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アファンタジアを心的イメージの盲視とみなす


【第1回】 面白い論文

アファンタジアに関して、個人的に非常に興味深い画期的な見解が公開された。

アファンタジアを心的イメージの盲視とみなす(2024年12月)
Aphantasia as imagery blindsight
Matthias Michel, Jorge Morales, Ned Block, and Hakwan Lau
https://www.cell.com/trends/cognitive-sciences/abstract/S1364-6613(24)00293-6
PDFファイル(全文): https://philarchive.org/archive/MICAAI-5

論文の著者に、Hakwan Lau博士(https://x.com/hakwanlau)の名がある。日本には不在かもしれないが理研には在籍中のようだ。

盲視については、日本では吉田正俊さん(https://x.com/pooneil)が研究されてる。
参考 ⇒ http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001316.php
論文 ⇒ https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpnjvissci/30/4/30_30.109/_pdf/-char/ja

たしか1~2年前に「アファンタジアと盲視は似ている」件をポストした記憶があったのでアーカイブを検索したら見つかった(下図)。

今回のLau博士の論文は後ほどじっくり読むが、とりあえず主旨は次の二点のようだ。

(1) アファンタジア研究の第一人者であるZemanの最新論文(下記URL)に示された見解に反論。
https://note.com/nyaphantasia/n/n623f7e5f14a1#7d9e3b9e-465d-4702-982a-e500c175d51f

(2) アファンタジアは盲視に似ており、イメージ能力がないわけではなく(つまり意識下ではイメージ能力はあるが)、イメージ能力が意識上にあらわれていない可能性がある。


【第2回】 論文の概要

アファンタジアを心的イメージの盲視とみなす(2024年12月)
Aphantasia as imagery blindsight
Matthias Michel, Jorge Morales, Ned Block, and Hakwan Lau
https://www.cell.com/trends/cognitive-sciences/abstract/S1364-6613(24)00293-6
PDFファイル(全文): https://philarchive.org/archive/MICAAI-5

さて、上記論文の概要を以下にまとめた。にゃっ太の視点からの超意訳なので内容は一切保証しません。

(1) アファンタジアは「意識上で視覚的イメージを経験しない」「あるいは経験が希薄(以降省略)」とされるが、意識下(即ち非意識)では何らか形態の視覚的表現が処理されている可能性がある。これを「ブランクアクセス」と名付ける。

(2) 脳活動を画像化して分析するfMRI実験の結果から、ブランクアクセス仮説を支持する証拠も得られている。

(3) 今春出版されたZeman論文(2024年)ではブランクアクセスを支持する見解が見逃されているが、この見解は他の見解と比べて優れている。

(4) アファンタジアと盲視(脳の視覚野損傷のため目が見えない人が、なぜか目の前にある「何か」を感じ取ってしまう現象)は、両者ともブランクアクセスが起こっている可能性があるという点で似ている。

(5) 一部のアファンタジアの人々が過去回想や未来想像を苦手としているのは、「意識上で視覚的イメージを経験しない」ため、視覚的イメージや記憶を扱うメタ認知能力(第三者の立場すなわちメタ視点から自分自身の認知すなわち意識や思考や記憶等を客観視する能力)が低下してしまっている(つまり内的世界においてイメージや記憶へのハンドリングが有機的に働いていない)ことが影響しているのかもしれない。

(6) 一部のアファンタジアの人々は「意識上で視覚的イメージを経験しない」ため、その代わりに言語的な戦略などを使って課題に取り組むが、もしかしたらブランクアクセス(非意識的な視覚的表現)に気づいていないかもしれない。

(7) これまでブランクアクセスが見逃されていたのは、課題の設定や、課題遂行時の指示等に問題があったのかもしれない。ブランクアクセスを評価できる課題の再設計を提案する。


【第3回】 論文の感想

アファンタジアを心的イメージの盲視とみなす(2024年12月)
Aphantasia as imagery blindsight
Matthias Michel, Jorge Morales, Ned Block, and Hakwan Lau
https://www.cell.com/trends/cognitive-sciences/abstract/S1364-6613(24)00293-6
PDFファイル(全文): https://philarchive.org/archive/MICAAI-5

上記論文の内容について、アファンタジア(VVIQ=16)とSDAM(自伝的記憶希薄)の当事者として、個人的な感想を述べる。

以下に感想を列挙する。

(1) アファンタジア(aphantasia)と盲視(blindsight)は似ているという主張に同意する。これは私も以前から似ていると考えていた。

(2) アファンタジアには非意識的なイメージ的表現が関与しているという主張に同意する。これは当事者として実感を伴ってそう言える。私はVVIQ=16点の極限アファンタジアであるため、覚醒時に視覚的な心的イメージを経験したことはこれまで一度もない。だが、そのイメージの存在の気配のようなものは意識の中で感じることはある。この気配は「無形で無色透明、非視覚、非感覚、非言語」であって、なんと言うか、例えるなら壁の向こう側にあって、そこへは決してアクセスできない場所なのに「何かあることは分かる」といった実感がある。

(3) Zemanのレビューが「一部の仮説に甘い」といった主張に同意する。

(4) アファンタジアの人には、内省の誤り(introspective error)があるという指摘に対して、その可能性は低いという主張に同意する。アファンタジアは「本人の思い込み、勘違い」ではない。

(5) あくまで自分の場合に限るが、Blomkvistの説(アファンタジアに伴う非意識的イメージは、いわゆる通常の心的イメージに関連する効果を生み出すには不十分であるという説)は間違っている可能性がある。理由は (2) を参照のこと。

(6) 課題の設計や、課題を遂行する際に与える指示に問題があるせいでアファンタジアの人々は「イメージ」を利用しないという主張は、その「イメージ」が非アファンタジアの人々が経験する通常の「心的イメージ」と同等のことを指しているなら、あくまで自分の場合に限るが、その主張は間違っている。あるいは、その「イメージ」が意識上には現れない「非意識的イメージ」のことを指しているなら、その主張は否定しない。つまり、課題の設計や、課題を遂行する際に与える指示が適切なものであれば、アファンタジアの人々は「非意識的イメージ」について説明できるかもしれない。だが、その説明は (2) で述べたように言語化が難しい。

(7) Blomkvistによって提起されたもう一つの説(アファンタジアの人々はエピソード記憶の詳細を思い出すことや未来の出来事を想像することが難しいという説)は、あくまで自分の場合に限るが、その説は正しい。自分は生来のSDAM(自伝的記憶希薄)を自認しているし、未来をより具体的に想像するという行為が自分にはほとんどない(あるいはできない)という特性も自認しているためである。ただ、そういった特性の原因がアファンタジアにあるのかというと、それは分からない。憶測だが、おそらくアファンタジアは原因ではなくて、結果のほうだと思う。

(8) (7)で述べた「過去回想や未来想像がほとんどない(あるいはできない)」という私の特性に関して、論文著者らは「それが本当のことであるとは考えていない」、「それが本当かどうかを疑っている」と主張しているようにも受け取れるが、もしそうだとしたら、あくまで自分の場合に限るが、その主張は間違えている。その主張に至るまでの論理や仮説がどういうものかは別として、その主張は現実を反映していない。

(9) 認知アクセスが現象的意識なしに発生する可能性があること「blank access」と呼ぶことに賛成である。まさに私が感じている実感をあらわした用語だと思う。

とりあえず以上。



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