アファンタジア考 (跡地、超長い、PC推奨)
このページの内容はサイズが増大したため月別に分割してこちらに移動しました。(2024-05-01)
こちら ⇒ https://note.com/nyaphantasia/all
以下は念のため残しておきますが、しばらくしたら削除します。
2024年2月
🍅2024/2/11
アファンタジアの特徴・程度・頻度は人によって様々。自分の場合、多くの人が脳内に浮かぶであろう色・形・像・景などの視覚的なmental imagery(幻視ではなく心的イメージ)が先天的に常に完全に一切ない。おそらく視覚以外の聴覚・味覚・嗅覚・触覚の心的イメージもない。過去の自伝的記憶も欠落。
🍅2024/2/11
アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)の当事者に向く専門分野は何だろうか。想像や創造における重要な武器のひとつである視覚イメージを思い浮かべる能力はゼロだが、それを補うためのalternativeな能力が独自に発達している可能性はある。たとえば言語・抽象・論理の能力など。
🍅2024/2/11
あくまで自分の場合だが、アファンタジアにはメリットもある。たとえば身体感覚(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚など)の心的イメージを伴うフラッシュバックがない。すなわち、トラウマ(心的外傷)の記憶(そのときの身体感覚)が突然かつ鮮明に思い出されるという主観的体験がこれまで一切ない。
🍅2024/2/12
あくまで自分の場合だが、アファンタジアゆえ、過去の出来事のみならず未来の出来事を想像するときも、身体五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)の心的イメージを主観的に体験することは一切ない。なので、未来への不安に関係する強迫症(強迫性障害)にも一部耐性があるかもしれない。
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🍅2024/2/12
あくまで自分の場合だが、心的な視覚イメージが思い浮かばないアファンタジアだからといって、空間やモノの配置や位置の把握、人間の顔の認識や再認識など、こういった課題に問題があるわけではない。むしろまったく問題ない。
🍅2024/2/12
あくまで仮説だが、自分はSDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory:自伝的記憶重度欠落)を持っている。過去に経験した人生のエピソードや細部が希薄で、思い返す記憶の数は少ないし、思い返せたとしても解像感は低い。
🍅2024/2/12
過去に経験したであろう思い出に伴う感情や感覚を体感的に再び疑似体験(再現)するといった主観的経験はこれまで一度もない。自分にとって自伝的記憶とは膨大な数の思い出が詰まっているであろう各エピソードの各箱の表面にぶら下がった小さい名札(客観的概要)に過ぎない。箱は開かない。
🍅2024/2/12
そもそも箱が失われてしまった場合や、箱が存在したとしてもアクセスできない場所にあるということも考えられる。あるいは箱にアクセスできたとしても箱に名札が付いていないため客観的概要が不明(つまり検索されない記憶)という可能性もあるし、
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🍅2024/2/12
そもそも箱は生成(保存)されていなかった(つまり記憶に蓄積されなかった)という可能性もある。SDAMとアファンタジアの関連は不明だが、海外の研究ではアファンタジア当事者がSDAMも同時に持っているケースが確認されている。
🍅2024/2/18
あくまで自分の場合だが、アファンタジアが脳内に視覚的なイメージを描けない理由として、視覚的な情報の気配は脳内で感じているにもかかわらず、その情報を視覚的イメージとして脳内で可視化(visualize)する部分が機能していないのでは?などと考えたことがある。
🍅2024/2/18
たとえば、(仮説1) 視覚的イメージを映す役割を果たすディスプレイに相当する機能が脳内にない、 (仮説2) ディスプレイはあったとしても輝度がゼロなので何もみえない、(仮説3) ディスプレイはあるのだが稼働してない(電源オフ的な)、等々。
🍅2024/2/18
で、先日、興味深いツイート(引用RT参照)を読んだことで新たな新説が浮かんだ。
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🍅2024/2/18
(仮説4) 視覚的イメージはディスプレイ表示領域の範囲外に投影されているためディスプレイに映らない、つまり視覚的イメージにはスコープ(見える範囲)があって、アファンタジアはスコープの外にイメージが投影されているためイメージを脳内で視認できないのでは?
🍅2024/2/21
アファンタジアの特徴・程度・頻度は人によってまるで違っている可能性がある。だからひとくちにアファント(アファンタジアを持つ人)といっても、その経験は大きく異なる場合もあるだろうし、当事者の年齢(残された未来の長さ)によっても人生観に大きな違いがあると思う。
🍅2024/2/21
ただ、アファントを特徴づける最低限の共通点はある。それは「脳内映像すなわち心的視覚イメージがない or 弱い」という点だ。ちなみに「ない」と「弱い」の間には非常に大きな差があると思うので、この両者を一緒くたに扱うのはどうかと個人的には思う。
🍅2024/2/21
日本においてアファンタジア(Aphantasia:心的視覚イメージ想起不能)の知名度は相当低いと思う。なので、多くの日本人当事者(ある研究によれば人口の数パーセント)は自覚すらしていない(自覚が必要だという意味ではない)。
🍅2024/2/21
それでもSDAM(Severely Deficient Autobiographical Memory:自伝的記憶重度欠落)と比べればアファンタジアのほうがまだ知られてるのではないか。先行研究によればアファンタジア的特徴とSDAM的特徴を同時に持つ人が一定数いるのは確かだ。
🍅2024/2/22
このアカウントではアファンタジアのことを(狭義では)心的視覚イメージ想起不能と表現しているが、この表現は誤解を招く可能性がある。以降はあくまで自分の場合に限るが、アファンタジア当事者の自分にも心的な視覚的イメージはある。
🍅2024/2/22
あるのだが、おそらく世間一般の多数の人が認識してる視覚的イメージとは異なる形態の現象として、ある。何があるのかというと、脳のどこかに心的イメージの情報が存在してるような気配(インスピレーション)があり、情報のフィーリングを感じる。なのでまったくの皆無/虚無というわけではない。
🍅2024/2/22
それら情報はときには言語表現として、ときには無形の概念/観念/想念として意識に組み込まれている。つまり心的現象が「ある/ない」というよりも「異なる」と表現するのが正しい。人の遺伝子や環境が人それぞれ異なるように、心的イメージの主観的体感も人それぞれ異なるはずだ。
🍅2024/2/22
よく考えると当然のことであり、むしろ「みんな同じ内的体験をしているはずだ」というのは思い込みに過ぎない。過ぎないのだが、その思い込み(信)が人間性の豊かさでもあり、ポジティブ(ときにはネガティブ)の源泉になるんだと思う。
🍅2024/2/23
先天的な心的視覚イメージ想起不能という現象にアファンタジアという造語で名前を付けたのはゼマン博士だが(2015年)、彼がこの現象を発見したわけではない。有史以来、この現象の存在に気づいた人は数多くいたと思われるが、後世に残る形での情報は残っていない。この現象を最初に確認できる文献は
🍅2024/2/23
1880年にゴルトンという学者によって行われた研究論文だといわれる(この現象についてよく観察された記述を確認できる)。ちなみに自分は20世紀の終わり頃に自身がこの現象を持っていることを自覚したが、当時はこの現象に名前が付いていなかったため、ネットや書籍から入手できる情報はゼロだった。
🍅2024/2/24
自伝的記憶(Autobiographical memory)とは、日常生活の中で経験した個人的に意味のある出来事に関して(kamiya, 2002)、自分自身のアイデンティティを形作るような記憶をいう(Addis & Tippett, 2004)。自伝的記憶を回想するとき、そのときの自我、感情、感覚、存在感、
🍅2024/2/24
生の息吹きのようなものを伴うともいわれる(憶測含む)。要するに、人生の記憶を実感を伴って追体験(再擬似体験)することだと思われる(憶測)。自分にはこれがない。生来、常に一切ない。これをSDAM(Severely deficient autobiographical memory:自伝的記憶重度欠落)と呼ぶそうだ。
🍅2024/2/24
海外の研究ではSDAMとアファンタジアの関連を示す報告もある。なお、SDAMは他の記憶能力や一般的な認知には影響を与えず、健忘症でもないとされる(https://w.wiki/8Xwk)。たしかに記憶や認知の能力に関して、これまで不便や不備を感じたことはない。
🍅2024/2/24
あくまで自分の場合だが、アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)かつSDAM(自伝的記憶重度欠落)ゆえか、過去や未来のエピソードを思い起こすときに心の中で感覚や感情をいきいきと追体験(再擬似体験)することはない。
🍅2024/2/24
もちろん、いま目の前にあるリアルな対象からの感覚や感情への刺激はある。だが、外界からの刺激がない状態で心の中だけで随意的にエピソードを想起する場合、そのエピソードに関する短い無形の客観情報(言語や抽象概念など)だけが思い起こされる。
🍅2024/2/27
個人的な意見だが、視覚性のアファント(アファンタジアを持つ人)を分類するには、心的視覚イメージが弱い人、まったくない人、まずはこの二つを分ける。前者にはさまざまなバリエーションがあることは知られている。では後者はどうだろう。「ない」のだからバリエーションはないと思われがちだが、
🍅2024/2/27
そうでもないと思う。「ない」ものを補うような心的世界は人それぞれ差があるのではないだろうか。例えば言葉で補う人、概念で補う人、抽象で補う人、理論で補う人、等々。だから「ない」人たちが自身のアファンタジアを語るとき、皆が同じような説明にならずバラバラであっても不思議ではない。
🍅2024/2/28
アファンタジアと自伝的記憶欠落に関する最新論文。
海馬(記憶)と後頭葉(視覚野)の接続性は、アファンタジアにおける自伝的記憶欠落に影響を及ぼす
by Merlin Monzel(2024年2月27日)
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1
アファンタジアが造語された2015年以来、アファンタジアに関する内外研究論文は
🍅2024/2/28
数多くあったが、アファンタジアと自伝的記憶欠落との関連をより突っ込んだ論文はなかったように思う。そういう意味ではアファンタジア研究も新しいフェーズに入ってきた。今後の十年はアファンタジアの定義と分類、自伝的記憶欠落との関係、科学的(客観的)測定、個人的にはこの三つに注目。
🍅2024/2/28
アファンタジア(aphantasia)を持つ人々は、aphantasics と呼ばれる。または、あまり一般的ではないが aphants または aphantasiacs と呼ばれることもある。
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Aphantasia .
🍅2024/2/28
近年、海外ではアファンタジア研究論文が頻繁に発表されている。1年間に何本も論文を発表する研究者(ら)もいる。研究の視点も仮説を含めて科学的で面白いものが多い。日本の研究界隈はどうだろう。あくまで私見だが、どちらかというと海外追従(焼き直し)だったり調査集計だったりと
🍅2024/2/28
斬新な視点はない。論文発表も遅々としてる。理研は1年半くらい前から研究してるようだが音沙汰なし。理研以外でも脳スキャン(fMRI)を実施してる研究者が2年くらい前からいるようだが(脳機能的な研究成果は)音沙汰なし。いずれも研究の原資は税金なわけだが、あまり成果は上がっていないようだ。
🍅2024/2/28
国内研究はいまのところ社会や教育の場における理解や支援といったメッセージを含んだものがチラホラ。個人的には余計なお世話だと思ってるが、それらを必要としてる「弱者」がいるならいいんではないの。「弱者」がいるんだか生まれるんだかは知らんけど。
🍅2024/2/28
アファンタジアが自伝的記憶の想起に与える影響(2024年2月24日)
Aphantasia Impacts Autobiographical Memory Recall
https://neurosciencenews.com/aphantasia-memory-25667/ .
🍅2024/2/28
視覚的作業記憶において正確な情報を保持するためには、視覚以外の空間的戦略が効率的である(2024年2月19日)
https://doi.org/10.31234/osf.io/gx2dv
論文の概要しか読んでいないが、言わんとしてることは実感としてよく分かる。自分がそうだから。以降はあくまで自分の場合だが、
🍅2024/2/28
心的視覚イメージが必要と思われるタスクであっても、心的視覚イメージのないアファンタジアがタスクに対応できるのは、視覚イメージ以外の空間的戦略があるから。一般にそれは言語戦略(言葉で覚える)ではないかと思われがちだが、言語化は必須ではない。視覚イメージはまったくないのだが、
🍅2024/2/28
空間における物体の位置や配置は把握してる。だから方向音痴でもないし、駅から自宅に辿り着くための詳細な地図も書ける。目の前にない自室のレイアウトの把握も可能だし絵(2D/3D)に描くこともできる。超下手でよければ特徴的な造形を持った有名人の単純な似顔絵も描くことができる。
🍅2024/2/28
以下は論文概要からの抜粋。
”最近の研究では、アファンタジアのある人は視覚的な作業記憶課題において典型的なイメージを持つ人と同様に機能することが証明されています”
”これは、これまで厳密に視覚的であると考えられていた視覚的な作業記憶タスクを実行するには、
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/2/28
非視覚的戦略の使用で十分である可能性があることを示唆しています”
”典型的なイメージを持つ人は主に視覚空間戦略を使用しましたが、驚くべきことに、アファンタジアのある人は言語戦略よりも非視覚空間および感覚運動戦略の使用を圧”倒的に好みました”
🍅2024/2/28
”これらの結果は、非視覚的空間的および感覚運動的戦略が視覚的作業記憶課題に採用可能であり、これらの戦略が視覚空間的戦略と同様に効率的であることを示唆している”
🍅2024/2/28
アファンタジアがメンタルヘルスケアにもたらす影響(2024年2月15日)
https://doi.org/10.31234/osf.io/zkcr4
論文の概要しか読んでいないが、以前から一部の研究で指摘されているアファンタジアとメンタルヘルスケアの話題。現在のメンタルヘルスケア(カウンセリング?)では
🍅2024/2/28
心的イメージを利用した手法が用いられるが、アファンタジアの人の場合、この手法は効果をもたらさない可能性がある。
🍅2024/2/28
Revisiting the blind mind: still no evidence for sensory visual imagery in individuals with aphantasia(2024年2月)
https://doi.org/10.1016/j.neures.2024.01.008
アファンタジア研究で有名なRebecca KeoghとJoel Pearsonによる論文。彼らは以前からアファンタジアの客観的測定に情熱を傾けており、
🍅2024/2/28
その一環かと思われる。まだ読んでないが、Pearsonらが以前から実験している両眼対抗と知覚プライミングに関するものらしい。
🍅2024/2/28
The role of visual imagery in story reading: Evidence from aphantasia(2024年2月)
https://doi.org/10.1016/j.concog.2024.103645
論文によると、アファンタジア群とアファンタジアでない群は同様の読書習慣を持ち、物語の好き嫌いや評価に関して両者に差はない。
🍅2024/2/28
しかし、アファンタジア群は短編小説に夢中になったり興味を持ったり没頭したりする可能性が低く、物語の登場人物への感情移入や共感が減少しているそうな。ほんまかいな。
🍅2024/2/28
アファンタジアにおける音楽体験(2024年1月12日)
https://doi.org/10.1177/20592043231216259
音楽鑑賞という文脈の中でアファンタジアの感情的体験を調査した研究らしい。結果としてアファンタジア群は音楽に対する回想が少なくエピソード記憶も少ないそうな。
🍅2024/2/28
まあ分かる気はする。自分の場合、視覚イメージのみならず、心的な聴覚イメージの想起が一切ない。ないのだが、その代わりとして内言(擬態音の韻)で音楽の表現を思考の中で構築してる(これは心的聴覚ではなく内的言語とでも言おうか)。ちなみにリアル聴覚では音楽をよく聴く。
🍅2024/2/28
メタ認知的認識とアファンタジアにおける記憶の主観的経験(2024年2月2日)
https://doi.org/10.1162/jocn_a_02120
気になる論文だったので概要を機械直訳。
アファンタジアは心的イメージの欠如を特徴とする状態であり、エピソード記憶の低下を報告することがよくある。しかし、これまでの研究結果は主に主観的な
🍅2024/2/28
自己申告に基づいており、アファンタジアにおけるエピソード記憶の客観的側面と主観的側面の両方を調査した研究はほとんどなかった。本研究ではアファンタジア群の記憶について両方の側面からテストした。驚くべきことに、アファンタジア群は、全体的な心的イメージ体験が弱く、記憶課題に関する
🍅2024/2/28
主観的な鮮やかさの評価が低いと報告しているにもかかわらず、物体記憶の特徴を含むすべての客観的記憶測定において障害がないことが判明した。これらの結果は、一部のアファンタジア被験者の中には心的イメージそのものではなく、心的イメージに対するメタ認知的な認識が欠如している可能性がある。
🍅2024/2/28
私たちの多くにとって、精神的に過去にさかのぼり、独特で個人的な出来事を再訪することは、鮮明で細部に至るまで豊かな心的イメージを伴う。 (D’Argembeau & Van der Linden, 2006; Greenberg & Knowlton, 2014).
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1 .
🍅2024/2/28
↑ これ、本当にそうなのだろうか? ほとんどの人がそうなの? そうだとしたら、人間ってなんと深遠なこころ(脳)をもってるのだろう。
※自分にはないです笑
🍅2024/2/28
”アファンタジアは、様々な認知機能に対する視覚イメージの影響についての自然なノックアウト(特定の機能を持たない)モデルを提供する。我々はここで、視覚的イメージと、鮮明で細部に富んだ個人的な過去の出来事を想起する能力との間に密接な関係があることを報告する。”
https://doi.org/10.7554/eLife.94916.1
🍅2024/2/28
アファンタジアを持つ人々は、アファンタジアという希少で独特な現象に対する興味の対象としてだけではなく、アファンタジアを調べることで視覚的イメージの有無が脳の認知機能(記憶、思考、理解、判断、想像など知的な機能全般)に及ぼす影響をも明らかにする点で関心を呼んでいるようだ。👀
🍅2024/2/28
頭の中で物事をイメージすることができません(アファンタジア)
シェイラ・ラブ 2024年2月26日
https://theguardian.com/wellness/2024/feb/26/what-is-aphantasia-like
上記ページの内容を機械翻訳した結果を画像化した。
🔗機械翻訳の画像を表示する
🍅2024/2/28
脳研究はアファンタジアと自伝的記憶に関する新たな洞察を提供する
2024年2月27日、ボン大学病院
https://www.news-medical.net/news/20240227/Brain-research-offers-new-insights-on-aphantasia-and-autobiographical-memory.aspx
アファンタジアと自伝的記憶について、非常に興味深い内容なので機械翻訳を画像化した。
🔗機械翻訳の画像を表示する
🍅2024/2/29
独り言(すべて個人の感想です)
🔗独り言の画像を表示する
🍅2024/2/29
アファンタジアの有無を客観的に測定する方法として「両眼競合とプライミング反応」「瞳孔反応」「皮膚反応」が挙げられるが、これら方法は信頼に足るのだろうか? 以降はあくまで個人の感想だが、これら方法は万人向けでなかったり主観的なさじ加減で結果が変わる可能性があるように思う。
🍅2024/2/29
なので研究者が言うほど有用でもないと思っているのだが、どうだろう? 客観測定ならfMRI(脳スキャン画像から脳機能を解析)のほうが確かなような気もするが、こちらも期待通りのデータが取得できればいいのだが、そうでないケースのほうが多かったりするのではないだろうか?
🍅2024/2/29
あくまで簡易的なのだが、アファンタジアの有無を測定するため「両眼競合とプライミング」のテストを実施したことがある。被験者はアファンタジアを自己申告する自分と、アファンタジアでないことを自己申告する協力者の計二人で、
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🍅2024/2/29
それぞれ同じテストを行ったのだが、二人とも同じような結果でプライミング効果を得られなかった。これだと二人ともアファンタジアということになってしまうのだが、実際はそうではない。テスト環境のせいなのか、あるいは被験者の性質や主観的さじ加減のせいなのかは不明だ。
🍅2024/2/29
引用RT(最新論文)について:
Reddit の r/Aphantasia でもコメントがついていたが、実験の被験者は先天性アファンタジアを持つ14人と、アファンタジアを持たない16人。被験者数としては少ないような気もするが、全員がfMRIと両眼視野闘争タスク、自伝インタビューをやってるので仕方なさそう。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/2/29
アファンタジア(先天的な心的視覚イメージ想起不能)とSDAM(先天的な自伝的記憶重度欠落)の当事者として、あくまで自分の場合だが、これら現象を持っているからといって、どうということはない。処世するうえでプラスでもマイナスでもない。ただそのままの自分がいるだけ。
2024年3月
🍅2024/3/2
アファンタジアに関する動画の内容をテキスト化して自分の感想を付記した。
https://www.youtube.com/watch?v=k94SP_4BJYc .
🔗感想を記した画像を表示する
🍅2024/3/5
自伝的記憶とは、自分に関する出来事の記憶のことで、自伝的記憶を想起するとき、過去の出来事やそれに伴う感覚や感情の詳細を、あたかも再体験しているかのように思い出すそうだ。(本当に? 比喩や誇張ではなく?)
🔗論文概要の画像を表示する
🍅2024/3/5
自伝的記憶は、エピソード的要素(感覚や感情など詳細を伴って思い出される特定の出来事)と、意味的要素(文脈から切り離され抽象化された個人的な情報や知識)の二つの要素に分けられるとのこと。
論文URL https://doi.org/10.1016/j.cortex.2023.03.004 .
🍅2024/3/5
人生の出来事を鮮明に思い出したり再体験したりすることが生涯にわたってできないSDAM(自伝的記憶重度欠落)は、おそらく自伝的記憶の意味的要素は(多少なりとも)機能しているが、エピソード要素は機能していない。
SDAMとは? https://sdamstudy.weebly.com/what-is-sdam.html .
🍅2024/3/5
エピソード記憶の想起意識とノスタルジア感情に関する認知神経科学的解明(川口潤、2014年)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23653224/23653224seika.pdf
興味深い研究だが、この研究が前提としている常識(先行研究報告)について、自分は生涯で一度も実感したことがない。例えば「近年のエピソード記憶研究においては、
🍅2024/3/5
単に過去の出来事を思い出すということではなく、自分が経験した出来事をあたかも再体験しているかのごとく思い出す(mental time travel)という意識状態(autonoetic consciousness)が重要であると考えられている」のくだり。再体験や心的タイムトラベルといった用語/表現を使っているからには、
🍅2024/3/5
相当にその実感を伴っているからだと推察するが、自分の実感としては何ひとつ分かっていないし、いまだに信じられない。だが、おそらく少なくない人々はこの実感とともに人生を歩んでいるのだろう。これら人々と自分とでは、内的な主観的世界や人生観、自己意識に大きな違いがあるのではないだろうか。
🍅2024/3/5
アイデンティティ確立の個人差が意図的および無意図的に想起された自伝的記憶に及ぼす影響(2013、山本)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjdp/24/2/24_KJ00008761775/_pdf
ざっと読んだが、「アイデンティティ確立⇒自伝的記憶への影響」というよりも、「自伝的記憶⇒アイデンティティ確立への影響」のほうが自然では?
🍅2024/3/5
何故なら最初に記憶ありきだから。オギャアと生まれて最初からアイデンティティが確立されている人などいない。経験の記憶が積み重なることによってアイデンティティが形成されていくのでは?
🍅2024/3/5
論文の最後に「自伝的記憶を想起することによってアイデンティティの確立が促されるという逆方向の影響も十分に考えられる」とあったが、むしろその逆方向のほうがデフォルトでは?
🍅2024/3/5
自伝的記憶の想起が感情状態・自己肯定感に及ぼす影響(髙橋&松野、2017)
https://doi.org/10.4992/pacjpa.79.0_1EV-098
以下に興味のある箇所を抜粋する(その1)
🍅2024/3/5
”自己が経験した出来事に関する記憶は自伝的記憶と呼ばれる。自伝的記憶にはさまざまな機能があると言われているが、大きく分けると自己機能、社会機能、方向づけ機能の 3 種類の機能があると考えられている(Bluck, 2003)。”
🍅2024/3/5
”自己機能とは、自伝的記憶が自己の連続性や一貫性を支え望ましい自己像が維持されることであり、社会機能とは、対人関係やコミュニケーションにプラスの影響を及ぼす面を指しており、方向づけ機能とは、自伝的記憶がさまざまな判断や行動を方向づけることに役立つという面を指す(佐藤,2008)。”
🍅2024/3/5
自伝的記憶の想起が感情状態・自己肯定感に及ぼす影響(髙橋&松野、2017)
https://doi.org/10.4992/pacjpa.79.0_1EV-098
以下に興味のある箇所を抜粋する(その2)
🍅2024/3/5
”自伝的記憶とはその人自身の記憶というだけでなく、自分がどのような人かを認識しどのように生きていくかを考えるための基礎となる記憶であるといえよう。”
”自伝的記憶の形成には感情が重要な役割を果たしており、個々のエピソードには様々な感情が付随している(神谷,2002)。”
🍅2024/3/6
アファンタジア当事者の約半数はSDAM(自伝的記憶重度欠落)を持っているという報告がある。※引用ポスト参照。
以下は、自伝的記憶の著しい欠損を「SDAM」と名付けた2015年の論文。
健康な成人における自伝的記憶の重度欠損(SDAM):新たな記憶症候群
https://doi.org/10.1016/j.neuropsychologia.2015.04.012 .
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/6
この有名な論文には、SDAMに関して次の記述がある。
1. 認知機能に問題のない健康な成人において、生涯にわたって自伝的体験の再体験(すなわち個人的に経験した出来事を一人称の視点から鮮明に思い出して主観的に追体験すること)が著しく欠損される現象をSDAMと名付ける。
🍅2024/3/6
2. SDAMは意味的(事実的)記憶よりもエピソード的(特に視覚的)記憶に特有の欠損がある。
3. 一般的な学習や記憶はエピソード的なもの以外の方法で達成できるため日常生活は問題ない。
🍅2024/3/6
SDAM(自伝的記憶重度欠落)の典型例は次の通り。
・過去の具体的な出来事を思い出すことができない
・自分の過去の人生について語るのが難しい
・幼少期の記憶がほとんどない
・写真を見ても、その時の記憶が蘇らない
・自分の人生が他人事のように感じられる
すべて当てはまる。
🍅2024/3/6
1/
今年の1月、アファンタジアに関する非常に興味深い論文が発表された。
論文 ⇒ https://doi.org/10.1101/2024.01.10.574972
概要と感想 ⇒ これまで、心的イメージはV1表現(大脳皮質1次視覚野の神経活動)と主観的体験の二つの要素が連動してるとみられていたそうな。
🍅2024/3/6
2/
しかし、必ずしも連動していないケースが確認された。具体的には、心的イメージの主観的体験が全くないアファンタジア群であっても、心的イメージの自発的想起時(※)にV1表現がみられるケースがあった。
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🍅2024/3/6
3/
※心的イメージの想起には、voluntary(随意的すなわち自らの自由意志で意識的に)とspontaneous(自発的すなわち意志によらず自然発生的に無意識的に)の二種類があり、どちらも日本語では自発的あるいは随意的という訳語になりがちだが、両者の意味は完全に異なる。
🍅2024/3/6
4/
つまり、ヒトの脳内にV1表現がみられたからといって、必ずしもそれに連動した主観的体験が伴っているとは限らないことが分かった。(アファンタジアの場合、V1表現が主観的体験に反映されていない?)
🍅2024/3/6
5/
したがって、心的イメージ(主観的体験)あるいは心的イメージ(V1表現)の、どちらか片方のみを扱っているにもかかわらず、両者の区別なしに心的イメージ(大雑把)という用語を使い続けるのは問題ではないだろうか。
🍅2024/3/7
SDAM (自伝的記憶重度欠落) の研究で有名なBrian Levine博士によると、アファンタジア(心的視覚イメージ想起不能)を持つ人はSDAMを同時に持つことが少なからずあるという。
以降はあくまで自分の場合だが、アファンタジアとSDAMは似ている。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/7
視覚イメージ(例えば恋人の顔)を思い浮かべることは「ない」が、恋人の顔は「知ってる/分かってる」。
自伝的記憶(例えば三日前に恋人と一緒に経験した極めて特別な出来事)を主観的に再体験することは「ない」が、出来事があったことは「知っている/分かっている」。
🍅2024/3/8
1/
アファンタジア(脳内イメージ欠如)を持つ人は日常生活に困っていることを社会の皆様に知ってほしい、という思想について:
アファンタジア(脳内に心的イメージが浮かばない現象)の国内研究者として知られる高橋純一氏(あるいは髙橋純一、アファンタジアの非当事者、職種は福島大学の准教授、
🍅2024/3/8
2/
専門は発達障害、障害理解、特別支援教育など)のこれまでの活動について、アファンタジア当事者の個人として感じたことを率直に書いておく。氏の活動内容を振り返ると、「アファンタジアのせいで困っていると主張する当事者がいる」
🍅2024/3/8
3/
「困っている事例やデータをコレクションして、それらを知見とすることで、社会のアファンタジアへの理解に寄与したい」「多様性(ダイバーシティ)を理解し、共生(インクルーシブ)社会を」という姿勢を感じる。だが、氏の言論が社会に周知されることによって、
🍅2024/3/8
4/
アファンタジアを自覚している当事者および将来アファンタジアを自覚するであろう当事者らに「私のアファンタジアはネガティブだ」という信念を植え付ける(あるいは強める)可能性や、一般大衆に「アファンタジアだと困るみたいだね」というバイアスが広まる可能性を懸念する。さらに、
🍅2024/3/8
5/
それらの結果として、当事者に弱者意識が広まったり、社会に弱者利権や偏見が生じる可能性も懸念している。もちろん、氏にそういった思惑があると言っているわけではない。氏に思惑があろうとなかろうと、今後、氏の言論による影響が大なり小なり社会に浸透していくのは間違いない。
🍅2024/3/8
6/
そして、弱者意識や権利意識が高い当事者の言動や、それらに「善意で」寄り添う識者らの言動が、より拾われていくのではないだろうか。仮にそうなったとしたら自分はどうするか? おそらくアファンタジアの当事者であることを隠し、アファンタジアについて語るのをやめる(それはそれで構わない)。
🍅2024/3/8
7/
付録:参考として、氏の最新研究のひとつを示す。
「アファンタジア当事者の日常生活における困難と対処法について」(2023年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy/2023/0/2023_109/_pdf/-char/ja
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22H03910/
以降はあくまで個人的な感想だが、まず、被験者の数(39名)が少ないと思う。
🍅2024/3/8
8/
次に、被験者の選び方の妥当性に疑問を感じる(例えば、困っていると主張する人ほど声が大きく、第三者にそれを伝えたいというバイアスの可能性)。そして、被験者をアファンタジア群とみなす根拠が主観(自己申告および主観回答VVIQ32点以下)に依存しているため、基準や分類に頼りなさを感じる。
🍅2024/3/8
9/
さらに、実験の実施がネット経由(グーグルフォームによる質問票への主観回答)というのも、対面での実施と比べて雑になりがちなような気もする。もちろん、実施の事情やVVIQが定番ツールになっていることは承知しているが、あえて指摘する。
🍅2024/3/10
@CourrierJapon
アファンタジアを「心の目が見えない」「頭の中で視覚イメージを描けない」こと(即ちVVIQ16点=a(無)phantasia=推定0.1%~1%以下)と書いておきながら、推定で3.9%とも書く(即ち多少は見えるVVIQ17~32点程度のhypo(低)phantasiaを含む)。この手の記事の殆どにみられる誤解を招く内容。
🍅2024/3/10
アファンタジアに関して数字(統計)が独り歩きしてる例。内外ニュース記事の殆どはこんな感じ。毎度ながらアファンタジアの定義が曖昧。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/10
Redditに「一人称の視点から記憶を再体験できないというのは、具体的にどういう意味ですか?」というテーマがあり、そこに付いていたコメントがSDAM(自伝的記憶重度欠落)のフィーリングを具体的に説明していたので和訳する。自分も同じようなフィーリングがある
https://www.reddit.com/r/SDAM/comments/1b8f5k5/comment/ktru6u8/ .
🔗コメント画像を表示する
🍅2024/3/10
こんな記述がある
”そのパーティーにいた親友のことを考えると、良い気分になるかもしれません。なぜなら、私は「いま」その友人に対して何かを感じているからです”
この心情は非常に興味深い。何故なら「良い」の部分を「悪い」に置き換えると…
言いづらいことだが同じ当事者として指摘しておく
🍅2024/3/13
1/
脳内で視覚的イメージを描けない「アファンタジア」の長所と短所(2023/03/29)
https://bigissue-online.jp/archives/1081543682.html
以下、あくまで自分の場合に限っての感想を書く。(引用文中の※部分は自分が追記した)
🍅2024/3/13
2/
「楽しい(※自伝的)体験でも覚えていられない(※思い出さない)」、「未来に向けたポジティブな(※そしてネガティブな)イメージも少ない」とある。
そのとおりだと思う。視覚イメージの不在あるいはアファンタジアと併存しやすいSDAM(自伝的記憶重度欠落)の影響があるのではないか。
🍅2024/3/13
3/
「アファンタジア特有の利点もある。自由、真実、共同体といった抽象的な概念であれば、明確に考えることが得意」とある。
そんないかにもイデオロギー的な発想よりも、事象に対して言語、概念、抽象、論理で考えることが、視覚イメージに代わる別の戦略として身についているのかもしれない。
🍅2024/3/13
4/
「視覚的イメージがむずかしいために、不安感にとらわれにくい」とある。
そのとおりだと思う。一方で、国内アファンタジア研究のパイオニアでもある高橋純一氏(あるいは髙橋純一、アファンタジアの非当事者、職種は福島大学の准教授、専門は発達障害、障害理解、特別支援教育など)によると、
🍅2024/3/13
5/
「アファンタジア当事者はイメージの共有ができないためにコミュニケーションで困難を感じやすく、さらにエピソード記憶の弱さから個人内の思考や行動でも不安を感じやすい」という見解もあるようだ(福島大学研究年報 第18号より)。
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000005924/21-18-15.pdf .
🔗福島大学研究年報 第18号の画像を表示する
🍅2024/3/13
6/
あくまで私見だが、高橋氏の見解は極端(過剰な一般化)だと思うし、アファンタジアへの誤解や偏見を招きかねない危うい言論になる可能性がある。氏のこれまでの研究や言論には「アファンタジアのせいで困っていると主張する当事者がいる」、
🍅2024/3/13
7/
「多様性(ダイバーシティ)を理解し、共生(インクルーシブ)社会を」といった思想がみられるので、そういった思想との整合性に焦点をあてた活動になりがちなのかもしれないが、いちアファンタジア当事者としては高橋氏の言論による界隈や一般への影響が懸念される。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/14
1/
視覚性のアファンタジアといえば、ほとんどが先天性だが、まれに後天性もある。
ある研究(Dawes et al., 2022)によると、VVIQ得点(視覚スコア)が下限の16点(無イメージ)から32点(低イメージ)までのアファンタジア群を調査したところ、約97%は先天性で、残りの約3%は後天性だという。
🍅2024/3/14
2/
以降はあくまで私見だが、先天性アファンタジアと後天性アファンタジアは、次の五つの点で異なる。
※以降、「視覚イメージ」とは、「随意的すなわち自らの自由意志で意識的に浮かべる心的な視覚イメージ」であることを留意されたし。なので、意志によらず無意識的にみる夢などの現象は除く。
🍅2024/3/14
3/
【後天性アファンタジア】視覚イメージが有る状態と無い(または希薄な)状態の二つの定常的な状態を、短期間(例えば10日間)で経験する。自覚しやすい。
【先天性アファンタジア】生来、視覚イメージが無い(または希薄な)状態のみを経験する。自覚しにくい。
🍅2024/3/14
4/
【後天性アファンタジア】視覚イメージを失う前と後の落差を実感して不安になったり、喪失感から不全感を強める可能性も。
【先天性アファンタジア】生来、視覚イメージが無い(または希薄な)ため、落差も喪失感もない(が、視覚イメージに富んだ他者と比べることで不全感を強める可能性も)。
🍅2024/3/14
5/
【後天性アファンタジア】これまで思考において視覚イメージを活用していた場合、今後はそれができなくなる(または難しくなる)。
【先天性アファンタジア】生来、思考において視覚イメージを活用したことがない(または活用したとしても希薄なので限定的)。
🍅2024/3/14
6/
【後天性アファンタジア】これまで思考において視覚イメージに頼っていた場合、それに代わる別の戦略を身につける必要が生じる。
【先天性アファンタジア】生来、思考において視覚イメージを利用しないため(または頼っても希薄なため)、意識せずとも、それに代わる別の戦略が身についている。
🍅2024/3/14
7/
【後天性アファンタジア】もしかしたら以前の状態、つまり視覚イメージが定常的に有る状態に戻れる可能性も。
【先天性アファンタジア】おそらく視覚イメージが定常的に有る状態(または、これまでよりも有ると実感できる状態)にはならない。
🍅2024/3/14
8/
以上をまとめると、ひとくちにアファンタジア当事者といっても、先天性と後天性とでは、さまざまな面で大きく異なる。人類の中でアファンタジアを持つ者は少数だが、後天性の場合はさらに少数であり、後天性ならではの問題に直面するかもしれない。
🍅2024/3/14
9/
なお、高齢者の老化現象のひとつに視覚イメージが有意に減少するという報告もある。この場合、単なる老化現象とするのか、それとも後天性アファンタジアにあたるのか興味深い。逆に、アファンタジアは若年性老化現象のひとつという可能性は?(適当)
🍅2024/3/16
1/
現状、アファンタジアの測定は主観(自己報告やVVIQ)に依存しているが(※ピアソン教授らによる客観的測定の試みについては今回は割愛)、うつ病のような大メジャーな現象であっても問診(当事者の主観+観察者の主観)に依存しているという現実がある。
参考:https://www.amed.go.jp/news/seika/files/000109291.pdf .
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/16
2/
以降はあくまで私見だが、あらゆる精神疾患の診断でよく使われるDSM等のツールも問診の補助にすぎず、本質的にはVVIQのような主観報告アンケートと大差ない。曖昧だし嘘が入る可能性も(意図する/しないに関わらず)ある。考えてみれば当たり前のことだが、
🍅2024/3/16
3/
人類は心(主観)や脳(物質で構成されたシステム)のことをほとんど分かっていない。視覚イメージ不在という先天性アファンタジア当事者にとって常識的/普遍的な主観的現象でさえ、人類は10年くらい前までよく分かっていなかった。
🍅2024/3/16
4/
脳(物質)を撮影して脳(システム)の活動や機能を解析するfMRIのような方法であっても、心(主観的体験)の細部を覗けるわけではない(覗けるとしたらディストピアだが)。そんなわけで現状、アファンタジアの測定は主観申告に頼らざるをえず、
🍅2024/3/16
5/
利便性やコスト的にも有利なVVIQが今後もいっそう広く使われるのではないだろうか。VVIQでさえ煩雑ということであれば、鮮明から不鮮明に変化するリンゴや馬の連続画像を5枚くらい見ることでアファンタジアの簡易自己測定ができる。この方法は安直のようだが、
🍅2024/3/16
6/
VVIQのようなテキスト文章だけで表現された資料を読むよりも、案外アファンタジアの核心を端的に表現している(とくに何も映っていない真っ黒な画像は実感しやすい)。この方法で自身のアファンタジア可能性に気付いた当事者も多いのでは。
🍅2024/3/16
7/
ただ、本来アファンタジアでない人が自分をアファンタジアだと思い込んだり、そのときの気まぐれで自分はアファンタジアではないかしら?などと話題にしたがるファッション・アファンタジアが出現したりと、(HSPインフレと同じような)アファンタジア・インフレの懸念はある。
🍅2024/3/17
1/
これまでほとんどのアファンタジア研究では、頭の中で随意(意識的)に浮かべる視覚イメージの鮮明さ尺度を「下限16~上限80」とし(いわゆるVVIQ得点)、そのうち「16~24」あるいは「16~32」の範囲をアファンタジア(視覚イメージ欠如)とみなしている。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/17
2/
尺度が「下限16~上限80」だと分かりづらいので、「下限0~上限100」に換算して言い換えると、視覚イメージ鮮明さ尺度「0~100」のうち、「0~12程度」あるいは「0~25程度」の範囲をアファンタジアとみなしている。
🍅2024/3/17
3/
自分の場合、随意の視覚イメージを生涯で一度も経験したことがないから、0か1(1~100)のデジタルでもなく、アナログ部分(1~100のスペクトラム)もなく、ただ0がある(つまり無がある)だけで判断も選択も発生しない。
🍅2024/3/17
4/
即断即決。ありのまま。常にはっきりしてる。時と場合、体調、想起対象、環境、年齢などの外的内的パラメータにも左右されず、常にゼロ。ヘンな表現だが「主観のふらつき」がない。とくに他の心的感覚(聴覚等)と違って心的視覚の場合は実感的に分かりやすいので尚更。
🍅2024/3/17
5/
一方、うっすらでも瞬間的にでも随意の視覚イメージを経験したことがある人は0を選べず(※選んでしまう人もいるかもしれないが)、アナログ部分(1~100)のうち「どれくらい?」をなんとなく選ぶわけだから、「主観のふらつき」が発生しやすく、ときには大きくふらつくことも考えられる。
🍅2024/3/17
6/
したがって、「0の人」と「1~12程度あるいは1~25程度の人」を混在させた集団を区別なくひとつのアファンタジア群とみなして各種実験を行う現在のアファンタジア研究のあり方は問題があるように思える。
🍅2024/3/17
7/
「0の人(常に完全に見えない人)」と「1以上の人(多少なりとも見える人)」では厳密には脳内の現象が違うかもしれず、脳内のメカニズムも異なる可能性があるのではないだろうか。
🍅2024/3/17
8/
ちなみに、内外の研究では「0の人」の出現率は約0.7%(Zeman et al., 2020)、約0.8%(Dance et al., 2022)、約0.07%(Takahashi et al., 2023)といった感じで、概ね100人~1000人に1人未満であり、
🍅2024/3/17
9/
「1~12程度の人」の出現率は約1.9%(Zeman et al., 2020)、「1~25程度の人」の出現率は約3.1%(Dance et al., 2022)、約3.7%(Takahashi et al., 2023)といった感じで、概ね100人に2人未満~4人未満となる。※数字はあくまで限定条件内の統計だから参考程度。
🍅2024/3/17
10/
また、海外では「0~25程度」をaphantasiaと呼ぶこともあれば、「0だけ」をaphantasia(無イメージ)、「1~25程度」をhypophantasia(低イメージ)と呼ぶこともある。
🍅2024/3/17
11/
まとめ。学術や研究の世界とは縁のない知的平民からの私見だが、現行ほとんどのアファンタジア研究ではアファンタジアの定義も基準も分類も大雑把のまま統計や実験を行っており、この状態が分野の未来にとって好ましいとは思えない。かといってどうにもならないから、なんかモニョモニョする。
🍅2024/3/18
12/
追記:海外アファンタジア論文検索をボケーッと眺めていたら、このスレッドの話題(アファンタジア出現率)にめっちゃタイムリーな論文(査読前原稿)を見かけたのでざっと読んでみた。
異なる視覚的イメージ能力の出現率に関する国際的な推定(2024-03-13)
https://dx.doi.org/10.2139/ssrn.4758362
以下和訳。
🔗和訳画像を表示する
🍅2024/3/19
1/
アファンタジア研究はこのままでいいのか?に関する最新論文を読んだ。自分も常々考えていたことなので共感しかない。
What is the true range of mental imagery?
心的イメージの真の範囲とは?(2024年1月)
https://doi.org/10.1016/j.cortex.2023.09.013 .
🍅2024/3/19
2/
概要(一部):
◆心的イメージとアファンタジアの研究を制限している問題のひとつは、心的イメージに内在する主観性である。
◆心的イメージの多面的な性質を理解できないことは、科学的研究の妨げになる。
🍅2024/3/19
3/
◆行動学的実験であれ、神経画像実験であれ、脳損傷患者を対象とした研究であれ、心的イメージに関する現在の研究から研究者が導き出した結論は時期尚早である。
◆私たちは心的イメージを研究する方法を変えなければならない。
◆鮮明さなどという漠然とした概念にとらわれないようにしよう。
🍅2024/3/19
4/
◆その代わりに、心的イメージの細部や強度をより直接的に探る課題を考案すべきである。
◆そして、心的イメージとワーキングメモリーの間に関係があるとすれば、それをもっと理解しなければならない。
🍅2024/3/20
アファンタジアを客観で概観した興味深いテキストを読了。こころ(各人各様主観)の体験であるアファンタジアを客観する難しさにも言及。自称VVIQの乱立やそれを扱う主体に対して懸念や感情があるようで、学的な手続き大切を説く。アファンタジアでない群を健常人と表現。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/20
アファンタジアはイメージ欠如と表現されることが多いが、前々からイメージとはなんぞや? 幻覚や夢とは違うのか? が気になってた。これに関するテキストを見かけたので後で読む。
刺激に依存しない知覚「幻覚、イメージ、夢」の類似点と相違点(2020年12月14日)
https://doi.org/10.1098/rstb.2019.0701 .
🍅2024/3/20
表題: Hallucination, imagery, dreaming: reassembling stimulus-independent perceptions based on Edmund Parish's classic misperception framework
著者: Flavie Waters, Joseph M. Barnby and Jan Dirk Blom
公開: 14 December 2020
🍅2024/3/20
外界からの刺激のない知覚体験いろいろ
【1】夢
・睡眠中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だと思ってる
・通常の感覚知覚とは混ざらない
(完全に没入した体験)
🔗まとめ画像を表示する
🍅2024/3/20
【2】明晰夢
・睡眠中に経験
・自分の意志で制御できる(個人差あり)
・現実だとは思ってない(夢であることを自覚)
・通常の感覚知覚とは混ざらない
🍅2024/3/20
【3】イメージ(心的イメージ)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できる(個人差あり)
・現実だとは思ってない
(想像であることを自覚)
・通常の感覚知覚とは混ざらない
🍅2024/3/20
【4】幻覚(真性幻覚)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だと思ってる
・通常の感覚知覚と混ざる
🍅2024/3/20
【5】偽幻覚(仮性幻覚)
・覚醒中に経験
・自分の意志で制御できない
・現実だとは思ってない
(幻覚であることを自覚)
・通常の感覚知覚と混ざる
🍅2024/3/20
【6】自分が経験した視覚体験(hypnopompia)
・睡眠から覚醒への移行中に経験
・おそらく自分の意志で制御できてない
・現実だとは思ってない
(仮想のイメージを見てるという強い実感)
・通常の感覚知覚とは混ざらない
・数秒~十数秒間を、生涯で数回のみ経験
・【2】明晰夢か?【5】偽幻覚か?
🍅2024/3/20
※上記内容は保証しない
※以下は自分の場合
上記【1】【6】のみ経験したことがあるが、それ以外は生涯で一度も経験したことない。外界からの刺激のない知覚(視覚以外⇒聴覚/味覚/嗅覚/触覚)は、生涯で一度も経験したことない。【1】の夢で、いわゆる視覚イメージを経験してない可能性がある。
🍅2024/3/21
たしかに、自身が抱える諸問題(例えば能力、性格、処世)をアファンタジアに結びつけてそこへのフォーカスを強めるア当事者(雑な自認含む)は少なからずいる。一方で、自身の都合により当事者が持つ性質や現象を、(結果として)玩具的(例えば興味本位、おせっかい)に扱う研究者も少なからずいる。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/22
精神科医で心理学者のユングがハイパーファンタジア(随意の心的イメージを本物のように感じる)を持ってた説。ある報告(Wright, 2024)によれば無イメージのアファンタジアは約1%、低イメージのハイポファンタジアは約3%、ハイパーファンタジアは約6%の出現率だそうだ。
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2024.1358329
🍅2024/3/22
著者によるとSDAM(極めて欠落した自伝的記憶)の対極にあるHSAM(極めて優れた自伝的記憶)について初の体系的なレビューだそうだ。
https://doi.org/10.1007/s11065-024-09632-8
🍅2024/3/22
最新の論文によれば、先天的に随意の視覚イメージ能力が無い(VVIQ16)または低い(VVIQ24以下の)アファンタジアを持つ男性は、計算機的思考を必要とするSTEM分野(科学、技術、工学、数学)で働く可能性が高いそうだ。https://doi.org/10.31234/osf.io/c5uey
たしかに自分(VVIQ16)も一貫してこの分野を選んでる。
🍅2024/3/22
おそらく視覚イメージ能力の低さが効率的な分析的推論能力と関連するとされる。自分の場合、視覚イメージ能力はゼロ、顔や空間の認識能力はまずまず。
論文著者にZeman(アファンタジアの命名者)とLevine(自伝的記憶重度欠落SDAMの命名者)の名がある。Zemanは以前からこの傾向を指摘してる。
🍅2024/3/24
完全なアファンタジアがある父が心臓手術後に約3日間、目を閉じるたびに非常に鮮明なハイパーファンタジア能力を発揮し、自分が想像していることを完全に制御できました。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1blp0re/from_aphantasia_to_hyperphantasia_for_a_few_days/
せん妄では?
あるいは薬物(全身麻酔)による影響?
🍅2024/3/24
私は生涯アファンタジアです。約10年前、ハイパーファンタジアだと思われる現象を数時間経験した。原因は極度の肉体的疲労とストレスによるものだったと思う。一度寝て起きたら現象は消えてしまった。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1blp0re/comment/kw7arxi/
この事例は興味深い。普段は能力が隠されているのかもしれない?
🍅2024/3/24
たまに聞く逸話で、臨終から生還した人が「人生の出来事が走馬灯のように浮かんだ」的なことを言ったり、交通事故にあった人が事故の瞬間の仔細をスローモーションで見た的なことを言うが、これは普段隠されている脳の能力なのだろうか? オカルト(スピ系)じみてるが興味深い。
🍅2024/3/24
かくいう自分(アファンタジア、VVIQ=16)も、これまで数回のみだが、睡眠から覚醒に至る途中で鮮明な視覚イメージ?幻視?を数秒~十数秒見た経験がある。随意/不随意、睡眠中/覚醒中を問わず、心の目で視覚的な主観的経験を実感したのは生涯でこの出来事のみ。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/24
私の彼女がhypophantasiaであることを最近発見した。彼女の記憶は動画として再生されない。一連の静止画、あるいは一瞬の静止画だけ。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bmjssz/hyperphantasic_with_hypophantasic_partner/
彼女はhypophantasia(低イメージ)ではなくて通常のイメージャー(多数派)に思える。もちろんaphantasia(無イメージ)ではない。
🍅2024/3/25
自分はアファンタジアを持ってるから○○○ができない。アファンタジアを持ってない人は自分と違って○○○ができる。こういった信念タイプは一定数いるが、若い人に多い印象(私見)。有り余る情報、少ない経験、幻想他者との比較、過剰な自意識、本当の自分は症候群、等々。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bn8uss/struggling_with_medical_school_exams_due_to/ .
🍅2024/3/25
で、こういったタイプを含む当事者から「困ってること事例」を集め、学会や世間に対して「アファンタジアを持つ人は生活に困ってる」といった話を広め、「多様性に理解を」社会の実現を目的とする研究がこちら。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/26
1/
徳島大学 佐原理 准教授(https://w.wiki/9Zz2)によるアファンタジア研究論文が「美術教育学」賞を受賞した。(2024年3月5日)
https://www.ias.tokushima-u.ac.jp/news/2894/
とのことなのでググったら、関連情報は主にここだけだった。
⇒ https://confit.atlas.jp/guide/event/arteduhyogo2023/session/2meeting604-04/detail?lang=ja .
⇒ https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-20K14004/20K140042022jisseki/
🍅2024/3/26
2/
のっけから『視覚的イメージを脳内で形成しない認知特性アファンタジアは4%程度で出現し、さらに近似するハイポファンタジアの認知特性の者も一定数いる』という説明文があり、少々のけぞった。
以降はすべて憶測だが、この説明文(2023年春頃)はおそらく間違ってるか、現時点では適切ではない。
🍅2024/3/26
3/
出現率に関する著名な先行研究によると、無イメージ(アファンタジア、VVIQ=16)は0.7%(Zemanら,2020)あるいは0.8%(Danceら, 2022)、低イメージ(ハイポファンタジア)は1.9%(Zemanら,2020、VVIQ=17~24の場合)あるいは3.1%(Danceら,2022、VVIQ=17~32の場合)とある。
🍅2024/3/26
4/
佐原氏の説明文だと先行研究の「無イメージ+低イメージ」のことを「アファンタジア」とみなしていると同時に、先行研究の「低イメージを超えた、一般的なイメージ能力(多数派)」のうち低い群を「ハイポファンタジア」とみなしているようにも思え、用語や数値に矛盾や混乱があるように思える。
🍅2024/3/26
5/
また、こちらの説明文では、
https://www.ias.tokushima-u.ac.jp/news/2894/
『生涯にわたり心的な視覚イメージをもたないアファンタジアスペクトラム』とあるが、「視覚イメージをもたない」は「アファンタジア(無イメージ)」のみであって、「アファンタジアスペクトラム(無~低イメージの連続体)」ではない。
🍅2024/3/26
6/
佐原氏の最終的なアウトプットは「美術教育学」第44号(2023年)に掲載とのことだが、自分には読む手段がない。もしかしたら今後こちらのサイトに掲載される可能性はある。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/aaej/list/-char/ja
年内には読める可能性があるので、公開されたら読んでみたい。
🍅2024/3/28
アファンタジアとハイパーファンタジア:イメージの鮮明さの極限を探求
Aphantasia and hyperphantasia: exploring imagery vividness extremes
Adam Zeman
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007
アファンタジアの命名者で研究の第一人者であるAdam Zemanによる論文が2024年3月27日に公開された。
🍅2024/3/28
アファンタジアの探求:心象風景を持たない心
https://neurosciencenews.com/aphantasia-visual-imagination-25823/
こちらのニュース記事によると、Zemanは約50件の先行研究の包括的レビューを実施したそうだ。アファンタジア研究の一つの区切りと今後の指針になればいいと思う。まだ読んでないが非常に楽しみ!
🍅2024/3/28
1/
以降は完全に個人の空想です。まずはZeman論文の冒頭Abstract部分を読んだが、
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007
相変わらずZemanによるアファンタジアの用語を使った説明は微妙だ。アファンタジアの意味は語源から捉えると「視覚イメージ(心の目)の不在」を意味してるわけだが、
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🍅2024/3/28
2/
どうやらZemanは「視覚イメージの不在または弱い」という二つの意味を含ませたいらしい。で、「視覚イメージの不在」のほうはわざわざ「extreme(極度の)アファンタジア」なんて呼んでいる。最近、ハイポファンタジア(視覚イメージが一般よりも弱い)という、
🍅2024/3/28
3/
より適切な用語が使われ始めているのに、そういった用語は無視して、自分が命名した大事なアファンタジアという用語の範囲により多くの人々が当てはまるような(メジャー志向な)使い方をしている。なにやらZemanの意志を感じるのは気のせいだろうか。うろ覚えだが、近年、視覚以外の、
🍅2024/3/28
4/
例えば聴覚イメージの不在を意味する用語も提案されたが、Zeman一派らはこれに反対してわざわざ声明まで出している。「そういった現象はすべて(ボクが名付けた)アファンタジアのファミリーとすべきだ。ファミリーの結束を乱してはいかん」(意訳・M.ブランド調で)といった具合だ。たしか、
🍅2024/3/28
5/
「必要に応じてアファンタジアの左側に修飾語(例えば聴覚イメージ不在の場合はauditory)を付けるべきだ」(意訳)みたいなことも言ってた。近年、複数の用語が乱立しつつある状況を踏まえると、英国内でアファンタジア覇権を巡って、
🍅2024/3/28
6/
派閥争いでもあるのだろうか? extreme(極度の)アファンタジア当事者の一人としては、解釈の幅をダラダラ広げた誤解を受けやすい用語ではなくて(実際、内外の多くのメディアはアファンタジアという用語の意味にふらつきがあるので)、明解な用語の定義と使用を望みたい。
🍅2024/3/29
1/
アファンタジア研究の第一人者であるZemanによるアファンタジア最新論文の全文をざっと読んだ(Google自動翻訳で)
https://doi.org/10.1016/j.tics.2024.02.007
とくに目新しい知見はなく、これまでの先行研究のまとめであった。なので、アファンタジアの最新情報をウォッチしてる識者には退屈かもしれないが、
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🍅2024/3/29
2/
これからアファンタジア研究の最前線を知ろうという人や復習したい人にとっては有益だと思う。
個人的にいくつか注目したトピックがあったので以下に感想を記す。
「ほとんどにとって、視覚イメージは意識的経験の普遍的な特徴である」とあるが、
🍅2024/3/29
3/
こういった記述を読むたびに、「視覚イメージを定常的に持っている人がいるって本当のことなんだ」と自分を納得させている。理性では理解しているのだが、実感としては経験したことがないため、なにか不思議な感じがする。
🍅2024/3/29
4/
「アファンタジアを持つ被験者のほとんどが、意識的なイメージがないことによる不自由さの感覚よりも、意識的なイメージに対する好奇心を述べている」とあるが、これは当事者として共感する。自分も同様で、アファンタジアを持つことがネガティブだとは考えておらず、
🍅2024/3/29
5/
この極端な現象(すなわちアファンタジアとハイパーファンタジア)への興味しかない。
「懐疑論者は、アファンタジアとハイパーファンタジアが本当に個人差を反映しているのか、それともノイズの多いメタ認知や、あるいは偏ったメタ認知による人為的なものなのかを疑うのも無理はない」とあるが、
🍅2024/3/29
6/
そりゃアファンタジアを経験したことのない人(世の中のほとんどの人)の中には疑う人もいるだろうなとは思う。アファンタジアを経験している当事者としては、そういった懐疑論者の主張が頭でっかちのアホにみえるときもある(彼らの存在が研究の深掘りに貢献していることは知っています)。
🍅2024/3/29
7/
「アファンタジアは、精神障害としての分類を正当化するほど、日常生活や精神的健康に影響を与えない。アファンタジアとハイパーファンタジアには、それぞれ長所と短所があると考えられる」とあるが、この考え方に同意する。
🍅2024/3/29
8/
アファンタジアを持つ人は困ってるという部分を拡大フォーカスする研究者も一部にはいるようだが、当事者の一人としては余計なお世話に思える。また、教育の場においてアファンタジアを持つ人に合ったやり方を考えようという人もいるようだが、
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/29
9/
そんなことをしたらアファンタジアを持つ人が育むはずの代替機能(言語、論理、抽象など)の発達に影響するのではないか?などとも思ってしまう。アファンタジアという現象が何であるかを知ってもらい、それにそった常識的な対応があればそれでいいと思う。
🍅2024/3/29
10/
配慮や支援の対象になるなんて大袈裟に思える。まとめると、アファンタジアを持つ人に対してマイナス側の対応(例えばイメージ想起の強要やその能力がないことへの懲罰)があるならゼロの対応にしてもらえればよい(多くの現場では過激な対応ではなく、
🍅2024/3/29
11/
自然的に無関心を含めてゼロ的な対応になっているのではないだろうか)。あえてプラス側の対応(特別な支援など)は不要と思う。※以上はあくまで自分の場合を想定した私見です。
🍅2024/3/29
12/
「アファンタジアを持つ人々の約40%が顔認識の困難を述べており、平均的なイメージャーまたはハイパーファンタジアを持つ人の2倍以上」とあるが、自分は顔認識に困難を感じたことはない約60%のほうに含まれる。当事者の40%程度は困難を感じている可能性があるというのは非常に興味深いが、
🍅2024/3/29
13/
顔認識困難の直接的な原因がアファンタジア(視覚イメージ不在)にあるという一部の極端な結論付けには同意しない。
「イメージは感情の増幅器として機能することが知られている」とあるが、これは初めて知った。アファンタジアを持たない人たちの内的世界における感情の表現に興味がそそられる。
🍅2024/3/29
14/
自分はアファンタジアを持ってはいるが、いま現在に感じる感情は人並みにあるように思える。となると、自分の感情の増幅メカニズムはアファンタジアを持たないたちとは違うのかもしれない等々、いろいろと興味深い。
🍅2024/3/29
15/
「アファンタジアが苦痛な渇望や反芻の可能性を低下させることで今ここを生きるのに役立つという逸話は、さらなる研究に値する」とあったが、実感を伴って同意する。
未解決の課題として、「アファンタジアを持つ人は無意識のイメージを持っているか?」とあるが、
🍅2024/3/29
16/
これは非常に興味がある。自分の場合だが、視覚イメージは持たないが、視覚的情報(data/code:これが無意識のイメージなのか?)の存在の気配は感じる。これはもしかしたら空間的イメージなのかもしれないが、色に関しても視覚的情報の存在の気配を感じるので、そうではないのかもしれない。
🍅2024/3/29
17/
なにか言葉では表せない無形で無感覚かつ非言語の空気のような着想(情報)があることは事実だ。この着想があるがゆえに「リンゴを想像してください」と言われたときにリンゴの視覚イメージは一切浮かばないにもかかわらずリンゴが赤かったり青かったりすることは「わかる」。
🍅2024/3/29
18/
未解決の課題として、「イメージの体験は、夢や幻覚の体験とどう違うのか?」とあるが、これも非常に興味がある。具体的には随意/不随意、睡眠中/覚醒中におけるイメージ体験の類似点と相違点に興味があるし、これら現象の分類(定義)にも興味がある。
🍅2024/3/29
19/
自分の感想は以上になるが、Zemanはアファンタジア最新論文の公開と同時に、親しみやすいニュースレターも寄稿している。こちら。
https://theconversation.com/aphantasia-ten-years-since-i-coined-the-term-for-lacking-a-minds-eye-the-journey-so-far-226090
🍅2024/3/30
アファンタジア(心的視覚イメージ不在)に関する最も古い文献とされるGalton(1880年)の論文を読んだ。説明されている現象は今現在と何ら変わりない。おそらく人類の誕生以来、一部の人間にとっては普遍的な現象。
Statistics of Mental Imagery
Francis Galton (1880)
https://psychclassics.yorku.ca/Galton/imagery.htm .
🍅2024/3/30
コラム下部に、imageryの障害を最初に報告したのはBernard&Charcot(1883年)の旨記載があって、ん?その現象の最も古い文献はGalton(1880年)じゃね?と思ったら、どうやら前者は「後天性(脳損傷?)で~」的なことみたい(憶測)。後者は「imagery不在な人がいる」的な報告かな。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024/3/30
アファンタジアを説明するときの表現で「目を閉じると黒(または瞼の裏)が『見える』だけ」という定番のフレーズが日本でも海外でもあるのだが、この表現をめぐって炎上中。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bpkn1q/no_one_can_see_anything_but_the_back_of_their/
たしかに、「私はアファンタジアなので、目を閉じれば黒が(肉眼で)見えるだけ」と言われても、
🍅2024/3/30
そんなの誰だって同じじゃん、という反応があるのは当然。自分の場合、「浮かばない」「想起不能」「心的視覚不全」「イメージ不在」「無VVIQ」「無イメージ」みたいな表現を使うが、そもそも「イメージ(おそらくimageryの翻訳)」という和語に含まれる意味が人によって違うから、いろいろ悩ましい。
🍅2024/3/30
アファンタジア(脳内視覚化不全)の当事者には二つのタイプがあるという。
タイプ1:視覚化がない人。
タイプ2:視覚化はあるのだが、自分にはない超視覚化を他のみんなは持ってると思い込んでる人。
先行研究でも報告されているが、案外タイプ2の人がいる。
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bp7t3r/the_two_types_of_confused_people_who_post_here/ .
🍅2024/3/30
1/
現在、アファンタジアを測定する方法として、客観性を追求した方法(例えば脳画像、脳波、両眼競合、瞳孔反応、皮膚反応など)がいくつかあるが、研究にせよ大規模調査にせよ当事者の自己判断にせよ、ほとんどの測定は主観的な方法に頼っている。(続く)
🍅2024/3/30
2/
具体的には、ミーム画像、自己報告、アンケートの3つがある。ミーム画像は、例えば鮮明から不鮮明に連続的に変化する5枚のリンゴ画像の中から1枚を選ぶといった方法であり、最も簡単で直感的な方法だが、後述するアンケートを使った方法と同様の問題がある。(続く)
🍅2024/3/30
3/
自己報告は、視覚イメージに関する自己申告であり、当事者の主観的体験の真実に迫る方法としては極めて重要だと思うが、当事者の内観や表現に大きく左右されるし、表現のニュアンスを数値化することが難しい。(続く)
🍅2024/3/30
4/
アンケートは、あらかじめ決められたいくつかの質問に対して、あらかじめ決められた回答(例えば5択)を選ぶ方法であり、回答を数値化できるし、低コストかつ高い利便性のため研究の分野で広く利用されているが、問題もある。(続く)
🍅2024/3/30
5/
問題とは、観察者が作成した質問(型)と回答(型)によって、当事者の主観的体験が「観察者の意図した型にはめられる(良くも悪くも単純化/限定化/局所化/矮小化され、観察者の知見からはみ出す現象を捕捉できない)」こと、および、(続く)
🍅2024/3/30
6/
質問の解釈と回答の解釈が、当事者の理解やさじ加減に左右されること、この二点だと個人的には思う。これら問題はアンケートの結果に影響を及ぼし、ときには両極端の結果を招くことさえある。例えば自分の経験だが、(続く)
🍅2024/3/30
7/
VVIQ(Marks, 1973)のような視覚イメージの鮮明さを測るアンケートの場合、生まれつき常に随意の視覚イメージが不在の自分にとっては非常に分かりやすく、迷うことなく実感を持ってイメージ不在を回答できるのだが(つまりVVIQスコア下限1点×16項目=16点)、(続く)
🍅2024/3/30
8/
例えばQMI(多感覚イメージに関するアンケート)の聴覚イメージに関する質問だとそうはいかない。自分には生来「心的な聴覚(音声)を伴わない言葉のみによる内言(worded thinking: an internal monologue without a voice)と、(続く)
🍅2024/3/30
9/
心的な感覚(視覚、聴覚、etc)および言葉の両方を伴わない抽象的な思考(unsymbolised thinking)」が備わっているのだが、以前ある研究でQMI(おそらく鬼沢&滝浦の和訳, 1973)を初めて実施したとき、自分の内言を「内的な音声」だと思い込んでしまい、(続く)
🍅2024/3/30
10/
「音が聞こえる(鮮明な聴覚イメージがある)」と回答したことがある(つまりQMI聴覚スコア上限7点の一歩手前の6点×5項目=30点)。その後、先行知見の取得と度重なる内観を経て、現在は正反対の認識を持つに至っている。(続く)
🍅2024/3/30
11/
すなわち「一切の音は聞こえない(聴覚イメージ不在)」という回答になる(つまりQMI聴覚スコア下限1点×5項目=5点)。こういったケースは何も自分だけではない。SNSや海外掲示板をウォッチしていると、同じような経験をした人を見つけることができる。(続く)
🍅2024/3/30
12/
以降は憶測だが、こういったエラーの存在は研究者側で把握しきれていないのではないか。何故かというと、測定後しばらくして回答者が自らのエラーに気付いたとしても、研究者にそれを報告するだろうか。(続く)
🍅2024/3/30
13/
あるいは邪推だが、研究者側がエラーの存在にうすうす気づきながらも、その件については棚上げしているなんてことはないだろうか。いずれにしてもアンケートという方法の性質上、この手のエラーを避けることは難しいが、(続く)
🍅2024/3/30
14/
仮にだが、エラーの発生率さえ把握していないとしたら、研究で得られるデータというのは一体何なんだ?などと素人ながら心配になってしまう。※エラーの発生率に関する先行研究があれば教えてほしい。
🍅2024-03-31
内的経験いろいろ
hurlburt.faculty.unlv.edu/codebook.html
自分の場合は以下の九つのみ
W:脳内音声を伴わない言葉のみによる思考(内言)
U:記号化されない思考(非感覚/非言語/非記号)
F:フィーリング(感情)
SA:感覚への気づき(外部刺激=リアル感覚)
JD/JT/JL/JR/JW:ただ○○だけ(内的経験なし)
🔗内的経験の画像を表示する
2024年4月
🍅2024-04-05
1/
最近、アファンタジア命名者(Zeman, 2015)によるアファンタジア10周年のレビュー論文が公開された。
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🍅2024-04-05
2/
これと足並みを揃えるかのように、英米ニュースメディアのBBCとCNNの両方がアファンタジアに関する興味深いコンテンツを配信した。
BBC ⇒ https://www.bbc.com/news/health-68675976
CNN ⇒ https://www.cnn.com/2024/03/27/health/aphantasia-hyperphantasia-visualization-wellness
🍅2024-04-05
3/
このことにより、英語を理解する世界中の地域/人々に、アファンタジアという用語およびそれを持つ人がどういった経験をしているのかの一例が、より広く知れ渡った。(アファンタジアをメシのタネにしている人にとっては朗報だろう)
🍅2024-04-05
4/
これが良い結果をもたらすかそうでないかは自分には分からないが、個人的に懸念はある。例えばアファンタジアを扱う英語圏メディアでしばしば遭遇するフレーズのひとつに「家族の顔が浮かばないので悲しい/不安になる」というのがある。以降は完全に個人の空想だが、
🍅2024-04-05
5/
家族との(ベタベタした)絆の深さが(実質的にあるいは建前的に)美徳化してそうな善良なる○○人的価値観にとって、「家族の顔が浮かばない」という内的現象は耳目を集めるウケのよいグッとくるエピソードに違いない。
🍅2024-04-05
6/
「可哀想」「薄情」「信じられない」「愛情が足りない」「アイムソーリー」等々、いろいろな反応があるだろう。あとは察してほしい(空想ここまで)。
🍅2024-04-05
7/
以降はあくまで自分(VVIQ=16)の場合だが、「家族の顔が浮かばない」からといって悲しんだり不安になるといったことは、これまでただの一度もない。そのような経験は自分にとって普通のことだし、「浮かぶ」人の経験と「浮かばない」自分の経験をネガティブな意味で比較したこともない。
🍅2024-04-05
8/
心の中で視覚化されないからといって、虚無があるわけではない。記憶(SDAMを持つ自分の場合は主観的再体験を伴わない意味的記憶)や感情(同左)はあるし、外部媒体記録(写真など)もある。だが、言いたいのはそういうことではない。
🍅2024-04-05
9/
そういった記憶や感情も、それが豊かであろうと希薄であろうと、いずれは霧散するのが世の常で、万物は流転し諸行は無常だ。どうということはない。誰もが経験するし誰もが死後を経験しない。話がズレてきたので終了。
面白画像
🔗面白画像を表示する
🍅2024-04-05
1/
先日、アファンタジアに関する最新論文が公開された。
和訳:アファンタジアと不随意のイメージ
表題:Aphantasia and involuntary imagery
著者:Raquel Krempel, Merlin Monzel
公開:2024年4月1日
https://doi.org/10.1016/j.concog.2024.103679
無料で読める要旨と序章だけを読んだ。以下に感想を記す。
🍅2024-04-05
2/
アファンタジアはしばしば随意の視覚イメージ不在と定義される。随意(voluntary)とは自らの自由意志で意識的という意味であるから、
🍅2024-04-05
3/
その逆の不随意(involuntary/spontaneous)すなわち意志によらず無意識的/自然発生的に起こる現象(例えば夢や幻覚や閃光)は、アファンタジアの定義とは関係ないとされ、多くの研究で無視されている。
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🍅2024-04-05
4/
現状、ほとんどの研究は細部を省略した大雑把なアファンタジア定義しか持っておらず、随意のみに焦点をあてるのか?不随意の現象は無視していいのか?、イメージの不在のみに焦点をあてるのか?それとも複雑多様な希薄スペクトラムも含ませて範囲を広げたいのか?、
🍅2024-04-05
5/
視覚イメージのみに焦点をあてるのか?他の多感覚イメージはどうなのか?、等々、多くの曖昧さや裾野の広がりを含んでいる。この件に関してはBlomkvistによる2022年の論文「Aphantasia: In search of a theory」に詳しい。
https://doi.org/10.1111/mila.12432
🍅2024-04-05
6/
こういった状況において本研究は、まずは随意/不随意にかかわらず、視覚イメージの不在(または希薄)を特徴とする広範な現象をアファンタジアと関連付けて深掘りすべしと主張する。もっともな主張だと思う。
🍅2024-04-05
7/
いち当事者として、アファンタジアという用語や概念の曖昧さには辟易しているので、緻密な議論を期待したい。2015年から本格的な研究がはじまったばかりのアファンタジアだが、次の10年はこのテーマに関する合意形成を期待したい。
🍅2024-04-05
アファンタジアの研究はお世辞にも盛んとは言えない。何故か? 以降は個人の空想だが、「利益(地位・名誉・カネ)にならない」「他にやることがある」「興味がない」「ニーズがない」「地味」「(当事者が)日常で困ってない」「主観的体験だから」などが思いつく。つまり、優先度・重要度が低い。
🍅2024-04-06
アファンタジアはリアル視覚認知に影響を及ぼす。これを「ディープ・アファンタジア」と名付ける。という論文を発見。眉唾?新たな事例?微妙なnaming?
Deep Aphantasia: a visual brain with minimal influence from priors or inhibitory feedback?(2024年4月5日)
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2024.1374349
🍅2024-04-07
1/
共感覚という現象がある。例えば、文字に色を感じたり、音に色を感じたりするそうだ。自分は共感覚に関する知識も経験もないので以降は凡人の空想だが、色(光)を感じるというのは視覚的な経験なのだろうか?
🍅2024-04-07
2/
そうだとすると、その感じた色は視覚知覚(実際の目)で感じるのか? あるいは視覚イメージ(心の目)で感じるのか? それとも別の何かで感じるのか? どれなのか?
🍅2024-04-07
3/
視覚知覚で感じるとしたらそれは幻覚の一種なのか? 視覚イメージで感じるとしたらそれは心的イメージなのか? いずれの現象も不随意の(無意識的で自然発生的な)反応なのか? 不随意だとしたらやはり幻覚的なものなのか?
🍅2024-04-07
4/
等々、いろいろ気になるが、ここまでは前置きで本題はここから。自分は未経験だが、人類のほとんどは「何かを想像したとき、頭の中にその何かの視覚イメージを感じる」という経験が多少なりともあるそうだが、これって共感覚的な反応と似てると思った(おそらく見当違い)。
🍅2024-04-07
5/
だって「視覚的な何かを想像したら、目の前に存在しなくても、心の中にそれの視覚的な感覚を感じる」んでしょ? 目の前にその事象がなくても多少なりとも心の目で脳内映像が見えるんでしょ? 実感しちゃうんでしょ? その意識(刺激)⇒感覚の連動(誘発)って共感覚に似てるじゃん。
🍅2024-04-07
6/
で、アファンタジア(視覚イメージ不在)はこれがない、なんてことを考えた(おそらく的はずれ)。ちなみに先行研究によればアファンタジアの人が何らかの共感覚を持つことはあるそうだ。
🍅2024-04-09
1/
以降はあくまで研究とは縁のない知的平民からの私見だが、
この論文で語られるアファンタジアに関する知見は、
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024-04-09
2/
アファンタジア当事者であった故Kendle氏による書籍からのものであり、それは学術研究というよりも、Kendle氏を含む多数の当事者らによる主観的体験記の列挙といった趣なので、根拠としては弱いかな?と個人的には思った。
🍅2024-04-09
3/
なお、本論文が結論付けている「視空間的処理の活性化と心的イメージはそれぞれ独立したプロセスであることを支持する」の「視空間的処理」が何を示すのか学術素人の自分にはよく分からなかったが、それが空間や位置、距離などを把握する能力に関する処理のことだとしたら、
🍅2024-04-09
4/
下記のアファンタジア研究の知見は、本論文の結論を支持するようにも思えた。
🍅2024-04-09
5/
ちなみに自分はアファンタジア(VVIQ=16)ではあるが、空間の把握が求められる日常の課題で問題になったことはない(おそらく空間把握能力が人並みにある)。ただし、別のアファンタジア当事者の知人は道によく迷ったり場所を把握できないことがあるそうだ(おそらく空間把握能力が低い)。
🍅2024-04-10
なぜ我々の知的文明は2015年までアファンタジアを発見できなかったのか?
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1bzq70x/why_didnt_our_intelligent_civilization_discover/
古来、人が生きていくうえで視覚イメージがどうのこうのというのは、どーでもいいことだし、そもそも気づくに値する現象でもなかったが、近年ネットが浸透したおかげで自他の主観世界の違いに気づくようになった。
🍅2024-04-10
1/
詳しくは知らないが、かつて1970年代に、視覚イメージの本質について認知心理学の界隈を二分する激しい論争(Kosslyn / Pylyshyn 論争)があったそうな。K氏「イメージとは実際の目と同じように心の目がみる絵的なもの」(まず絵ありき?)、P氏「いやいやイメージとは記憶された情報の
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024-04-10
2/
意味的な着想が心の目に見せる絵的な表現にすぎない」(まず意味ありき?)みたいな論争だったそうだが(適当です)、当時、先天的に視覚イメージ不在の人(最近の研究では1%、ニアを含めると4%の出現率)の話題がメインテーブルに載らなかったのは何故だろう? 研究者本人や知人の中にも
🍅2024-04-10
3/
イメージ不在な人はいたんじゃないの? 研究者総数がさほど多くなかった? 気づかなかった? 1880年の英Galton文献もあるし、1973年にVVIQを開発した英Marksだってイメージ不在を(VVIQ理論上は)認識してたんじゃないの? なんで学術は2015年まで明示的に気づかん?
https://www.reshannereeder.com/objective-imagery-history
🍅2024-04-11
目を閉じて目の前にあるものを1ミリも思い浮かべることさえできないなんて、本当にイライラします!アファンタジアには実際に良い点はあるのでしょうか?
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1c0bq2a/i_get_really_upset_that_i_cant_even_close_my_eyes/
とくに良い点はないが、とくに悪い点もない。
🍅2024-04-11
時効だから言うけど、過日、MRIに入って長めのタスク実施中に何度もウトウトした。MRIに長く入ると眠くなりますって伝えたのに、当然がんばってこなしてもらわないと的な空気だったから仕方ない。事後報告はしなかった。学術研究のfMRI実験で良いデータが得られないとしたら理由があるかもしれない。
🍅2024-04-11
Deep Aphantasia的な事例だとしたら非常に興味深い。
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🍅2024-04-11
ちなみに自分(視覚イメージ不在 VVIQ=16)はこの画像で人の顔を連想できるからDeep Aphantasia的なものは持っていないようだ。
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🔗この話題のスレッド全体を表示する
🍅2024-04-13
1/
イメージ能力が低いアスリートのためのイメージトレーニング
2024年4月8日
https://doi.org/10.1080/10413200.2024.2337019
感想: 身体の動きや体感を心の中でイメージしたり、未来に向けて何らかのビジョンを心の中でイメージすることは、スポーツに限らずあらゆる分野で活用される能力だそうだ(←耳学問で知った
🍅2024-04-13
2/
知識だが実感がないので憶測でしかない)。アファンタジアを持つ人はこのイメージ能力がない(あるいは一般より低いとされる)。ならば、自身が装備しないイメージ能力を前提とするトレーニングやカウンセリングは今すぐやめて、別の方法を模索すべきだろう。例えば、心的な感覚に頼れないなら
🍅2024-04-13
3/
リアルな感覚のほうに焦点をあてたり、心的な感覚以外、例えば言語/論理/抽象を用いた思考や行為に焦点をあてる。また、パフォーマンスとアファンタジアを両立してる人が身につけているメソッドや習慣を真似る。最終的に何をやってもダメなら断捨離る。等々、先天的にアファンタジアを持つ人なら、
🍅2024-04-13
4/
こういった対応を無意識のうちに会得している人も少なくないかもしれない。イメージ能力を扱うプロフェッショナル(例えばスポーツトレーナーや精神科カウンセラー)の場合、こういった知見を理解したうえでクライアントの特性に応じた戦略が求められていると思うが、現場はどうなってるんだろう。
🍅2024-04-13
5/
現場と言えばもう一つ「教育」という大きな分野があるが、今回は詳しく触れない。
🔗引用した投稿を表示する
🍅2024-04-13
https://www.reddit.com/r/hyperphantasia/comments/1c1lipx/movielike_imagination_when_reading_novels/
こういうのを読むとほんと現生人類の脳(感性)って一種の魔法のように思う。
だって目の前に対象がないのに、それが鮮明に思い浮かぶなんて!
🍅2024-04-13
Reddit のコミュニティー「r/Aphantasia」のユーザーである Tuikord さんのコメントは参考になるので毎回読んでる。
コメント ⇒ https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1c2ezbp/comment/kz9z5dd/
🍅2024-04-13
心の中での視覚化や内言がなければ、人はどうやって考えるのでしょうか?
https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1c2pvym/comment/kzbr9l0/
FlightOfTheDiscords氏のコメントが面白い。自分もそうだ。心(潜在意識)は事象について「ただ知っている」を心(意識)に供給する感じ。自分はこれを着想/気配/情報/概念などと呼んでる。
🍅2024-04-13
文章表現に関しても入力前に何も起こっておらず(思考してない)、入力と同時に着想され媒体に言葉(思考)が構成(表出)されるという感じ。しばしば心的感覚でもなく内的言語(非音声)でもない非記号化思考な感じ。これもよく分かる。
FlightOfTheDiscords氏のコメント ⇒ https://www.reddit.com/r/Aphantasia/comments/1c2pvym/comment/kzbr9l0/
🍅2024-04-15
1/
SDAM(先天的な自伝的記憶重度欠落)を説明するのは難しい。あくまで自分の場合が、端的に言うと、随意に浮かべる過去の自分の経験に関する思い出の絶対量が極めて少なく、浮かんだとしても詳細が希薄で短い箇条書き的な意味的着想がぽつぽつ供給されるだけ。
🍅2024-04-15
2/
外部刺激や内部着想から連想される不随意の思い出に関してもほぼ同様で、一般的とされる心的タイムトラベル(心の中で思い出が擬似的に再現され、当時経験した情景/感覚/感情などが心に浮かぶ主観的体験)は一度も経験したことがない。
🍅2024-04-15
3/
そんな感じだから成人までの記憶はほぼ全部ない(よほど印象に残った事象の短い意味的記憶くらい)。主観体感的には成人までの自分の存在/自我/記憶は99.9%以上消失してる(あるいは意識に浮上しない)。大人になり結婚した後は多少の思い出が増えたもののやはり同じ傾向で、
🍅2024-04-15
4/
思い出すという行為は短い意味的着想の列挙でしかなく、過去の感覚/感情/状況など何もかもが短い着想(抽象だったり言葉だったり)に圧縮される。こんな人生だが、SDAMに由来してこれまで日常や仕事(IT技術系)で問題になったことはないし、主観的に問題と思ったこともない。
🍅2024-04-15
5/
SDAMは、他者や社会に対して自分が果たす責任/役割/機能には影響しない。その点はアファンタジア(先天的に随意の心的イメージ不在)も同じ。なんら問題ない。
🍅2024-04-15
1/
あくまで私見だが、アファンタジアという心的経験を持つ人が、まったく異なる別の知覚経験を持っていたとして、その二つの経験に関連があるとみなして、「これを Deep Aphantasia と名付ける」と主張されても、私的には「え?」としか思わない。ものすごく極端で異質な話をするが、
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🍅2024-04-15
2/
Aphantasia を持つ私が「『ちいかわ』を見て可愛いを経験する人は多いようだが、私には中年のオヤジにしか見えず、『ちいかわ』を見ても可愛いを経験しない」、「この私の知覚経験を Deep Aphantasia と名付ける」と主張したとして、
🍅2024-04-15
3/
Aphantasia を持つ多くの人に「VVIQ『ちいかわ』版」のアンケートをとったとして「『ちいかわ』を見ても可愛いを経験しない」が有意に出現したら、それは私の主張した Deep Aphantasia が妥当である証明になるのだろうか。そもそも Deep Aphantasia という言葉が抽象的すぎるし、
🍅2024-04-15
4/
「それって Aphantasia と関係あるの?」「単に『ちいかわ』がオヤジに見える錯覚じゃね? 好み(予測)の問題じゃね?」とも言える。なお、この論文に記されているローレン・N・ブイヤー氏の独特な経験を、Aphantasia(VVIQ=16)及びMulti-Sensory Aphantasia を持つ私は経験しなかった。
🍅2024-04-15
面白画像
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🍅2024-04-15
面白画像
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🍅2024-04-16
自伝的記憶の知見まとめ(2022年)をナナメ読み。とても勉強になった。後ほど再読。
https://jstage.jst.go.jp/article/jcogpsy/19/2/19_39/_pdf/-char/ja
アファンタジア(心的イメージ欠如)やSDAM(心的タイムトラベル欠如、自伝的記憶欠如)についての記述はなかった。
SDAM ⇒ https://sdamstudy.weebly.com/what-is-sdam.html
SDAM(例) ⇒ https://twitter.com/no_minds_eye/status/1779527302965338244
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🍅2024-04-17
1/
視覚的な心的イメージが全く存在しないこと、および自伝的記憶が著しく欠落していることについて、他者とに違いに気付いたのは20世紀末頃だった。アファンタジア(視覚イメージ欠如)という固有名の存在に気付いたのは2020年頃、SDAM(自伝的記憶欠落)という固有名に気付いたのは2022年だった。
🍅2024-04-17
2/
直近10年間に研究されたアファンタジアの知見で、個人的にインパクトがあったのは次のとおり。
- 視覚的な心的イメージの欠如をアファンタジアと呼ぶことが提唱された(2015年)。
- 視覚以外の他の感覚(聴覚等)でも心的イメージの欠如があることが示唆された。
🍅2024-04-17
3/
- アファンタジアと自伝的記憶欠落の関連が示唆された。
- 自伝的記憶の著しい欠落をSDAMと呼ぶことが提唱された(2015年)。
- 過去の記憶のみならず未来の想像にも影響することが示唆された。
- 視覚イメージが欠如しているにもかかわらず空間把握能力は機能していることが示唆された。
🍅2024-04-17
4/
- アファンタジアは精神障害の条件を満たさないという意見に一定の合意が集まった。
- アファンタジアを客観的に測定する試みの研究がはじまった。
🍅2024-04-17
5/
- ある研究(Wright et al., 2024)によれば、限定条件下において、視覚イメージのスペクトラム各層の出現率は、不在0.9%(VVIQ=16、Aphantasia)、希薄3.3%(VVIQ=17~32、Hypophantasia)、一般89.7%(VVIQ=33~74、Typical Imager)、過剰6.1%(VVIQ=75~80、Hyperphantasia)と推定された。
🍅2024-04-18
理研の脳科学研究センターがアファンタジアの研究をはじめてから1~2年は経過してると思うが、その後はどうなったのだろう? 成果はいつ確認できるのだろう? 進捗が不明だし、Xの公式アカウントも停滞してる。
https://twitter.com/ishikirabo
https://research-er.jp/researchers/view/960901
🍅2024-04-18
自分の知る限りの話だと、国内でアファンタジアを研究するチームは二つある。一つは理研、もう一つは福島大学の研究者が主導するチーム。福島チームは昨年の7月に論文を発表したが、その後はどうなったのだろう?
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🍅2024-04-18
あくまで私見だが、海外のアファンタジア研究と比べて、日本の研究はユニークな視点や成果がない。一部に教育分野とアファンタジアを絡めたテーマもあるようだが、個人的にこのテーマは██だと思う。
🍅2024-04-20
1/
アファンタジアでない人(つまり随意の心的視覚イメージが浮かぶ人)は、時と場所を選ばず常に浮かぶのだろうか。例えば体調によって浮かばなかったり、対象に興味がない場合は浮かばないといったことはあるのだろうか。イメージを浮かべる能力はスペクトラム(人それぞれ)だから、
🍅2024-04-20
2/
おそらくそういう人もいるんだとは思う。だとすると、その人は「浮かぶ」と「浮かばない」の両方を体験してるわけで、アファンタジアの人が持つ「浮かばない」という体験がどんなものかも理解できるのではないだろうか。主観的体験を一つしか持ってない人(例えば極アファンタジアの人)は、
🍅2024-04-20
3/
比較対象が内部にないため比較不可だが、主観的体験を二つ以上持ってる人は一個人内で比較が可能ではないのだろうか(後天性アファンタジアがこれにあたる)。そういった視点からの研究はあるのだろうか(見たことないが)。
🍅2024-04-20
1/
カナダ・マキュアン大学の学生763人にアファンタジアを測定したそうな。
結果、無イメージは0.5%、無+低イメージは2%、高+過イメージは8%、過イメージは2%と推定された。
概ね先行研究の報告と一致。低イメージ以下は、感情的な反応性が高く、物体/空間イメージと心的回転の能力が低かったそうな。
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🍅2024-04-20
2/
日本の研究(Takahashi et al., 2023)では無イメージ(極アファンタジア)は0.07%と報告されたが、他国の研究と比べると大きく外れてる。まさか日本人だけ極アファが少ないなんてことはないと思うので測定エラーだろうか。
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2023.1174873
🍅2024-04-21
ディズニー映画でキャラクター・デザインや作画監督を務めた伝説的クリエーターのグレン・キーン氏(https://w.wiki/6Rx4)は、アファンタジア(脳内でイメージの視覚化を持たない)であることが知られている。
添付画像は氏の描いたアリエル(リトル・マーメイド)の初期スケッチ。
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🍅2024-04-21
グレン・キーン氏とアファンタジアについてはここに詳しい。
https://theconversation.com/the-art-of-aphantasia-how-mind-blind-artists-create-without-being-able-to-visualise-162566
氏が絵を描く過程も面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=0M254urId8w
https://www.youtube.com/results?search_query="glen+keane"
氏はアファンタジアであるから脳内に視覚イメージは存在しないが、描こうとしている対象を緻密に言語化してる様が興味深い。
🍅2024-04-21
1/
極アファンタジア(脳内でイメージが視覚化されない)を持つ人は、その対極にいる極ハイパーファンタジア(脳内でイメージの視覚化が過剰)に関心を持つことがある。
https://www.theguardian.com/science/2024/apr/20/like-a-film-in-my-mind-hyperphantasia-and-the-quest-to-understand-vivid-imaginations?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
極アファ民がこれまでの人生で僅かでも経験したことのない脳内イメージを、
🍅2024-04-21
2/
極ハイパー民は日々過剰なほど経験しているためだ。極ハイパー民の内的世界という未知に興味がある。以降は空想だが、極アファ民と極ハイパー民の違いは脳内イメージだけではない。おそらく現実(つまり世界、つまり人生)を観る感性も大きく異なる。極ハイパー民は目の前の対象を観ると同時に、
🍅2024-04-21
3/
脳内に浮かぶ(時空を超えた)対象も観ることがあるが(←経験したことないので憶測)、極アファ民は目の前の現実そのものだけを観る(他の時空は観ない)。この経験の差は、その人の現実世界への接し方や人生観に大きく作用するに違いない。この差を嘆く人もいるが、個人的には尊い。
🍅2024-04-22
1/
2021年7月より理研CBSに在籍のハクワン・ラウ氏が、今年後半に日本を離れる予定だそうな。
氏が率いる研究室(意識/心象/幻視などを研究)は来年まで運営する予定だそうだが、この研究室(@ishikirabo)はアファンタジアも扱ってい(る|た)。これに関して何らかの成果は公表されるのだろうか。
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🍅2024-04-22
2/
海外のアファンタジア研究は論文数(10年で2桁?)から察するにローカルなネタだと思うが、国内ではさらに人気がなく、今回理研が抜けるとしたら国内でアファンタジアを研究する主たる主体は福島チームのみになるのではないか。
個人的にこの状況は██████。
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🍅2024-04-23
面白画像(おそらく、アファンタジア ⇒ 画像生成AI開発会社SDの元CEOエマドもそれを持ってる ⇒ 反生成AI界隈でエマドは蛇蝎のごとく嫌われており犯罪者扱い ⇒ おまえはエマドと同じじゃ、ということなのだろう。当てこすり表現にアファンタジア使ってて草)
画像一覧 ⇒ https://twitter.com/search?q=面白画像 from%3Ano_minds_eye&src=typed_qu&f=live
🍅2024-04-23
1/
いま、この動画を見終わった。
動画 ⇒ https://youtu.be/T4DDsWfk3Wg
クオリア(意識の中身)についての動画だ。アファンタジアについても言及されている。この動画の中で「関係性でクオリアを理解」というアプローチがあった。とても面白い。動画を見終わって、動画の内容とは全然別の話題になるが、
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🍅2024-04-23
2/
「関係性」というキーワードに触発されて次のようなことを考えた。
以前から考えていたことだが(そして車輪の再発明だろうが)、知識とは信念(○○は○○であるということを信じる主観的な意志)のことで、体系とは信念のネットワーク(構造)だと思う。
🍅2024-04-23
3/
個々の信念(点)や、複数の信念の意味的/論理的な繋がり(線)は日々アップデートされ姿を変えてゆく。たまに、信念や主観を軽視し、客観云々や科学的云々というスタイルを見かけるが、細部を分解すればそこ(客観)には「信」の積み重ねがある。
🍅2024-04-23
4/
ある人が神秘的現象(信仰を含む)やオカルトを信じるのも、科学者がデータ(先述の知識の説明を参照)を根拠に何かに迫る行為も、その根底をなす基盤は「信」と「繋がり(即ち関係性)」という意味で同じだと思う(それがどれだけの人から支持されているかは別として)。
🍅2024-04-23
5/
「信」は豊かな人生の源泉になることもあれば、「信じ切る」と狂気に走ることもある。それくらい「信」の力は強く、人も世界も変えてしまう。戦争になることもある。
🍅2024-04-23
6/
蛇足だが、楳図かずお氏が1970年代に描いた「漂流教室」という伝説的超超超名作漫画がある。ネタバレになるから詳しくは述べないが、ラストシーンで夜空を見るあの目に「信」の究極の形があると思う。
https://www.mangazenkan.com/items/10140011/
🍅2024-04-23
1/
名前などの「言い間違い」の件、自分の家族にも同じタイプがいる。脳内で漢字の字面(つまり図形)が視覚化されるらしく、音訓の読みを間違えたり、異なる漢字に差し替えられて言い間違ったりするらしい。同じ要領で記憶のすげ替え(偽記憶)もたまにみられる。
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🍅2024-04-23
2/
以前、政治家の麻生氏がよく言い間違いをしていたが、彼もこのタイプじゃないかと家族は言ってた。自分はというと脳内に視覚イメージが浮かぶことは常に一切ないから(アファンタジア)、言葉を発する際のリズム(音韻?)のようなもので発語してるから、あまり言い間違えない。
🍅2024-04-23
3/
それでもたまに間違えることはある。よくニュースでアクセルとブレーキを間違えて事故を起こしたというのがあるが、あれと同じで「A」といったつもりなのに発語は「B」になっていて、すぐに自分で気づくか指摘されて気づく。
🍅2024-04-23
4/
それと、冬は「さむさむさむ」、夏は「あつあつあつ」と言うのがクセになってると、なぜか冬の寒いときに「あつあつあつ」と自動発語してしまい(このとき思考しておらず条件反射的に発語してる)、俺何言ってんだ?となることがたまにある。
🍅2024-04-24
1/
僕はアファンタジアなのか ⇒ https://scrapbox.io/sta/%E5%83%95%E3%81%AF%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B
非常に興味深い。自分はVVIQ=16(下限)の「無イメージ」なので常に何も浮かばないから迷うことがない(アファンタジア自認の主観的確信度が高い)。 一方で、
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🍅2024-04-24
2/
VVIQ=17~80(上限)は「低イメージ ⇒ 一般イメージ ⇒ 高イメージ ⇒ 過イメージ」のアナログ連続体(スペクトラム)だからデジタル化できず迷うと思う。
https://twitter.com/no_minds_eye/status/1769371818849144884
🍅2024-04-24
1/
ある実験(下記)によれば、ネオンカラー錯視が生じる動画と生じない動画の二種類をマウスに見せたところ、錯視が生じる動画のときはマウスの瞳孔が開き、錯視が生じない動画のときは瞳孔に反応がなかったそうな。つまりマウスは錯視を経験しているらしいことが示唆されたそうな。
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🍅2024-04-24
2/
どこかで聞いた話だなと思ったら、アファンタジア(心的視覚イメージ不全)の研究で知られるPearson氏らが似たようなことをやってた。
https://doi.org/10.7554/eLife.72484
氏らの研究(2022年)によれば、人々に明るい画像と暗い画像の心的視覚イメージを目を開けながら想起してもらうように指示したところ、
🍅2024-04-24
3/
非アファ民らの瞳孔は散大や収縮の反応を示したのに対して、アファ民らの瞳孔にはさして変化が見られなかったそうな。つまりアファ民に心的視覚イメージが無い/低いことが示唆されたそうな。光に対する瞳孔の反応は無意識の反応であり主観に依存しておらず客観性があると考えられているそうな。
🍅2024-04-25
1/
まさにアファンタジア(というより内的経験全般)の弱点はここなのだろう。そもそも主観だし、当事者の内観や表現が各人各様で、懐疑者(@Neuro_Skeptic)が疑うのは当然といえる。なんだけど、同じ屁理屈で非アファンタジアの存在も疑えちゃうという笑。
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🍅2024-04-25
2/
ちなみに、自分的には Deep Aphantasia という名称に「え?」と思った。なんでわざわざ Aphantasia と関連付けるの?しかもなんで Deep なの?的な。
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🍅2024-04-26
1/
クオリア構造を研究していらっしゃる土谷尚嗣さん(@NaoTsuchiya)の動画。34分55秒から「科学と主観について」。自分は学術や研究に全く縁の無い一般モブだが、めっちゃ共感した。
⇒ https://youtu.be/bs4c9UK3RN0?t=2095
こちらも面白い。
⇒ https://youtu.be/Llf03zMeIr4?t=1272
🍅2024-04-26
2/
下記はアファンタジアの文脈(例)だが、おそらく各所でこういった空気感がある中、至極当然の道理を研究者の方に言ってもらえること自体個人的には嬉しくて、
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🍅2024-04-26
3/
こういうことの積み重ねが科学(下記参照)の豊かさや発展に貢献するんだなと思う。とにかくこの土谷さん(https://youtu.be/JL5R1IvsclE?t=27)、妙に魅力があってワクワクさせてくれる。
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🍅2024-04-26
1/
アファンタジアにおける心的回転は遅いがより正確であり、認知戦略の違いと関連している(2024/04/23)
Slower but more accurate mental rotation performance in aphantasia linked to differences in cognitive strategies
Lachlan Kay, Rebecca Keogh, Joel Pearson
https://doi.org/10.1016/j.concog.2024.103694
🍅2024-04-26
2/
自分の場合だが、視覚知覚(実際の目)および視覚イメージ(心の目⇒これはアファンタジアの場合は無い)からの刺激の有無に関わらず独立した能力として空間や位置を認識する能力がある。論文にもあったが「正解は知っているが、どうやって知っているのかわからない」という表現がしっくりくる。
🍅2024-04-27
頭の中で視覚化(あるいは視覚的な想像力)が制限されている人には、少なくとも3つのタイプがある。
【1】アファンタジア(脳内視覚化不全)を持つ人。
【2】視覚劣位の認知特性を持つ人。
【3】ビジュアル・シンカー(視覚思考者)以外の人。
🍅2024-04-27
タイプ1(アファンタジア)は、心的視覚化の機能がない(あるいは不十分)という話。例えるならハードウェア(I/O)やドライバといった下位レイヤーの話。※あくまで比喩です。
🍅2024-04-27
タイプ2(視覚劣位の認知特性)およびタイプ3(ビジュアル・シンカー以外/視覚思考者以外)は、視覚的思考の活用がない(あるいは限られている)という話。例えるならソフトウェア(OS/アプリ)やそれを操作するユーザースキルといった上位レイヤーの話。※あくまで比喩です。
🍅2024-04-28
最近、こんなのをよく見かける。いずれも主観的報告。 1. 認知特性(視覚/聴覚/言語) 2. ビジュアル・シンカー(視覚/言語) 3. MBTI(16タイプ性格診断) 4. エニアグラム(9タイプ性格診断) 5. 占い(血液型、12星座、etc) 6. アファンタジア(脳内で随意の視覚イメージ欠如) (続く)
🍅2024-04-28
(続き) 我田引水だが、分類するとこんな感じ。 1. 認知特性【習慣 or ファッション】 2. ビジュアル・シンカー【同上】 3. MBTI ⇒【習慣 or アクセサリー】 4. エニアグラム【同上】 5. 占い【エンタメ】 6. アファンタジア【先天性の場合はおそらく脳機能の話だが主観的体験の科学的証明は困難】
🍅2024-04-29
面白画像
「どんぐり倶楽部」という子育て理論(?)がある。https://reonreon.com/index.html
視覚イメージを再現したり操作する「視考力」こそ、人生で本当に必要な万能の絶対基礎学力だそうで、本も出版してる。https://amazon.co.jp/dp/4794216270
理念はこうだ(⇒ 添付画像参照)
感想「・・・・・」
🍅2024-04-30
1/
先月、アファンタジア研究の第一人者である Zeman によるレビュー論文が出版された。
内容は、アファンタジアが命名された2015年から2024年までの10年間に出版されたアファンタジア論文群の総まとめとなっており、これまでに積まれた数々の知見を俯瞰するには最適な資料となっている。(続く)
🍅2024-04-30
2/
アファンタジアについてまったく知識がない人でも、この論文をざっと読めば、これまでの背景や最新情報までを容易に把握できるので非常にオススメである。
論文原文 ⇒ https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1364661324000342
Google和訳 ⇒ https://www-sciencedirect-com.translate.goog/science/article/pii/S1364661324000342?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp .