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がんサバイバーになったぼくが、“旅人”に戻るまで【1話】違和感
このnoteは、世界を旅するコアラ顔の著者が、日本への長期帰国中に発覚した“がん”を乗り越えて、また大好きな旅に戻るまでの軌跡を綴る物語です。
1. 新生活
2018年から始まったベトナムでの暮らしも、気がつけば丸6年が過ぎ、次に仕掛けるプロジェクトの準備のため、しばし生活の拠点を福岡に置くことにした2024年の春。
世間がゴールデンウィークに差し掛かろうかというタイミングで、ぼくは人生4度目の福岡に降り立った。
10年前には、ベトナムで暮らすなんて想像もしていなかったけれど、それと同じくらい九州で暮らすことも想像していなかったんだから、人生ってつくづくわからないものである。
それはともかく・・・というか、ベトナムでの暮らしに至った経緯とか、はたまた次のプロジェクトってなんぞやとか、書きたいことは山ほどあるのだけれど、今回は一旦まるっと割愛して話を進めるとしよう。
久しぶりの日本、新しい土地、生活の一つ一つが新鮮な瞬間の連続。
小さな異変に気がついたのは、真新しさとめまぐるしさに彩られた日々を重ねて、季節が夏へと移り変わったある日のことだった。
2. 鏡の中の異変
青い空、白い雲、カーテンの隙間を縫って差しこんでくる夏の太陽も、ベトナムの真夏の暑さに慣れた体には、まだやや物足りなさを感じる夏のはじまりのある朝。
起き抜けの汗ばんだ身体を流すため、部屋着を脱ぎ捨て、シャワーを浴びがてら浴室の掃除をし始めたところで、ぼくはふと、小さな違和感を覚えた。
その違和感の正体を確認するべく、今しがた視界に映り込んでいた浴室の鏡に目をやってみる。
しかし、浴室の熱気に白く曇ったそこには、輪郭すらおぼろげなぼくしかいなかった。
意を決して、左手に持っていたシャワーヘッドを鏡に向け、少しの泡と曇りとを追いやる。
すると、そこに映っていたのは、脇腹と右胸と脇との狭間あたりが一部凹んだぼくの姿だった。
3. 仮説と検証
違和感の正体がなんであるか、すでに一つの仮説が脳内に浮かんでいたぼくは、手早く掃除とシャワーを終えるとパソコンに向かった。
手当たり次第にキーワードを打ち込み、信憑性のありそうなページを開いては、自身の立てた仮説とページ内の症例の共通項を探していく。
画面の中だけでは答えが出ない問いとわかってはいても、検索の手はなかなか止まらなかった。
検証と情報収集を重ねながらも、次の行動にはなかなか踏み出せないまま、幾度も太陽は昇り、沈んでいった。
さっさと病院に行って白黒ハッキリさせるべきだと頭では理解していても、どうにも腰が重かったのだ。
それというのも、ぼくの立てた仮説が正しければ、ぼくが行くべきところは、どうやら“乳腺外科”という場所だったからである。
仮説とは、“乳がん”だったのだ。
4. “ぼく”と“乳腺外科”
ぼくに関するあれこれをご存知の方や、“ぼく”という一人称などから、おおよその事情を察していただいている方もいらっしゃるかもしれないけれど、この連載を公に残しておこうと思うに至った経緯にもつながるので、ざっくりではあるけれど説明しておこうと思う。
ぼくは、いわゆるトランスジェンダー(生まれ持った生物学的な性別と、自認する性別が異なる人)という部類で、生まれ持った身体は女性だけれど、自分の感覚として“女性である”と思ったことがない。
とはいえ、家や学校では、女の子として育てられ教育を受けてきて、世の中で(この表現は好きではないが)女の子らしいとされる仕草や性質も多々身につけてきたことも自覚している。
しかし、感覚は別なのだ。
では男性なのかと問われると、それもちょっと違っていて、定義として矛盾があるのは承知だけれど、男女という境界をつくらないノンバイナリー的性質を持ちつつ、グラデーションの中で男性側に大きく傾いているトランスジェンダー、といったところだろうか。
このあたりを突き詰めていくと、セクシャルマイノリティの当事者界隈でも分かり合えないこともままあるので、ふだんはわかりやすい記号として、トランスジェンダーとか、FTMと説明している。
とまあそんなわけで、“女性”という感覚もなく、“女体”に違和感を持ち、身体的な“女性的特徴”を排除することに知恵と努力とお金を費やして生きているぼくにとって、“乳腺外科”を受診するというのは、「やっぱり自分は結局のところ女性なのだ」ということを突きつけられるようなものだった。
※生まれながらの男性でも乳腺外科を受診することはあるけれど、今回はぼくの葛藤の話なので一旦横に置いておく
そしてそれは、ぼくにとっては「がんかもしれない」ということ以上に大きく立ちはだかったのだ。
おまけ. それでも書く理由
上述の通り、ぼくにとって乳腺外科を受診するというのは、なかなかにメンタルを削られることであるし、それについて公に言語化することは、「ぼくは女性です」と言って歩かねばならないようなもの。
わざわざ自分で傷口に塩を塗りたくるようなことをしてまで、なぜnoteを書こうと思ったのか。
それは、SNSやブログを検索しても、同じような境遇で悩みながら闘病している人が見つからなかったから。
自分がここで書いておけば、もしかしたらいつかどこかの誰かが思い悩んで検索に明け暮れたときに、トランスジェンダーだからこそぶち当たる壁を少しでも避ける術を見つけられるかもしれない、ほんの少しでも共感する部分があるかもしれない。
もちろん、そんな日なんて来ないほうがいい。
検索されるということは、誰かの身に病が降りかかってきているかもしれないということなのだから。
それでも、万一のときに、ぼく自身が知りたかったこと、聞きたかったこと、日々の葛藤やあれこれを少しでも残しておければ、とそう思ったから。
自分の備忘録、戦いの記録としての意味も込めて、ゆるゆると、でも丁寧に書き連ねていきたい。
拙い連載のはじまりだけれど、ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
また【2話】でお会いできたら嬉しいです。
このnoteは、ガンと向き合う管理人こあらの軌跡です。
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