差別と偏見と
朝一番に、会社へ一本の電話がかかってきた。
軽度知的障害を持つ20代の男性社員Aくんからだった。
本人は興奮しきっていて何を言っているのかよく聞き取れない。
落ち着いて何度か聞き返すと、本人は警察にいるのだという。
時に支離滅裂になってしまう彼の話から拾い上げた情報は次のようなものだった。
朝通勤のためバスに乗った。
バスで急に乗客から殴られた。
血が出た。
バスが止まり、警察が来たので、警察で話をしている。
なぐった相手は逃げてしまった。
これから自分は病院へ行く。
断片的ではあるが、何かが起ったことはわかった。
興奮するAくんへ、とにかく落ち着くよう促し、その日は出社せずに会社を休むよう伝えた。
その後すぐに、彼の支援機関へ連絡し、事情を話す。すると素早く支援者が彼と警察に連絡を取ってくれた。
支援者からの話は以下の通りである。
Aくん本人はいつも通り通勤バスに乗った。その日は混んでいたため、一歩奥に進んでくれるように近くにいた男性に「もう少し奥に行ってください」と1,2回(かどうか定かではない)声をかけたところ、その男性が殴りつけてきた。バスがとまり、見かねた他の乗客は「社内トラブル」が起きたと警察を呼んだ。
Aくんはその男性から逃れるためにバスから逃げるように降りたが、その男性も降りて追いかけてきた。
恐怖を感じたAくんは、持っていた傘を振り回した。
男性は駆けつけた警察に対し、「自分はAくんに傘で殴られた被害者だ」と伝えた。
その後二人は警察に連行された。
ざっとそんな事情ということだった。
Aくんは軽度知的障害である。
が、ぱっと見たところは健常者と全く変わりはなく、普通に会話もすることができる。
また障害者手帳を普段は持ち歩いていない。
しかし一方でこうした状況になったときには興奮状態となり、またとっさの状況判断力という点で健常の人とは大きくことなってしまう。
それは
時系列で論理的に状況を説明することが不可能
という点と
時に「場の空気を読む」ことができず、自分の「正義」を押し通してしまうという点。
また押し通した結果の責任をとった行動ができないということ。
警察は支援者と母親が駆けつけてくれたことでようやくAくんの状況がわかってくれたが、彼が「傘を振り回してしまった」という暴挙に出たことが問題となっていた。
バスの中では何が本当に起ったのか証言をしてくれる人もなく
結局は「けんか両成敗」となり、Aくんは頭を二針縫うというけがを負ったまま帰宅。
翌日痛々しい姿のまま出社し、武勇伝を周囲の後輩社員に話していたが(笑)聞いている同じく軽度知的の社員たちは次々と自分の過去にけがをしたという話をしだし、いつのまにか武勇伝大会となっていた。。。
それはさておき、今回私たちが問題と思ったのは、そういう健常とは違う人の判断力について考えたとき、彼らにとっては通勤自体に多大なリスクがあるという点。
一見健常者と変わりがない彼らは、健常者と同じように見られたいと願ってはいる。しかしそんな状況に置かれたときに,事件に巻き込まれやすく、窮地に追い込まれてしまうことがあるということ。
しかし彼ら、特にAくんには、すがすがしいほどの正義感やまっすぐな、本当に素直な感情がある。
そんな彼らに
「変な人のそばには寄らないように」
とか
「見て見ぬふりをして自分を守りなさい」
ということを伝えて行かねばならないのだろうかと、後日支援機関とともに悩んだが、みんな答えが出ず、本人には気をつけなさいと言うしかないのかと頭を抱えていた。
特にAくんの住む地域は東京の外れで、かなり治安もよくない地域とのこと。今後もまたそんなことが起りかねないと支援者は言う。会社側からヘルプカードの携帯はどうかという声が出た。
ヘルプカードは皆さんご存じだろうか。
支援者も通勤時はつけるように促すことも一度は検討したものの、一方でそれをつけているが故に周囲からの言われのない差別や偏見、そしてそれを利用した犯罪に巻き込まれやすくなることもある、とのことで、なかなかつけるようには言えないとのことだった。
そんな時、ふとこの記事が目に入った。
黒人と結婚した日本人女性の自分の息子に対する思いが綴られた記事。
黒人であるがゆえに受ける差別や偏見のため、なるべく目立つ行動をしないように気をつけて生きていく必要性について書かれたこの記事は、少数派として生きていくことの難しさを考えさせられるものである。彼らの命を守るために「頼むからおとなしく警官の言うことを聞いて」と息子を説得する母の気持ちが胸を打つ。
少し話はそれるが、以前一緒に働いていたアメリカ人の同僚と一緒に電車に乗っていたときのこと、彼は言った。
「電車混んでても、俺の隣には人が座らへん。外人だからや。」
大阪に住んで他人なんで、関西弁なんですが笑
さらに彼は言った
「ほんま、それって差別やで」
でもね、その時私は言いたかった。
L君
180センチ以上のガタイのいい君の、その眼光の鋭いスキンヘッドの風貌も一役かっていないかい笑笑
まあ、それは余談ですが笑
障害の有無や人種の違いで受ける差別や偏見。違うものを排除しようとするのは人間の常かもしれないが、私はそんなものを超えたところで物事を理解し、前を向いて生きて行きたいといつも思っている。きれい事なのだろうか。いや、そうではないと思いたい今日この頃である。