私にとってのプロレスとバイキンマン

 おそらく大体のプロレスファンが、
「あなたのプロレスの思い出や、あなたのプロレスへの想いに興味があるので、思う存分語ってもらえませんか!」
と言われたら、疲れるまで語ると思います。金銭的インセンティブがなくても、相手が熱心に聞いてくれるだけで、どこまでも。
 私はその1人です。

 初めてのnote投稿です。自作のウェブ上の文章としてはいつ以来か分からないくらいのものです。
 気の赴くままですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 以前、テレビ番組を見ていたら、小学校で、先生が子供たちに道徳の授業をしていました。その中で、こんな問いかけをしていました。
「現実では人を殴ってはいけないのに、どうしてアンパンマンはバイキンマンを殴っていいのか。」
 テレビ番組では、子供たちに考えを発表させて、何かしら先生がコメントを言っただけで終わりました。私の中ではすごく消化不良で、未だに答えが気になっています。答えというか、先生は何を伝えたかったんだろう、なのかもしれません。テレビの切り取りでは全然ピンと来ませんでした。そして、自分が先生だったら、授業の締めくくりはどうしただろう、と。
 成文法や警察がない時代、極端に言えば縄文時代とか、同じ共同体の中で殴るという行為はどう捉えられていたのかな、なんて想像もしてしまいます。

 そんな深いのか浅いのかよく分からない次元とは別の次元で、あるときふと思いました。
「そういえば、バイキンマンって、何度でも立ち上がってくるよな。」
 そもそも、バイキンマンって、何がしたいんでしたっけ。かびるんるんで民衆を見張ったり徴税したりして、王として君臨したいんでしたっけ。

 この「何度でも立ち上がってくる」ってのは、視聴者や観客がいる中で、殴られる側(≒殴る側)にとって非常に大事だと思います。むしろ必要(断言)。
 プロレスファンの方にとっては、当たり前すぎて「いや、分かっとるわ」と言われそうですが…。

 しかし、やはりこの「何度でも立ち上がってくる」は、私が人生で一番感動したプロレスの試合で重要な位置を占めています。
 そして、昨年から拝見しているプロレスラーにも通じるところがあると思っています。
 先に一番感動した試合について。

 約20年前です。
 当時中高生だった私は、今でも世界最大のプロレス団体WWE(WWF)にのめり込んでいました。先天的な気質として無気力だった私が、青春時代に、唯一深く興味を持ったものです。
 当時スター選手だった、ザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)、スティーブ・オースチンの試合は、毎回興奮して見ていました。WWEがWCWを統合する前なんかは、週に2回、ほぼ同じメンバー(選手)による興行が放送されていたので、彼らを好きな私にとっては天国でした。(統合後は1人の選手を週1でしか見られなくなりましたが、それはそれで吸収された新しい選手が知れて面白かったですけれどね。DDPとか。)

 その私のWWEの見始めの頃だったと思います。当時の私にとっては中途半端なヒール役として、エディ・ゲレロが出ていました。(当時は新日本プロレスの2代目ブラック・タイガーだったってことも知りませんでした。)
 いつも陽気な感じで(キャッチフレーズは「ラティーノ・ヒート」)、「ライ、チート&スティール」というフレーズが流れる入場曲にノッて、盗んだという車で入場してきたり、レフェリーが見ていないところで反則したり。その頃は、「何か試合中はすばしっこくて、テクニシャンで、面白い人だな」と思っていたくらいでした。ただ、そのくらいの印象の中でも、決め技のコーナーポスト上からのフロッグ・スプラッシュは、物凄く綺麗でした。

 それが、いつ頃からか、熱と力の入ったファイトスタイルになっていった気がします。(すみません、思い出補正が強すぎて、違うかもしれません。これ以下も同様です。)
 しかし、身長も173cmと大柄ではなかったですし、たしかいきなり王座戦に絡みはしませんでした。

 徐々に、エディ・ゲレロが本格的なファイトをし出すようになったとき、ライバルとして配役されたのがエッジでした。(対立のきっかけは何かあったはずですが、覚えていません。)
 今でも当時の感動を鮮明に覚えているのですが、ある日の日曜特番で2人がラダーマッチ(梯子戦。梯子を、凶器として使ったり、勝利条件であるぶら下がっているベルトを取るのに使ったり。)をやったんですよね。もう、見事としか言いようがない試合でした。2人が、リング上でこれでもかというくらいにバチバチにぶつかり合うし、梯子から何回も派手に落ちるし。お互いずっとゼーゼーでしたね。でも「どんな人間でも、もうキックアウトできなくない⁉もう立てなくない⁉」と思っているのに、何回も立ち上がって、見事に技の応酬をするんですよね。
 そして、畏怖さえも感じるのですが、翌日の通常の月曜番組でも、この2人が闘ったんですよね。そして、また、前日の特番並みにバチバチバチバチ闘って。「本当に大丈夫⁉」と思いました。普通だったら、前日のダメージも相まって、息切れして死ぬんじゃないかと思いました。でも、2人とも勝利への執念のため立ち上がる。何度も何度も、フラフラでも立ち上がる。その姿を見て、もう、何というか、涙が出そうなほど感動しました。こんなに人間って、立ち上がれる、頑張れるんだ、って。

 その2試合のうちどちらだったか忘れたのですが。
 エッジが勝利し、エッジのテーマソングが流れて、観客もいつも以上に「ワーッ!」って盛り上がったんですよね。素晴らしかったです。
 でも、もっと素晴らしかったのが、負けたエディ・ゲレロがヒールだったのにもかかわらず、彼の闘い方があまりにも素晴らしすぎて、段々とエディコールが起こったんですよね。エッジのテーマソングがガンガン鳴り響いているのに、「エディ!エディ!」と。ヒールなのにですよ。近年流行りのダークヒーローではなく、単なると言っちゃ失礼ですが、単なる憎まれ役のヒールが負けたときにコールが送られるなんて、見たことありませんでした。そして、これまた憎いことに、エッジのテーマソングが消えて、エディ・ゲレロのテーマソングが流れ始め、観客が一層盛り上がりました。私の眼には、エディが恥ずかしながら声援に応えた素振りをしたように見えました。
 今振り返ると、あんなにエッジとバチバチにやって、何度も立ち上がるエディの姿は、本当に見事だったなと思います。

 そして、私自身は、上京したりとバタバタして、WWEを観なくなりました。しばらくエディ・ゲレロの活躍は続きましたが、程なく彼の訃報を聞きました。私は死因を詳しく知りませんし、いまだに詳しく調べる気が起きないくらい、残念でなりません。

 と、バイキンマンの「何度でも立ち上がってくる」という要素を持ったヒール時代のエディ・ゲレロが、皆に好かれていたし、私は心の底から感動させられた、という話でした。

 そして、昨年から拝見しているプロレスラーについてですが、米山香織さんにも、よく感動するんですよね。
 先日の試合で言えば、プロレスリングWAVEで、私が好きな宮崎有紀さんとベルト戦を行いました。
 本来闘いにおいて重要な体重差を、どう乗り越えるか楽しみに見ました。
 序盤からある意味セオリーどおり見事なテクニックで膝攻めを行うも、宮崎さんのパワーで潰されそうになる。でも、何度も何度もキックアウトする。強烈なDDTを食らったり、尻もちをついてダメージが蓄積していそうでヒヤヒヤしっぱなしでしたが、それでも立ち上がりました。これだけでハートを鷲掴みされました。
 しかしさらには、終盤、コーナーポスト上から、2回も綺麗なセントーンを繰り出しました。いやぁ、綺麗。芸術。他のレスラーを引き合いに出すのは良くないのかもしれませんが、私にとってはエディ・ゲレロのフロッグ・スプラッシュ並みの美しさでした。
 その試合の勝利自体もそうですが、米山さんは、試合数も多くて大変でしょうに、どんな試合でも、まず明るく(面白く)入場して(立ち上がって)盛り上げてくれる。観客の気持ちも立ち上げてくれる。
 私の中では「立ち上がる」なのですが、YMZの最後あたりの「こんなんじゃ終われないよー!」と言ってからの椅子取りゲームとかも、大好きです。
 本当に米山香織さんは大好きな選手です。
 売店で初めて言葉を交わしたとき、緊張してきょどったけれど、感動したなー…。

 以上、そんな感じで、バイキンマンって何度でも立ち上がってヒールとして立派だなーと思いますし、何度も立ち上がる、そして観客を立ち上げるプロレスラーが大好きだ、という話でした。
 ちなみに、プロレスに「受けの美学」って言葉あるんですが、自分としては、言葉のセンスが今いちとはいえ「立ち上がりの美学」の方がしっくり来る気がしています。

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