
西尾幹二『戦争史観の転換』を読む①
西欧を知り抜く知識人西尾幹二先生の老境での渾身の大作。
雑誌『正論』創刊40周年記念での超大型の連載。
全集刊行記念講演動画(西村幸祐氏のチャンネル)
西尾幹二全集刊行記念講演「スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ロシアは地球をどのように寇掠したか」
数年前に連載が終わり、単行本化を待っていたがなかなか出ないので、改めて地域の図書館でバックナンバーを借り出して通読した。
(国書刊行会『西尾幹二全集』22巻に所収されるようだが、詳細は不明)
https://www.kokusho.co.jp/catalog/9784336053848.pdf
西欧と対峙してきた西尾幹二先生が西欧に自らを寄り添わせる知識人に容赦なく懐疑の刃を突き付け、「日本から見た世界史」像を提起する。
西欧における思想・歴史・キリスト教を縦横無尽に斬る筆致は圧巻である。そこから「日本から見た世界史像」が、浮かび上がってくる。
西尾幹二先生の、従来の著作『地球日本史』『国民の歴史』『GHQ焚書図書開封』などでも、「日本からの観点」が強調されていたが、この点が最も重要だ。
日本には「日本から見た」という立場の世界観・歴史観がほとんど無い。
考えてみれば、日本での世界史の概説本や教科書の大半が西欧で読まれている西洋史の抜粋翻訳と中国史書の抜粋の折衷で、最近でこそ、ここにイスラーム史等が加わったが、詰め込んだだけで、「世界史」として一貫する観点が無い。『国民の歴史』が出たときも、歴史家の大半が無視か、取るに足らない反発ばかりだった。この連載があったときも、西洋史家のほとんどが無視だっただろう。自らの根本となる立ち位置が容赦なく切り捨てられているからだ。
なお、本連載は歴史の細部を実証的に追うというスタンスではない。いわば「史論」であり、個別の実証について云々するというのは主題から外れ、本書では些末な点だ。重要なのは歴史を題材にした哲学であり、思想論でもある面だ。
本連載でも、徹底して斬られているキリスト教が西欧理解のカギであることは論を俟たないが、特に、日本人にとってキリスト教は難しいことを再認識する。本連載では西尾先生の訳によるニーチェ『アンチクリスト』を何度か思いだした。(参考:西尾幹二全集4巻『ニーチェ』全集5巻『光と断崖ー最晩年のニーチェ』)
ただし、本連載はレベルとしては平易ではない。読者も覚悟をもって格闘する必要がある。評者も初めて知る人名もあった。現在の世界史の教科書として基本的には、高校教科書の世界史の基本事項の知識がないと論理の展開についていくのは難しいと思われる。「世界史用語集」「世界史年表」などは、脇に置かれるとよいかもしれない。同時に世界史の教科書のおかしさもわかるだろう。(単行本化の際には、編集者が注釈や年表、参考文献をどう補足していくのかも注目される。)
世界史の教科書的には一部にマイナー扱いされているものもあるが、そこに闇を見出し光を当て、明治以来毒された西洋の概念を根こそぎ打ち砕く。ここが本連載にしかない、強烈な刃だ。
今まで学んできた(学ばされた)「日本での世界史」の事柄が、まるで歯車が逆回転するかのように読者自身に、問いかけ、考えさせられる。
評者にとっても歴史でのできごとや思想家の著作の大半は知っていた。しかし、西尾先生の筆にかかり、読み解きなおすと、いかに自分で考えた歴史になっていないか、知ってもいなかったのか、痛感させられる。
だからこそ、まさに「転換」なのだ。
先生の論壇デビュー作『ヨーロッパ像の転換』1969年から50年以上が過ぎた。老境の大作を『戦争史観の転換』とされたのは、このデビュー作を意識されたように評者には感じられた。