固定概念は、
「男女の友情は成立しない」
だということにたどり着いた。
なぜなら、
私は今までの人生で、恋愛を一切切り離した男女の深い関係を築き上げてこなかったからだ。
母の教育・学校の方針・進学先…多くのことが影響し、私の固定概念は生まれた。
この固定概念を見逃していると、感情にばかり注目し、そこを変えようと躍起になってしまう。
固定概念を変えずに、湧き出てくる感情だけを変えることは非常に難しい。
男女の友情は成立しないと思っているのに、夫と女性が親しくしていることに嫉妬心を抱かないようにする。
そんなことでは、心がすり減っていく。
固定概念は一朝一夕で変えられるものではないが、
自分がなぜこんなに苦しい思いをしていたのか紐解く手掛かりにはなってくれる。
そして、その固定概念のせいで苦しい思いをしているのなら、
その概念を見直すタイミングがきたということ。ただ、それだけのことだ。
私の脳内の「こう思っちゃいけない」は、「こう思った背景にある固定概念はなんだ?見直してみよう」に置き換えていきたい。練習が必要ではあるが、やってみる価値は十分にあるはずだ。
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