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頑張るゲームに、飽きた。

頑張るのは疲れる。そもそも頑張って生きているのって、人間くらいなのではないかと思ったのです。疲れるのが嫌なのかと考えてみたのだけれど、私は頑張ることに飽き飽きしたのだと気づいた、というお話です。(結論)

こんばんは。にゃんちーです。星読み屋さん時々タロット使い。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。
(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。

頑張るのは特技なだけ。

私は、自分で頑張る!と言って、何かと自力で乗り切っていくのが得意。目的があればなおのこと、自分に鞭打って走り続けていける。努力するのは嫌いじゃないし、やると決めたら結果が出るまで満足しないので、やる。やって出来ないことはないと思っているので、厳しく見えるよね、きっとね。

私にとって頑張ることは、できること。体壊すまで気づかないくらいオーバーワークになりがち。測れるものでもないのだろうが、相当やれるってことなのだと思う。良くも悪くもだけれども。

じゃあ、私は頑張るのが好きなのか?と自分に問うてみると、微妙と答えがかえってきた。

そうなの、そうなのよ。

頑張るのは好きっちゃ好きだけど、好きじゃないと言えば好きじゃない。
これを突き詰めて考えてみたのだけれど、飽きたのだ。
今の私は頑張ることに、飽き飽きなのである。

他者評価のための頑張りは、脆い。

自分のためにやっているようでいて、実はその評価が他人に委ねられていることはとても多い。他者の評価で自分の努力の結果が測られ、その評価によって自信がついていく。しかしそれは、物凄く、脆い。あっという間に崩れていく。そう書くと分かりにくいだろう。

でもきっとこう書くと分かりやすい。
資格取得、賞を取ること、成績、褒められること、フォロワー数など数の多さ地位や肩書きなどなど。

こういうものを自信の拠り所にしている人は、案外多いだろうと思う。それを凄いだろー!と声高に言う(あるいは、言いたげな)人も、まあまあ多い。

私も社会に出てから、資格取得マニアだったので、分かる。資格や数字というのは目に見えて結果が分かるので、面白くなってしまうのだよね。それに資格が取れたという自信と、ここまで勉強出来た自分への肯定感と、武装の肩書きが増えるなど、オマケも多い。ゴールも明確なので、手っ取り早いのである。

実際、その結果を出せるのは本当に凄いことで、努力の賜物以外の何物でもない。その頑張りは本当に凄いとしか言えない。結果にこだわることとか、そこまで頑張ることとか、いい意味で執着心が凄い。誰もがそこまで頑張れるわけでもないだろうから。

しかしこれらの裏を返せば、誰がみても分かるような形での「証明」がないと自信を持てないということであり、もはや自己の存在を認められないということなのだと思う。定規は他人が握っているので、他者の存在なくして、自分を計ることすら出来ないのである。

やはり脆い。

そして私は、これに飽きた。
他人に認められるために頑張るのに、もううんざりなのだ。見る人が変われば私への評価も変わる。当然のことである。万人に認められることなど出来ないだろう。

それに、他人のために頑張るって、実はすごく簡単だとも気づいた。
言い方は悪いかもしれないが、要するに急所はどこだという話なので、狙い撃ちすればよく、そこに戦略を立てて動けばいいのでもはや攻略。受験の赤本なんかまさにそれだよね。

そういうの、飽きた。
きっと、私がやって出来ないことなんかない!とずっと思っていたのは、こういうことなのだと思った。狙いを定める、戦略を練って行動する、以上、終わり、みたいな。

今の私は、狙い撃ちゲームに飽きてしまったようなのである。

頑張るより夢中がいい。

頑張るに似ていて、違うものはないかなと考えた。

夢中、だ。

もはや私は特性上、デフォルトで寝食忘れて何かをやり続ける傾向があるので自分では「夢中」の状態があまり分からないのが難点なのだけれども、きっと夢中になるって、好きなことじゃないと出来ない。

夢中になれるほど、好きなことがあるって、凄く強い。

そんなになるほど好きなことがある人の方が珍しいのかもしれない。
頑張る!などと意気込むこともなく、ただただ好きの一心で、寝食忘れるほどに没頭できる何かを持っている人は、一体いかほど居るのだろうか。

好きなことは、ただ単に自分がそれを好きという以上でも以下でもなく、そこに他者の存在は関係ないのだ。もはや役に立つとかそんなこともどうでも良いのである。それでも続けられる好きという気持ちがあるって、めっちゃ芯が強いじゃん!

このところの私といえば、当初設定した目的を忘れてnoteを毎日書いていたのだけれど、それをやめた。三日坊主デフォルトの私が15日続いたので誉れだと思っているのだけれど、やめたことで気づいてしまったのだ。
あてもなく走る楽しさもある。だけど頑張るのはすっかり、さっぱり、飽きてしまっていたのだということに。他人はおろか、自分のために頑張るのさえも、なんだか違うなということに気づいてしまった。

私が欲しかったのは、それじゃねぇってことに。
攻略するのが楽しいんじゃない。昔はそれが楽しかったけど、飽きちゃった。
ラスボス倒す達成感が欲しいわけじゃない。
ラスボス倒したらゲーム終了なので、次の強敵を探し回ることになる。もはやそんなの面倒ご免なのである。

楽しいに理由などいらない。
目的すらいらないのである。

夢中になれるくらい、好きなことを増やしていこう。
そう思ったのです。まる。



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