あの人、理解できひんという時点であなたの負けだ。ニューヨーク編①
「森とタタラ場、双方生きる道はないのか?」
「もののけ姫」の作中で人と森の間に立つ主人公アシタカが叫ぶシーンをご存知でしょうか。もののけ姫を見ている時のあなたは心の中でこう答えたと思います。
「きっとある!」
しかし現実の世界では「あの人、わけわからへん。」「もういやや。」「つきあいきれへんわ。」などなど相手のことをシャットダウンする人をよく見かけます。友達や職場、夫婦間。今日も色んな場所で色んな心のシャッターが降りています。
でも僕からすればそれはあなたの負けです。
「理解できない。」というのは「相手の状況や立場を理解できる能力がない」と言っているのと同じだからです。
「何が理解できないのか。理解しようという気持ちはあるのか。」ここを考えなければいけないと思います。
このシリーズが誰かのシャッターを再びあげるヒントになれば、と思っています。
「あの人、理解できひんという時点であなたの負けだ。」シリーズでは私個人の外国の人々と向き合ってきたエピソードと3年ぶりにタイから日本に帰ってきてからの日本人の見え方などについてお話したいと思います。
ニューヨーク編、ペルー編、タイ編、帰国編に分けて書きたいと思います。長くなりますがお付き合いください。
さて、遡ること7年前。私はいわゆる「質の悪い大学生」でした。大学はカフェで友達と会うためにあり、お酒は酔うためにあり、単位はほぼギリギリでとるためにあり(先生方のおかげで落としたことはない)、「それも思い出ちゃう?」と言ってはバカなことをし、なんとなくなんとなく過ごし、気づけば4回生に。
そこで突然休学し、語学留学を決意。場所はニューヨーク。きっかけは「名前にNとYが入っとるからニューヨーク行くわ!」とカフェで冗談を言ったら次の日に後輩たちに「にゃおやさん、がんばってください!」といわれ、行く羽目に。
さて、ニューヨーク。語学学校は日本人が多かったのですが関東の人たちばかりでした。英語の前に関東のオチのつかない話におちつかない自分がいました。ここで初めて自分の生きてきた範囲外の人たちと接触した気がします。関東人も当時の僕からすれば十分、外国人でした。今では関東の人たちと話すのは大好物ですが。
語学学校がコリアンタウンにあったこともあり、韓国人の友人たちと毎晩、コリアンバーで飲みました。ソジュとビールを割ったもの、それとクリムゾン色のトッポギ(無料)をつまみに。そこでみんなの顔が酔ってくると必ずあがる話題がありました。竹島問題。もう、すごいんですね。何がすごいって竹島への熱が。竹島なんて言葉はない!と言われました。店員さんも出てきて「返せっていうかもう私たちのものだから」と言われました。
最初のころ、全く言い返せませんでした。知識がなかったからです。そこからは竹島に関する様々な情報をインプットしてから韓国人と激論し、次の日には笑顔で挨拶してくる韓国人を見て「え?」という反応が続きました。
それでもなんとか韓国人を理解しようと努めました。韓国人と一緒に飲んでいた日本人の数もだんだんと減っていきました。でもここで逃げたら相手のことを理解するチャンスを逃す、そんな気持ちでいっぱいでした。
そして議論するうちに「そもそも議論が大好きな国民性、さらに独島と言わなきゃいけない同調圧力と教育があること」がわかってきました。相手の国の文化、特に教育にまで踏み込まないと外国人への理解はなかなか難しい、そう感じた最初の壁でした。
次回は亡命してきたアフリカの友人たちについて書きたいと思います。
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