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アファンタジアを心的イメージの盲視とみなす (その2)

挑戦的、ビッグマウス、自信家。そういった形容が浮かぶ刺激的なアファンタジア(aphantasia)論文を読んだ。アファンタジア研究の権威Zemanによって今春出版されたレビュー論文に記載の一部見解に反論し、我々 (今回論文の著者ら) の見解のほうが優れているという文から始まる。

Zeman論文 ⇒ https://note.com/nyaphantasia/n/n623f7e5f14a1#7d9e3b9e-465d-4702-982a-e500c175d51f

今回論文 ⇒ https://note.com/nyaphantasia/n/n89ffb542d81d

2025-01-18 追記: 上記の内容を一部訂正。※今回論文を読み直したら、「見解」というのは「Nanay[2]の」であって、「我々の」ではない。

【誤】我々(今回論文の著者ら)の見解のほうが優れている
【正】Nanay[2]の見解のほうが優れている(およびそれを支持する我々の見解のほうが優れていることを暗示)

だが、今回論文の著者らの主張には、明らかに間違ってる部分がある(※個人の感想です)。例えば「一部のアファンタジアの人たちによれば、自伝的エピソード記憶の回想や未来の想像がない、あるいは貧弱みたいなことを言うが、それは本当のことなのか?疑わしい。脳内の情報にアクセスする方法に気づいてないだけでは?あるいは課題の設定や遂行に問題があるのでは?」(意訳)的なことを主張しているようだが、この主張内容が私の誤訳・誤読でなければ、今回の論文著者らは、(部分的には)「○○」であると言わせていただく。優秀なチームだから諸事に優れているはずだが、見解の一部は私からすれば「○○」で、その説では少なくとも私に起こっている現実は説明できない。

一方で、その他の主張に関しては、例えばアファンタジアと盲視(blindsight)の類似点や、ブランクアクセス(blank access: 意識内すなわち主観的経験には存在しない「意識外すなわち非意識的な心的イメージ」が情報処理に用いられること)の存在など、自分のつたない知識や実感的にも「ありえるかも?」という感じがして非常に興味深い。この斬新な概念とネーミングこそ今回論文の核だと思う。

とはいえ、研究者によってはブランクアクセスを軽視するかもしれない。今回論文で示唆されたブランクアクセスは、学術的にはハードプロレム(難しい問題)と言われている「意識・非意識」あたりの領域の話なので、どうしてもフワフワした主観的な話が多くなる。客観を身上とする研究者なら扱いたくない領域かもしれない。うっかり油断するとスピリチュアル精神系の話と違わない展開になり得る危うさもあると誤解されそうだが、ブランクアクセスはそういった霊感的なものではない。アファンタジアとブランクアクセスは、意識のハードプロレム(https://w.wiki/3SGW)に挑戦する画期的なアプローチになるかもしれない(そうなったほうが面白い)。




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