習慣化チャレンジ日記156日目 埋めがたい差異
※この記事は、毎日書くことを習慣化するために書いているもので、単なる日記です。さほど有益ではないです。
☆今日の習慣化チャレンジ
・家計簿の習慣化 11日目 △(レシートの保管のみ)
(ここから日記)
今日は、人生訓的な音声を聴きながら運転をしていたのですが、こうすれば良い、ああすれば良いと指南されている内容が、発達障害の私には、あまり響かなかったんですよね。
もちろん、普通に発達された方が圧倒的多数だし、ポピュラーなわけですから、そちらに向けてのアプローチは、至って普通のことだと思うのですよ。
問題は、普通に発達された方が、発達障害の方へ指南する場合に、発達障害の方を慮っているように見えて、実際は、普通の方寄りのアプローチの仕方で指南していたりするのをお見かけすることなんですよね。
つまりは、こうすればうちらと同じように卒なく暮らせるのだよと、合わさせようとするのをたまに見かけるんですよ。
善意なだけに、申し訳なさと、辛さと、それと残酷さを感じてしまうこともあるんですよ。それが、専門家のそれだと、尚更、虚しくなりますね。
もちろん、発達障害には、様々なタイプがいるので、全部が不正解とも言えないだけに、モヤッとした感情を抱いてしまうんですよね。
で、冒頭の人生訓でも、例えば、その方は仕事が楽しいと仰るのですが、楽しくないことにルーティンワークを挙げられていて、それは、普通に発達された方にはそうなのかも知れませんが、ルーティンワークを好むタイプの発達障害の方もいらっしゃるので、発達障害界隈では、つまらない仕事に当たらなかったりするんですよね。私もデータ入力とか大好きですよ。苦にはならないです。
ただ、冒頭の通り、そもそもが発達障害の方に向けてではないので、虚しさとかは感じないのですよ。対象が違うのがわかりますし…。