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✨散文✨ストックホルムの人形

北欧は憧れ。
亡くなった人形の師匠がスウェーデン🇸🇪人で画家の夫と10年暮らしたストックホルム。
何度も遊びに来ていた親友に夫を奪われ離婚。
一人息子を人形創作だけで育て凛と生きた人だった。

人形創作は凄い技術で人形について知らない事はなかった。
出会いは18の頃。
すぐに弟子入りを考えたが様々な理由で無理だった。
けれどいつか必ずと夢見た。

チャンスが到来したのはかなり後のこと。
仕事が多忙だったが勤務していた弁護士事務所のボスが
弁護士会の副会長となり会の仕事に従事する為に事務所は開店休業に。
電話を携帯に転送して受けてくれるならどこに居ても良いとお許しが出て師匠の昼間の教室に、とにかく一年だけ通うチャンスを得た。
その後は昼休みを利用して25年通った。

そこは正に人形道場と呼ぶべき場所だった。
無から造形した人形の顔を師匠は整形手術の如くナイフを入れて壊してしまう。
それを陰で怒る仲間もいたが私は違っていた。
師匠の創る人形を愛していたからだ。
感性が非常に似ていた。
師匠もそれを感じていたようで個人的に絵画展や音楽会の誘いを受け可愛がって貰った。

「人形は総合芸術。美的感性を磨かないとダメ。
技術はやっていれば身につくし長年続ければある程度まではいく。けれど新たなスタート地点がそこで、そこからが難しい。自己満足じゃいけない。
その為にはあらゆる芸術から学びなさい」と教えて下さった。
これは詩歌の世界にも言える事だと思っている。

そんな師匠は私に教室がある度にバレエやオペラその他、クラシックのCDを何枚もコピーして渡して下さった。ジャズやetc、ジャンル関係なく。
クラシック音楽に関しては同じ曲を違う演奏家で何枚も。聴き比べて感想をと。
人形だけでも大変なのに‥‥と思いもしたが師匠を尊敬していたので宿題をこなした。
仲間からの嫉妬が気になったけれど師匠はおかまいなしだった。
芸術については相当な影響を受けた。

ピアノの腕も素晴らしくジャズバンドでピアノを弾いていた。バレエは50半ばから始めて1週間に3つの違う教室に通いそれぞれの公演で踊っていた。
とにかく完璧主義。努力の人。

けれど自作の人形については自ら売り込む事を嫌い
1年に一度だけ3月に個展をするだけ。
写真集を望む弟子達には
「何の為にそんなものを?お金がかかるのよ」と。

個展を一度でもすれば人形作家、先生と呼ばれるようになり人形専門誌に自ら売り込み掲載して貰うのが普通の世界。そのせいか有名でも質が低いものが多い。
作家自身も気付けないでいるのは残念な事だが周りが先生と煽てて自分が見えなくなるのだろう。
写真で良いと思い観に行くと仕上げが粗雑でガッカリするばかりだった。
本物を創るのは非常に難しい。
きっと芸術全てに言える事のように思う。

そして作品には作家の全てが表出される。
作品を見ればその人が判る。
そう考えるとちょっと怖くなる。
詩歌も同じで読み手を騙す事はできない。
なれば姿勢を正して向かわねばならない。
人としてどう生きているか?
原点はそこにある?
自己満足にだけはなりたくないと思う。
書いて良く出来たと思えた事は一度もない。
見て頂いている詩人の先生に良い評価を頂けた時だけは嬉しいけれど。

師匠の最期は自死だった。
あんなに逞しく生きた人なのにまだ信じられない。
夫を奪った親友亡き後、元夫に会いにストックホルムに行きたいと言っていた。
私には本音を語ってくれた師匠。
忘れようとしても無理だから想い続けると。
ずっと心から離れなかったのだろう。

師匠の人形はどこか寂しげで翳りがある。
やはり師匠の心を映していたのだろう。
若い日の裏切りがなければストックホルムでずっと暮らしていたのだろうか?
人形に翳りもなかったかもしれないけれど。
それが師匠の人形の魅力でもあり‥‥
ストックホルムのある店に飾られているという人形を観に行きたい。
幸せだった頃に創った翳りがないであろうその人形に
会うために‥‥

人の心は難しい。
化石のように固くなった過去に再び血が通い流血する事があるのかもしれない。


5月の夕方、ストレーメンの眺め、1947年オスカー・バーグマン(1879-1963)


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