失望と絶望のはざまにあるもの。
いつぞやのしいたけ.占いで「失望はしても絶望はしなくて良いですからね。」と言われた蟹座。このフレーズが頭から離れず幾日か過ごしていたのです。そう言われた一週間はとうに過ぎているはずなのだけれども。
こんばんは。にゃんちーです。星読み屋さん時々タロット使い。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。
(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。
仕事と人を切り離して考えることは、私にはとても難しい。
有難くも人様から事務仕事をもらって、ちょこちょことやっている。仕事は仕事でやる。そりゃそうだ。
でも、人として自分とは相容れぬ、ということもあるわけです。初めの頃ははらわた煮え繰り返ってブチギレたくもなりました。今ではすっかりさっぱり期待するのをやめました。それでもやっぱり、失望することが多い。もはや失望し過ぎて、絶望の淵にいたのが、最近のこと。
絶望はしなくて良いと言われたものの、絶望までの間にじ何があるんだろうか。もう絶望という崖しか見えないのだけれど。失望から絶望まで、一本道に見えるのだけれど。
そんな風に、失望と絶望の狭間でうろうろしていた。
振り回された挙句に傷つくほうが圧倒的に多かった。
期待は早々に手放したので、裏切られたと思うことはなかったけれど。
一度握ったその手を安易に放すことが出来ないたちの私。こういうところが千手観音だなと思うのだけれど、それはやっぱりどこかで相手を信じているからだ。信じているし、信じたいとも思っている。そんな風に思ったのである。その人のことを信じようと決めた自分を信じたかったのかもしれない。
失望と絶望はとてもよく似ている。
どちらも希望を失うという点では同じなのである。
どうやら辞書的な意味としては、失望と期待はワンセットらしい。期待を裏切られて希望を失うことのようだ。じゃあ相手に期待していたのかな?とも考えた。期待は捨てたつもりだったけれど、僅かながらにそうだったのかもしれない。
ただ失望って、要するに相手に対して思う感情なのだ。
絶望は希望を全く失うことなのだけれど、こちらは自分に対しての状況ということになるだろう。絶望的な状況とはいうけれど、失望的な状況とは言わないもんね。
ふむ。なるほど。
残念ながら他人様を変えることなど出来ない。
とはいえ、相手にも、相手の状況にも希望が見出せないので、失望は失望のままである。誠に残念極まりないけれど。
しかし、自分に対する希望まで捨てなくてもいいんじゃないのかなと思ったのだ。相手は仕方ないにせよ、自分まで一緒になって崖から落ちなくても良いのである。なぜ、一緒に心中しなくてはならないのだ!と我に返った。
信じたいなら信じてみれば良いじゃない、という答えに辿り着いた。
不時着した感じも否めないが。
失望と絶望の狭間で見つけたものは、自分に対する希望だったのだ。
きっと私は、手を放さない。
自分の希望からは、絶対に手を放さない。
それは自分が自分であることを、諦めないということなのかもしれない。
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