北海道退廃遺産観光(夕張・滝川) - 北海道旅行 2021 / 3日目
普段は破滅している生活リズムも、旅行すると半ば無理やり矯正される。8:30にホテルを出発した。
3日目はレンタカーを借りて夕張を散策し、岩見沢で乗り捨てしてそのまま特急で旭川へ向かう予定を立てた。
新札幌
新大阪や新横浜よろしく新幹線が通りそうな駅名だが、通っているわけではなく、通る予定もなさそう。
トヨタレンタカー新札幌店で車を借り、夕張を目指す。営業時間やら車の空きやらで新札幌で借りるしか選択肢がなかったが、札幌から地味に遠いのでできるなら札幌で借りたかった。
北海道のスケールが大きいのはもちろん道路も例外ではなく、一度右左折したら十数kmも道なりに進めと案内される。首都高よりも数百倍走りやすそうな道だが、一般道の法定速度を守らなければならない。
しばらく走っていると紅葉が見えてきた。北海道はもう紅葉シーズン終盤に差し掛かる頃。
夕張支線沿線
新札幌から走ること1時間あまりで夕張に到着した。渋滞どころか、信号に停められることもないので、距離はあっても実にスムーズに到着する。
廃止された石勝線夕張支線を辿って夕張市を見ていく。
退廃都市夕張
コロナでとどめを刺された「ホテルマウントレースイ」。昨年12月からずっと休館しており、運営していた企業は今年2月に経営破綻した。
どうやらホテル目の前のマウントレースイスキー場は後継企業に引き継がれ、21-22シーズンから営業再開するそうだが、このホテルは休館したまま。
夕張駅
夕張駅は、一昨年の4月に廃線になった石勝線夕張支線の終着駅だった。廃線から二年半以上が経過しているが、まだ駅舎や線路は撤去されていない。
列車が来ることはもうないが、線路内や駅舎へ勝手に入ることはできない。(私有地だからある意味当然だが)
柵の外から撮影。流石に廃線になったのが最近なだけあって、駅設備の劣化はあまり進んでおらず、また列車が来そうな気配すら感じるが、錆びて茶色になったレールがそれを否定している。
鹿ノ谷駅
かつては炭鉱業で栄えた夕張市だが、石炭はエネルギーの転換と共に使われなくなっていき、炭鉱は次々と閉鎖された。市内の人口は激減し、衰退の一途を辿った。
夕張鉄道線と石勝線夕張支線の接続駅であり、鉄道の要衝を担っていた鹿ノ谷駅。夕張鉄道線は1975年に廃止。残っていた夕張支線も廃止され、ついにその生涯を終えた。
周辺は高級住宅街だったようだが、今では民家がポツポツとある程度。
駅舎の中には特に何かあるわけでもなく、ただ広く寂しい空間があるのみである。
勝手踏切として使われていそうな、草木の剥げた部分があった。JR北海道による注意書きがある。
沼ノ沢駅
駅周辺の他、踏切にもこのような鉄パイプの柵が設置してあり、入れないようになっている。
滝の上公園
夕張支線の跡地を抜けて、紅葉が綺麗と噂の滝の上公園へ向かった。夕張支線の方面はだいぶ退廃的な雰囲気があったが、石勝線の廃止されていない区間の方まで出てくるといくらか活気を感じる。
北海道の紅葉は終盤。日曜日だったということもあり、なかなか賑わっていた。ただ、鉄道が生きていてもやっぱり移動手段は車がメインなようで、鉄道会社は厳しいんだろうなあ……と感じる。
渓谷と紅葉が美しい。しかし、右手の木々はすでに葉を落としている様子が感じられる。東京ではまだこれから紅葉という頃合いだ。さすがは北海道。
大夕張
大夕張の新名所として、夕張シューパロダムが挙げられる。かつて炭鉱で賑わった鹿島地区が、そのダム湖の中で眠っている。
シューパロダム
先ほどの夕張川の上流にあたる。
夕張川流域の治水を担う巨大なダム。ダムの形成したシューパロ湖の湛水面積は、石狩川の朱鞠内湖に続いて国内2位。
シューパロダムに至る道には、多くの廃墟らしき建物がある。この建物も、2014年時点ではまだ建物としての形があったことがGoogleストリートビューで確認できたが、中途半端に解体されたのか二階より上が無くなっていた。
シューパロ湖
水没するエリアの家屋は流石に解体され、ほとんど土台しか残っていないようだが、カーブミラーなどはそのまま残っている。
かつて鹿島地区は学校も複数あり、一つの街として独立して機能するほどの規模があったようだが、やはり炭鉱業の衰退に伴って廃れていったみたいで。
水没した場所にあった石碑が一箇所に集められているのはダムあるあるかもしれない。
国道452号線
三笠方面から岩見沢へ抜ける。
富良野線
旭川でホテルにチェックインした後、微妙に時間があったので、富良野方面に油を売ることにした。
単線で非電化、なお車両も一両編成とコンパクトな路線だが、乗客は多かった。主に高校生に需要があると見られる。
車内は暖房が少し効きすぎていて暑かった。
富良野に着く頃にはすっかり乗客も減り。
富良野駅は実に静かだった。少しイルミネーションがあったが、人はほとんどおらず。時間が時間だから当然かもしれない。初日の稚内も人がいなかったし。
滝川駅周辺市街と空洞化
再び旭川を目指すにあたり、滝川という駅で根室本線から函館本線に乗り換える必要がある。時間があったので、少し駅から出て散策してみることにした。
札幌 - 旭川を繋ぐ特急カムイ・ライラックの停車駅だが、賑わっているわけではない。
時刻は19時過ぎ。人気はなく、ベルロードには寂れていて物悲しい雰囲気が漂っている。無論、夜だからというのもあるだろうが、日中なら賑わっているというわけでもないようで。
数十年前に賑わっていた遺構である。
駅前には大きなショッピングセンターがあるが、活気はなく、壁はくすんでいるし、看板もひび割れてしまっている。
入り口に、今年3月をもって全店閉店したとの張り紙があった。
もともとこのビルにはキーテナントとして西友が入っていたようだが、15年以上前に撤退。その後は別会社が管理を引き受けたり、税金を滞納したり、差し押さえられたりと紆余曲折ありつつも、いくらかテナントも入って細々と営業していたものの、ついに潰れた形となる。
西友があった当時は賑わっていたようだが、今では廃墟となってしまった。郊外に大型店が進出してきたことにより、客が流れてしまったことが一因としてある。キーテナントが撤退したことで、周辺のベルロードなどの集客力も低下。次第に市街地は空洞化していったとされる。
滝川駅前再開発ビル(スマイルビル)について - 滝川市役所 公式ホームページ
駅前の道には車一台通る様子はなかったが、地下通路が設置されている。未だに看板は西友時代のままで放置されている。
遠目で見ると綺麗そうだが、壁にはマジックで書かれた無数の落書きがある。
ゴミはあまりなかった記憶。
この道も、数十年前は多くの人が歩き、賑わっていたのだろう。
夕張や滝川を見ると、北海道という地の難しさを感じる。本州などに比べてあまりに広く、なお中小規模の都市が広く散らばっているため、鉄道もコストの割にリターンは少なく、都市も衰退しやすいのかもしれない。人口の多い都市が密にひしめく関東とは対照的である。
旭川
旭川に戻ってきた。
夕食はらーめん山頭火 旭川本店にて。豚骨ベースの塩ラーメン。
トロトロだがスッキリしている不思議な感じ。美味しかった。
3日目は主に北海道の退廃的な場所を巡った。
最終日の明日は、旭川付近を軽くドライブしたのち、新千歳空港から東京へ戻る。
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