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アファンタジアの判定は鮮明性テストだけで十分か?

心の目に浮かぶ「何か」のことを「視覚的な心的イメージ」(以降、単にイメージ)と呼ぶことがある。

また、その「イメージ」を浮かべたり用いたりする能力のことを「イメージ能力」と呼ぶことがある。

能力という言葉が付いているので、そこには能力の程度(高い、低いなど)があるはずで、それを測ってみたいと考える人たちがいる。

例えば、「どれだけはっきり浮かぶか」「どれくらい自由に操作できるか」「普段どれくらい用いているか」「どれだけ夢中になれるか」といった観点から能力を測れるのではないか? と考える人たちがいて、それぞれを「鮮明性」「統御性」「常用性」「没入性」と呼ぶことがある。

このうち「鮮明性」を測る方法として、VVIQ(視覚的イメージの鮮明さ質問)というツールが用いられることがある。

VVIQとは、例えば「親しい人の顔や姿、服装、歩き方などを心の目に思い浮かべてください」のような短い質問に対して、思い浮かべたイメージの鮮明さを次の5段階、

1. 全く浮かばず、ただ考えてるだけ
2. ぼんやりかすかに
3. ほどほどに明瞭
4. かなり明瞭
5. 完全に明瞭で本物のようだ

で評価する簡単な主観報告型のアンケートで、質問は16項目あり、全ての質問に回答すると16~80点の範囲で合計点数がつく。

つまり、VVIQを用いることで「鮮明性」が数値化(16~80)される。

VVIQはMarks(1973年)によって開発されたツールだが、2015年以降、人々がアファンタジア(イメージ能力がない或いは低い)かどうかを判断するための指標として用いられるようになった(というか現行ほとんどMUSTで使用される)。

ある研究(Dance, 2022)によれば、VVIQの得点が16~32点の範囲をアファンタジアとみなしている。

さて、私はこれまで生涯に渡って覚醒時にイメージを経験したことがただの一度もない、つまり極限のアファンタジアであるため、「鮮明性」は常に完全にゼロ(VVIQ=16点)である。では、「統御性・常用性・没入性」についてはどうか? 言うまでもなく(視覚的な心的イメージにおいては)常に完全にゼロであることは自明である。

そんなわけだから、これまでの私は「鮮明性」だけに関心があり、「統御性・常用性・没入性」はスルーしていた。どうせ全てがゼロなので関心が持てず、文献に登場しても無視していた。

ところが別の人々(VVIQ=17点以上)にとっては「統御性・常用性・没入性」という指標が重要になってくることもあり得る。

さて、ここまでは単なる前置きで、心的イメージ研究で著名な畠山孝男氏による最近の論考にこうある。

『想像力はイメージを生成し活用する特性だとすれば,少なくとも鮮明性と常用性(表象型)が関与すると言えるだろう。例えばアファンタジアの検出にVVIQが用いられてきたが,常用性(表象型)テストが重要なのではないかと思われる』

【出典】
論文:イメージ鮮明性をめぐる諸問題(2024年)
著者:畠山孝男(山形大学名誉教授)
https://sites.google.com/view/jia25
※上記ページに記載の「大会プログラム(完成版)」というリンクを辿ると、論文が掲載されたPDFファイルにアクセスできる。

ここでいう「常用性(表象型)」とは、文脈的には「普段どれくらい視覚的な心的イメージを用いているか」という意味合いだと思われる(多分)。

であるなら、本ポストにおいては単に「(視覚イメージの)常用性」という理解でよい(はず)。

要するに、氏は「これまでアファンタジアの検出にVVIQ(イメージの鮮明性を数値化)が用いられてきたが、常用性(日常におけるイメージの使用頻度)の測定も重要だ」みたいなことを言ってるんだと思う。

氏の指摘は、私のような極アファンタジア(VVIQ=16点)には全く意味のないことだが、17点以上のアファンタジア群にとっては意味があると思う。

なお、常々思っていたことだが、現行のアファンタジア研究(国内・海外)では、人々をアファンタジアとみなすVVIQの閾値を32点以下に設定しているケースが多いのだが、これはどうかと思う。

全くの能力ゼロである16点(下限)と違って、17~32点の帯域の幅や曖昧さ(すなわち「鮮明性」および「統御性・常用性・没入性」のすべてが混じりあった混沌としたスペクトラム)は、アファンタジア(無イメージ)研究の根本を「いい加減なもの」にしかねないパラメータに思える(※個人の感想です)。

閾値は16点にするのが理想だが、該当者が希少なため被験者が集まらないという事情もあると思う。だが、そこで妥協すると進歩がない。この点については後日別のポストで言及したい。


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