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Vカツのサ終で起こる当事者とそれ以外の感情差

例えば小さい頃から大切にしていた人形が居て、急に6ヶ月後その人形は使えなくなります。昔の写真も見せられません。と言われたら、新しい子にしよう!なんて軽率に思える人は少ない気がするんだ。

本日バーチャルに生きるもの達の器の一部であるVカツがサービス終了することが発表された。

Vカツとは、世界初Vtuber支援サービスと言う命題で登場した簡単にキャラクリ感覚で3Dアバターを作る事が出来る基本無料のサービスだ。発表当初はものすごい人数のVtuberやバーチャル体がこのVカツを利用していたことを懐かしく思う。

僕はVカツを少ししか触ったことがなく、うちの子、という子も作っていない為思い入れが少ないので、割と切り替えられる方なのかもしれないけれど。これがもし飼い猫の話になるなら話しが変わりまくるというか。要はどれだけその身体に思い入れがあって、どれだけそこに生きているその子自身としてその身体を扱ってきたかによると思っているんだ。

僕はぶっちゃけてしまえば生命もデータもいつか消えて無くなるものではあるし、新しいものに利便性を求めて乗り換えていくのは人の性だから、仕方が無いと思う。けれどそれは本人が納得して手放す必要があって。

その体をもうネット上にあげることが出来ないというのはバーチャル体にとって死活問題な訳で。昔の思い出が削れていく物になる訳で。その子が居たそのものの記憶を消されるようなものなのだろうと思う。

その事の別れの為に2022年6月末までサ終に余裕を持たせてくれた、と考えるのが1番正しいと思っていて。そこで言われた直後にやれ違うソフトを、違う身体を、必要な方はこちら、と呼びかけるのは少し、人道的ではないような気が僕にはした。

もちろん人によってはマシンパーツの様に交換するものではあるだろうし、実際僕も1から作り直すことも何度かやっているのでそこに抵抗はない。でも本人的にはまだそこまで踏み切れるような整理はつかないかもしれない。

ビジネスチャンスを逃すまいとするのは商戦たくましいことだが、100日後に死ぬワニ終了直後に流されるメディアミックス商品ツイートと似た感覚というか。人の感情を蔑ろにされている感覚がして、人間は他人に対して冷たいなぁと思う反面、逆に普段Vカツを利用していない僕のような人間がギャーギャーと外野からもう利用出来ないなんて!と非難しているのも何度か見かけて、外野は関係の無い話だと言うのに本人を置いてどこまでもやかましいなと、悲しくなった。

でも、それ程までにバーチャル体を手に入れるに当たって皆が触れたことがあるような、完成された凄いものだったのだろうとも思う。
メタバースが叫ばれる昨今、その走りとなった今作を僕は忘れない様にしたいなと思った。

しかもどうせ後1週間もすればこの話題は一切話されなくなって、当事者以外はいつもの生活に戻っていく。当事者だけがこの一週間でズタズタにされるんだろう。

人間の感情の使い捨てには、本当に恐れ入る。ジャンクフードみたいな使い方だ。
僕も例外ではないのだから、人間は中々度し難い。

今は外野の事など放っておいて、その子との思い出を大切にして欲しい。納得するまで別れを惜しんで沢山触れてあげて貰えたらと思う。

そして切り替えようと、無理にせず心の整理が着いたら、自分のペースで新しい道を探し始めて欲しい。

貴方の人生は、貴方のものであるはずだし、その子の人生は、貴方が納得いく物にして欲しいから。

猫缶代、いつでも待ってます。