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諦めて手放した夢のカケラたち①

にゃんちーです。読書屋さんと星読み屋さんをしています。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。

はじめに

今日読んだ本がとても素晴らしかったので、オススメしたい!
少ないけれどフリガナも付いているので、小学校中学年くらいから読めると思います。そして何より、「夢を持つことを忘れた大人たち」へ強くオススメしたい。本当に。

植松努 著『好奇心を”天職”に変える空想教室』2015年 サンクチュアリ出版

この記事を書こうと思ったのは、この本の中にあったこんな文章があったからです。

「夢」という言葉について調べてみたところ、アメリカの辞書には〈夢とは…強く願い、努力すれば実現できるもの〉と書かれていました。
 ところが、日本の辞書には〈夢とは…はかないもの。叶わないもの〉と書かれていました。
 実際、日本人には「あきらめた」んじゃなくて、「あきらめさせられた」人の方が圧倒的に多いのです。 p.33-34

これを読んで、ハッとしました。
私は、夢を諦めたのか。はたまた、諦めさせられたのか。
別に誰を責めたい訳でもありません。自分を責めている訳でもない。だけど、どうして色々なものを手放して、諦めてきたのだろう。そんな風に考えました。そしてこれを書こうと思いました。

夢のカケラ①ピアノ

生まれて初めて、親に頭を下げて(本当に土下座した)「やらせてください!」とお願いしたのが、ピアノでした。
ピアノ習うって言ったって、そもそもピアノを買わなければなりません。
うちは母子家庭です。そして賃貸。今思えば、親の負担があまりにも大きかったと思いますが、そこは保育園児の私には想像もつきませんでした。

そもそも私はピアノを習い始めたのが遅かった。小学校に上がる前の6歳。
とは言え、ピアノのレッスンを始めたばかりの頃は、年齢が足を引っ張るなどと微塵も考えていませんでした。別にピアニストになりたかった訳ではありません。とにかくピアノが弾けるようになりたくて、上手になりたくて。
もうそれだけで1日何時間も練習していられるような子供でした。うるさいからいい加減にしなさい!と怒られるまで弾いていました。本当に無我夢中でした。きっと、楽しかったのだと思います。

だけど、現実を知る日が来ます。
私がピアノを習い始めてからというもの、有難いことに母はほぼ毎月コンサートに連れて行ってくれるようになりました。地方の公共ホールですから、正直大したことはありません。それでも「本物」が見られるというのは、とても刺激的でした。子供ながらに感動することもあったし、表現や手と腕の使い方が勉強になるなと思っていました。でもつまらないピアノだと爆睡している、母親泣かせなこともありました。子供です、そういうところは。

コンサートに行く回を重ねるごとに、私はピアニストの略歴を気にするようになりました。
そこで知ったのです。6歳で始めたピアニストは、いない。
みんな2歳、3歳から始めていました。1歳という人もざらにいました。今なら分かります。6歳以上で始めたピアニストがいることも、年齢を超えることが決して不可能ではないことも。でもこの当時は分からなかった。実際、始めた年齢が遅いピアニスト達の演奏、とりわけ日本人の演奏はひどく退屈で毎回寝ていました。こんなつまらないピアノ、弾きたくないわ…ぐーすかぴーすか。無論、これは当時の気持ちなのであって、心を打つ演奏に国籍も年数も関係ありません。今だから分かるのですが…。

さらに本気でピアノをやろうと思うと、例えば日本だったら東京の大学に行かねばならない。その上、その大学に行くまでに、そして行ってからも誰かに師事しなければならない。個別レッスンを受けに東京に行くのです。さらにさらに、何かと表にでる時は衣装が必要。アップトーンではなくて、グランドピアノが必要。もう、一体どれだけお金がかかるんだよ!と思いました。

ザーッと計算して、「うちにそんなお金ないわ」と早々に諦めました。
そんなことに気が付いたのは小学2年生のころで、そこから8年ずっと「ピアノが上手になりたい、好きだから」という純粋な気持ちだけで習い続けていました。

しかし、終わりは突然でした。

ある日、自分の中でピアノを続ける意味が分からなくなりました。
そしてピアノを見るのも嫌になり、このままではきっと一生ピアノを弾けなくなる…それは嫌だ!と思って、高校生になってすぐにピアノを辞めました。

やっとこさ受験が終わって、晴れて高校生になった日のこと。
入学式でもう次の進路についてせっつかれたのです。まあまあの進学校だったから仕方ないのかもしれませんが、受験終わったばかりなのに…と思いました。
でも、ここで初めて考えたのです。

私、ピアノ、いつまで出来るんだろう、って。

家から通えるところに進学したら、ギリ続けられる。仮に大学に行ったとして、高校の3年間と合わせて7年後、社会人になる頃にはピアノを辞めなければならないだろう。進学先によっては高校卒業のタイミングだから3年後。

終わりが見えた瞬間でした。

どうせ音大にも行かない。行けない。ピアニストにもなれないし、ピアノの先生になる気はさらさらない。音楽を人に教えるのは好きじゃなかった。それでも続ける意味はあるのか?と。
その意味は、どんなに考えても見つけられませんでした。
不思議なものです。あんなに懇願したピアノでさえ、手放す時はあっという間でした。ピアノ辞める!と言い出した時、親には反対されました。教室を変えたら?と代替案も出ました。でも、辞めた。
極端な性格なせいもあり、私には、やるか辞めるかの2択しかありませんでした。

でも、本当はずっと、ずーっと心の片隅で後悔していました。
なんで手放したのだろうと。やれるだけ続ければ良かったのかなと。何が自分にとって良かったのか、今となっては分かりません。
幸いピアノそのものを嫌いになることはなく、気が向けば弾ける心の余裕も今はあります。当たり前だけど凄く下手くそになりました。

だけど、いや、だからピアノを弾くたびに毎回思うのです。

うちにもっとお金があったら続けられたのかな、とか。奨学金とか留学とか別のルートがあることを知っていたら、続けられたのかな、と。

知らないというのは、こんなにも自分の道を閉ざしてしまうものだったのかと今更ながら痛感します。子供はそんなに色々なことを知らない。圧倒的に情報が足りない。それはもしかしたら、誰に言われるでもないけれど「勝手に諦める」原因になっているのかもしれません。

情報も発信も手軽になった今、もし自分が高校生だったとしても、きっとピアノは辞めていたような気もします。

ピアノを習っている間、ずっと私が大人達に言われ続けたことは、きっと今の大人でも言う気がします。
「毎年星の数ほどピアニストなんて生まれるんだ。有名になれるのはほんの一握り。そんなものになるのは無理だよ。」って。

終わりに

思っていた以上に長くなってしまいました。とほほ。
これはシリーズ化となりそうです。何しろ、諦めて手放したものがあまりにも多いのです。そうやって勝手に手放してことで、夢を持つことへの抵抗感というのか、罪悪感とでもいうのか、そういったものが自分の中にあるのだと知りました。

夢と現実は、必ずしもすぐには繋がらないものです。

冒頭に紹介した本の中に、こんな文章がありました。

でも本当は、夢とか趣味というものは、自分で考えて生み出すものです。それはお金では買えないものです。だからこそ、経験や、仲間の方が大切になります。おまけにそれは仕事になるかもしれません。 p.194

本当に、その通りです。
今更ながら「あーあ…」って思ったんです、自分でも。
そういえば小学5年生の担任だった音楽の先生は、私に「勉強はサボっても良いけど、音楽は続けなさい」と言ってくれました。ピアノを辞めたと話した時には「勿体ない!またやれば良いじゃない!」だなんて言ってもくれました。今なら、それがどういう意味だったのか分かる気がします。

だけど、こうして夢を勝手に諦めた大人達ってゴロゴロ居るのではなかろうか。そしてそれをそのまま「我慢」というよく分からない理屈で、未来の大人達に押し付けている今の大人もいるのではなかろうか。当時、私が大人達に言われたように「無理だよ」って。

もはや、自分の中での夢のカケラを成仏すべくnoteを書いているようなもんです。今回のこれは。だからnoteは、夢のカケラが成仏して空に帰るまで、ぼちぼち書いていくのだと思います。
そしてこれを機に、手放した夢のカケラ関連の書籍や楽譜は断捨離しました。ありがとう、って言いながら。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
したらばまたにゃーん🐈



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