7月25日母の命日に思うこと
と言ってもなんの感情も起きないのである。
しかも去年の話しだと思ってたくらい。何年に亡くなったのか憶えていなかった。ただ亡くなった日(7月25日)というのは憶えている。
なんの感情も起きないというのは仕方のないことなのだと思う。共に暮していなかったから。
うちは両親とも育児放棄をしてしまうというとんでもない家庭だったのだ。母親は自分の実家に預けたまま両親は蒸発したのだ。
小学校低学年くらいまでは実家に顔を出していた母もそのうち全然来なくなった。
保育園、小学校、中学校、高校の全ての入学式、卒業式はおばあちゃんか伯母さんが来てくれた。それだけまだイイ方だったかな。父親にいたっては顔も見たことない。
父親はまともな職につかず、女に働かせるという典型的なダメ男だったようだ。それでうちの母は水商売をやらざるを得なかったようだ。
そしてお金に困っては実家に寄り、おばあちゃんからお金を貰って去って行くという光景をよく見ていた。
そんな母親におばあちゃんは何で甘やかしているのか?って思ってた。
聞けば赤ちゃんの時に抱っこしてて落としたからあんな風になっちゃったんだと。要は脳に損傷があるんだと思ってるの。診てもらってないだろうから実際のことは分からない。ただおばあちゃんはそれを負い目に感じているのだ。
だからお金もあげるし、こんなことになってることに対しても声を荒げることもないのだ。
ただ、そんなこと本当かも分からないし、実際に放棄してることは確かなことなのだ。子供の私には解決できない複雑な思いを抱えて日々暮らしていた。
辛かったのは学生生活だ。中学までが面倒くさかった。
両親が揃ってるという前提の特に小学校の授業は苦痛でしかなかった。
母の日、父の日に自分の親の絵を描くのだ。
有り得ない。
だけど私は父の日には伯父さんの絵を。母の日にはおばあちゃんの絵を描いた。空想で描くことは出来なかった。
クラスメイトが親の話をしている時は私は会話に入れなかった。ひつこく人の親のことを聞いてくる奴には面倒だから「死んだ」と答えておいた。言うと大概「そうなんだ…」と言って黙ってくれるからだ。
授業参観とか三者面談とか何であるの?本当に最悪だよ。授業参観には伯母さんが来てくれたこともあったかな?でもほぼそのプリントは見せなかった。だから誰も来なかった。三者面談はポツポツ伯父さんに頼んだり、おばあちゃんに頼んだり。言わなかったり。
今はシングルの方もいるし、離婚なんてあんまり珍しくないけど、その頃はほぼ片親なんてのもいなかった。ましてや両親いないなんてね、、ウチぐらいだったよ。
ホントあんな授業とか行事なんてなくなればいいのにって思ったな。
今でもまだあるらしいからウンザリするな。
母が亡くなったって聞いたのは伯母さん(母の姉)からの電話だった。もう危ないって言うからいつ行くか?なんて姉と話してたら、すぐその日のうちに亡くなってしまった。乳がんを患っていたけどそれは治ったんだけど喉に転移してしまったらしい。それが死因。
もちろん誰からも入院してたなんてことも知らされていなかったから分からなかった。
せめてお葬式には行っておきたい。って思って伯母さんに電話したらなんと驚きの返答が返ってきたのだ。
「お葬式は来なくていいって…」と。
???!!???
なんと知らない間に母は結婚していてその旦那が言っていたというのだ。
付き合ってると変なおじいちゃんみたいな奴を紹介されたことがある。そいつだった。
そいつはとんでもない勘違い野郎で私たち姉妹のことを「連絡もよこさないヤツは来るなー!!」って伯母さんに言ってたらしい。それでそのまま伯母さんは私に伝えてしまったのだ。
私はそれを聞いてカーッとなってしまって伯母さんを電話越しに怒鳴りつけてしまった。
「葬式来るなってどういうこと!?アイツが言ってんの⁉︎そこにいるの?いるなら出してよ‼️」って。
ダーッと涙が溢れ出てきてしまった。
どれだけ辛い思いを子供の頃にしてきたか途中から入ってきた奴に何が分かるんだ??子供の頃にそんな判断が出来るのか?私たちが捨てたんじゃなくて親が私たちを捨てたのに!!
強く強く頑張って生きてきたのに!!
全てを否定された気分だった。
母親がそいつにちゃんと話してなかったってことも物凄く分かって、それも本当にショックで泣くことしか出来なかった。
結局、姉と旦那と話し合って無理やり行って葬式の会場でバトルするのもヤダしってことで火葬場から参加することに決めた。
当日、お葬式から参加する伯母さんからの連絡を待って火葬場の会場に行った。
どんな顔するだろうなとか怒鳴られるかなとか思ったけど、ヤツはなんだか私たちのことが目に入っていないかのようにニコニコしているのだ。それが違和感ありありで物凄く気持ち悪かった。
そんな母親と結婚した男だけど、そのご兄弟がとてもいい人だったのが意外だった。「そういう話し全然聞いてなくて…ごめんね。娘さんがいるなら連れておいでって言ったんだよ」と。そういう訳でご兄弟のGOサインが出て伯母さんからの連絡が来たという訳。
無事に見送ることが出来た。
その結婚した男と姉は話したが母のことを「自分の母親と似てて可愛くて…」とかなんとか出会った時の話しと一方的な話ししかしなくて姉の話は一切聞かなかったらしい。
当然私はそれを姉から聞いて話す気はさらさらなくなった。一言も喋らずその日は終わった。
色々言いたいことは山ほどあったんだけど現実を見れないクレイジーなやつには話が通用する訳がない。まぁ最愛の妻を亡くしたという心の傷は大きいのだとは思うけど。
人ってなかなか上手くいかないものですね。
人生と言うべきなのか。
お墓がどうなったのか、今年で三回忌だけど親戚のほうにも一切向こうからの連絡は来ないらしい。なんて奴だ。
どんなことがあっても『終わり良ければ全て良し』って思えるのに。その男のせいでそう成り得なかったのは非常に残念なことだなぁと。
上手くまとめられなかったのは生きてる間の母の対応だったと思うよ。きちんと結婚相手に自分が子供を育てられなかった理由を話しておくべきだったんじゃないかな?
自分を捨てた親に電話なんか出来るかよ。
何を話せって言うんだ。
私は自分たちを捨てた母親を憎んではいない。仕方のない場合もあるだろうと親としては未熟だっただけなのだ。と今では考えられる。
そして私たち姉妹は今はお互いに幸せな家庭を築いているのだから。
だからそんなことで波風を立てたくなかった。
ただ何でこんな最後の最期まで後味の悪いことが起きてしまうのかと。いい加減にしてくれとどうしても言いたくなる。
そいつの勘違いがなければ私たちは母に対して、普通に「愛する人を見つけられて良かったね。幸せになれて良かったね」って心の中で言えたのに。
ずいぶんブチ壊してくれたもんだ。
私たちを育ててくれたおばあちゃんもだいぶ前に亡くなったし、父親も先日亡くなったらしいと伯母さんから連絡が来た。これで私たちには本当に両親がいなくなった。
正直に言えば子供の頃にあなたが迎えに来てくれるのをずっと待ってたよ。
「ごめんね…」って言って抱きしめて欲しかった。ただそれだけなんだ。普通の暮らしをしたかった。叶わなかったな。
母親に伝えたいことは、ただ一つ。
「来世では同じことしないでね。」
っていうことぐらいかな。
いい大人になってもふと思い出して泣いてしまうこともあるよね。
そんなことを思った三回忌の夜だったんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?