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諦めて手放した夢のカケラたち③

にゃんちーです。読書屋さんと星読み屋さんをしています。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。(キーボード打ってるわけだし)何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。

これで最後。成仏してくれー。
前回と前々回はこちらからどうぞ。


夢のカケラ③大学院進学・研究を続けること

アート系で演劇以外ならなんでも良いや、くらいの気持ちで入った大学でした。この学科なら、どこにどう転んでも、好きなことはできそう。

特に日本において、大学は特別な時間なのだと思います。
社会に結果を求められることもなく、人の(多くは親の)金を使って、好きなことを好きなだけやれる4年間。後にも先にも、そんな贅沢な時間はないと思うのです。と言うことで、ご多分にもれず私も楽しんだクチです。

大学ではアートマネジーメントを専攻していました。未だに社会的にはあまり聞きなれない言葉なのかなと思います。(面倒なのでwikiから拝借。)

アートマネージメント(英: art management)とは、美術、音楽や演劇などの芸術活動を支援する際の方法論である。芸術活動を支援する際に適切に展示方法や広報などを統一的にマネージメントすることで、より多くの人に対してより質の高い芸術に触れる機会を提供することを目的とする[1][2]。

wikiから引用しておいてあれですが、めっちゃ固い…。
もっと簡単な説明としては、「アートと社会の架け橋」です。その手法は、商業よりのものから公的なものまであります。不正疑惑のあったゴー◯社長のニュースで、久方ぶりに「企業メセナ」という言葉を聞きましたが、メセナも企業が行う芸術支援なのでアートマネージメントです。
アートマネージメントは学問として成立していますが、日本での歴史は非常に浅い。個人的に思うところは多々ありますが、今回は割愛。

アートと言っても幅広いため、私は美術の分野に絞って勉強していました。アートマネージメントがメイン専攻ではありますが、美学・東洋美術史・西洋美術史・日本美術史・現代美術史・博物館学・文化政策学・比較文化などなど。

めっちゃ勉強してました!と言うよりは、好きなことをめい一杯していただけの4年間でした。大学に入ってすぐ、自分の夢中になれる学問に出会えたのは本当に大きかった。いわゆるキャンパスライフとは程遠く、美術系の専門書を読み漁り、全国の美術館や博物館へ通い、時折開催される国際展(なんちゃらトリエンナーレとか)に遊びに行く。バイト代は大学での必要経費以外ほとんど美術館へ消えていきました。本当に楽しかった。

そんな生活をしていたせいか、授業の課題で困ることはありませんでした。出席をとやかくいう教授もいましたが、基本的にはやることやっていれば評価される部分もあるので気が楽でした。いつだって、最終的に成果物(レポートやテスト)で評価される。実力主義、万歳!
勿論、きちんと授業に出ている子の方が可愛がられる、情けをかけてもらえるのだとは思いますが…。

苦になることもなく、楽しんで学問に取り組めるだなんて、本当に幸せなことだと思います。

が、ここでも母は違った。

昼間は学校、夕方からバイト、夜は課題という生活サイクルにいましたが、課題が重なれば当然夜中までやります。夜な夜な本を読んだり、パソコンを向かう私に放った母の言葉を、今でも忘れません。

社会に出て役に立たないものなのに、どうしてそんなに一生懸命やるの?
資格の1つでも取ったら??なんでも良いけど、早く寝てくれる!?

ぶん殴ってやろうかと思いました。
お前も恩恵にあずかっているではないか!と思いましたが、それが分かっていたら出ない言葉でしょう。

専攻分野それ自体が無意味な母にとって、私の大学での成績なん意味をなさない。私がどれだけ頑張っていようが、好きで夢中でやっていようが、分かってもらえない。母には分からない。分かってもらえない。そう思いました。分からないなら黙って見てろと思うのですが、そうは問屋が卸さないのが我が家です。
どこまで行っても、いくつになっても、結局私は母の監視下にあり、母の思い通りにならないと気が済まないのだと、この歳になって薄っすらと気がつきました。

それからというもの、家で専攻の話はしなくなりました。

でも大学に行けば違う。
先輩や教授たちと話したり、資料の貸し借りしたりと楽しかったです。よく教授棟へ遊びに行っていました。特に3年生になってからは、ゼミの教授には本当にお世話になりました。そして、その教授が一番の理解者でもありました。

大学院に行こうかな、研究を続けたいなと思ったのは、卒論に取り組み始めた大学4年になる頃。
自分が楽しいからというより、勧められたことが大きかった気がします。
教授たちには、相当目をかけて頂いていました。そのころ私は、他大学の教授たちや研究員の方々と交流する機会も多く、発表の機会に恵まれました。学部生なのに。公開処刑か何かだと思いました、発表が終わるまでは。
発表当日は、冷や汗ダラッダラでした。発表の後に教授たちにボコボコに叩かれる…のではなく、色々と質問されるという予想外の展開でした。

打ち上げという名の飲み会で、あちこちの教授たちに進路について聞かれました。飲んでいるとはいえ、「大学院へおいでよ!勿体無いよ。」と言ってもらえたことは本当に嬉しかったです。「就職しても研究は続けられるから」とも言われました。

この時初めて、続けても良いんだと思いました。そして、続けたいとも思いました。

とはいえ、すでに内定をもらっていたし、学部のうちから奨学金という借金を抱えていたので、そこから先に進学する勇気はありませんでした。
奨学金が免除になるとすれば、研究職につけた時のみ。そうそう空かないポストです。修士や博士課程まで進み、それでも専門職につけなかった先輩たちを山程知っていたというのもあります。むしろ希望していた職につけた人はわずかです。
さらに大学院に行こうとすると、私だったら博士課程までやりきりたい。現場では修士じゃ話にならない。だとするとやっぱり上京せざるを得ない。
ああ、またか…。そう思いました。
東京が嫌な訳でもなければ、一人暮らしが嫌な訳でもない。ただそこに誰からの理解も得られないとすると、かなり厳しい。精神的にも、金銭的にも、です。

同じ畑にいる先人達からは声をかけてもらえた。
だけどこぼれ落ちた先輩達を嫌というほど、知っている。そしてまず持って身内に理解を得られない。社会に出るまでの間に一千万円近い、あるいはそれ以上の借金を背負う覚悟は、私にはなかった。

やっぱり、諦めました。
ここでも誰に相談するでもなく、勝手に諦めました。

これ以降、私は夢など持たなくなったような気がします。

余談

ゼミの担当だった教授には本当にお世話になりました。感謝しても仕切れないのです。
大学院への進学を後押ししてくれたのも、就職すると決めてからも研究を続けられるように道を作ってくれたのも、この教授でした。教授は、学部上がりの私を学会に推薦してくれました。卒論に手入れをして学会誌に出すよう声をかけてもくれました。

おかげで社会に出てからの1年間は、働きながら論文を書いていました。教授は忙しいなか、私の論文の相談や添削に付き合ってくれたのです。私はもう卒業しているのに。
研究者を相手に隙間時間でやろうというのが、無理があるのですが、学会への論文は着眼点以外コテンパン言われ、審査は落ちました。

ここで、本当の現実を知りました。
学会に行ってみて、修士や博士課程の学生がどんなものか目の当たりにしました。

日本では所詮、学問は金持ちの娯楽だ。

これがその時の正直な感想です。今でも変わりません。社会が変わっていませんから、同じだと思っています。
程度が知れている。比較するものではないかも知れませんが、日本で高等教育というのは頭ではなく、金がある奴が行くところなんだなと思いました。だから日本の論文発表数は先進国の中でも圧倒的に下位なのかと、妙に納得しました。

そして、目をかけてくれた教授には申し訳ないけれど、学会を辞めました。もしかしたらこの時、本当の意味で諦めたのかもしれません。

終わりに

いつだって、誰に何を言われた訳ではないけれど、相手の感情に先回りして、状況だけで判断して、一番大切にしなければならなかった自分の気持ちを捨て置き、勝手に色々なことを諦めてきたのだと思います。このnoteを書いていて、そう思いました。そうやって欲しいものを、夢のカケラを手放していくうちに、本当に自分のやりたいことなど分からなくなり、夢をもつ気力さえも失っていったのかもしれません。

こうして夢のカケラを集めてみると、あんなに好きだったこと、やりたかったことが沢山あったのに、そんな気持ちはどこに行ってしまったのだろうか。

随分とツマラナイ、都合の良い大人になってしまったのかもしれません。

だけど、こんなの私だけじゃない、とも思っています。
そこまで夢中になれたこと、好きなものはなかったとしても、自分ではどうにもならない理由で「諦めざるを得ない」かつての子供達がいるのではないでしょうか。
それは金銭的なことだけでなく、私がそうだったように誰かの感情や空気を読んでとか、社会的に「普通じゃないから」だとか、よくわからないものに引っ張られていたような気がするのです。だけど社会が言う夢というのは、明らかに「自分で叶えられるもの」であり、「普通」を求めるものであったように思います。少なくとも、とんでもない夢を、好きだという気持ちだけで描く夢を、容易に許される環境にない。それは今でも変わっていません。YouTuberになりたい!って子供が言えば、否定する大人の方がまだまだ多いでしょう。

夢を持つのに、年齢は関係ない。
そして現実可能かどうかもまた、関係ない。今あるものからしか自分の可能性や未来を選べないなんて、そんなのツマラナイ。
未来の大人達の夢を、どうか踏み潰さないで。


夢を持つことを忘れた大人達へ。
夢のカケラを勝手に手放してきてしまった大人達へ。

今、夢はありますか?
本当の夢って、なんですか?

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