見出し画像

日本から眺める西欧の「政教分離」の風景②日本の事情

吾輩はネコである。名前はどうでもよい。まったく人間様は勝手なもので、ヨーロッパの法制度とやらをいきなり持ち出して、自分を合わせてなんだか嬉しがったり叱ったりで忙しいそうな。このありさまが、ネコの目には不思議な風景で可笑しいったらありゃしない。
日本の野良ネコに向かっても、ヨーロッパのネコの大層美しい鳴き声を真似せいと叱る偉い学者センセイも後を絶たぬ。なんのことやら、てんで分からぬ。分からぬ背景。日本の野良ネコなりの言い分を、思いつくまま好き勝手記しておこう。
****

そもそもキリスト教徒が数%の日本で西欧発祥の政教分離(だけ)を持ち出すことの特殊性と違和感がある。当然、西欧史とは全く異なるこれら点こそ、西欧に向かって日本を説明するときのポイントでもあり、今回の騒動ともからめ10個ほど思いつくまま書いてみた。一部表現で脱線したり、内容の重複もあますが、わかりやすくするためでご容赦を。

①歴史的に宗教組織が世俗権力より強大になった経験が無い。
この点が最も大きく、後述はその詳細でもある。また、西欧の「神の主権」などの権力の正統性についての根拠論争に宗教がメインテーマになった経験も歴史的にほとんど無い。良く言えばここにこだわらなかったので、宗教間戦争などが西欧に比べて軽くて済んだ。悪く言えば、信仰や正統などに無頓着とも言える。

②キリスト教の持つ「背景」の側面がそもそも仏教には薄い
仏教がキリスト教とは異なり、(表現が難しいが)背景の(セットとなる)政治制度や法的価値観などの面が比較的薄い。無いとは言わないが、キリスト教の基準から見れば全然大したことない。
逆に言うと日本人からすると、キリスト教は、むしろ法的価値観や政治制度とセットになっている点が、日本人が敬遠する要素のひとつではないか、と仮定している。

③世俗権力の絶対優位は揺らがない日本史の伝統
日本中世のいわゆる「権門体制論」ではないが、競合になったとしても西欧のローマカトリックとの抗争の凄まじいレベルとは程遠い。奈良時代平安時代の寺院にしても、世俗権力への介入も皆無とは言わないが、世俗権力の経済利益に群がり、また知識を提供すると言うような相互依存のイメージなのでこれも違う。
例えば、実際に門跡寺院で皇族や有力貴族の子弟を門跡として迎えるなど、
むしろ宗教組織のほうが世俗秩序を持ち込むことを歓迎している。利権の側面もあるが、これも宗教組織(寺院)を下位におき手懐ける知恵でもある。
これは西欧史にはほとんど無い現象だろう。

④刀狩りで宗教組織を含めた武装解除
日本の江戸時代はとにかく平和だ。凄惨な殺し合い状態に日本史で一番近いのが、鎌倉(今年の大河ドラマ見てくれ)-室町だろう。

これが豊臣秀吉の刀狩り、惣無事令によって、宗教組織を含めた武装解除にほぼ成功している。日本から見ると、いまだに「刀狩り」できない国はいくらでもあるし、その筆頭がアメリカだ。詳細は異説あるものの、大きく見ると日本史全体で宗教組織の武装解除は非常に大きい
武装解除、武器を置くことは簡単ではない。簡単ではないから「平和構築」の授業や講座、研究もある。この時に寺院が、刀狩りに応じず武装解除しなかったら、江戸の平和も無い。秀吉は、キレイゴト言っただけで貰えるノーベル平和賞をはるかに凌駕する大業績だ。

⑤檀家制度
江戸時代に、檀家制度を設けて僧侶(宗教指導者)の収入安定化を図った。
「戸籍関連の指定管理者制度」というイメージで把握してはどうだろうか。
また葬式や供養で収入安定化すると「正義の信仰」の下での過激な言動に飛びつく動機は減る。「アメをしゃぶらせ黙らせて手懐けた。」とも言える。
ちなみに、檀家制度での僧侶の堕落、と言う指摘は江戸時代の国学者のツッコミが始まりだ。西欧史の感覚なら、普通に殺し合いや暗殺に至るが、全くそうならなかった。(ほとんど貧乏国学者のヒガミぐらいにしか扱われていない。)

⑥布教をやめさせた
江戸時代に、檀家制度と引き換えに布教もやめさせてもいる。平たく言えば、新規参入/新規顧客開拓を規制しての業界保護と解釈してはどうか。これが、江戸時代の平和で宗教間対立どころか競争も少なかった要因でもある。

逆にこの点が布教活動それ自体が他国に比べて日本人には非常に奇異に映る歴史的な背景であり、今回の一連の騒ぎなどに関心が集まる理由の一つではないかと仮説を立てている、
つまり日本人は「布教」そのものに慣れていない慣れていないから騙されないようにしよう、が出てくる。実際騙されてのトラブルもあり、今回の騒ぎだ。騒ぎ自体の是非や評価はともかく、それだけ騒ぎへの関心に需要がある日本社会の背景の読み解きがより重要かもしれない。

ついでに、「フキョウ」の漢字の書き取りを想像してみよう。キリスト教徒はほぼ100%「布教」だろう。反対に、一般には「不況」のほうが多いと思う。しかも「布教」と言う用語が歴史教科書でしか見ないという現実を考慮に入れたほうがいいだろう。

⑦儒学の利用・活用
江戸時代に儒教を利用活用することで総合知の宗教知識人(僧侶)独占状態を解消している。江戸時代前まで、知識人としての僧侶の地位は江戸時代より相対的に高く、仏教が総合知を提供していた側面がある。それまでは識字層が、僧侶におおかた限定されていたが、江戸時代に戦のなくなった武士が知識階級として新規参入する。今風にいったら、どうでも良い仕事ちょっとだけのヒマ公務員(いるよね笑)のスキルアップだが。
ここで、仏教の存在感が識字層において相対的に下落する。そして世俗権力の識字率が上昇することで中世に比べて仏教への依存が下落した効果から、
世俗権力が、統治能力として暴力と知識をセットで宗教組織を圧倒
する。

一方で、あくまで、都合よくつまみ食いで利用しているので読書人になっても政治的権力にほとんど直結しない。例外は新井白石ぐらいか。ここは中国朝鮮と異なる点だ。武士たる「武威」の建前があり、これが読書人の「正義」の暴走が無い要素
例外的な要素が幕末に出てくる大塩平八郎や攘夷運動なのだろうが、少ないことと武士たるアイデンティティが動機なので特筆される事項でもある。

比較して朝鮮だと儒者の屁理屈正義論で政治外交が振り回されている。(今の韓国を見てくれ)なお、これを屁理屈と軽視する感覚もまた、日本的でもある。

⑧教義をめぐる「正統と異端」という発想と教義正統性を動機にした分派行動自体が少ない
キリスト教や西洋だと、正統と異端という発想から、宗派間対立そして凄惨な宗教戦争があるが、正統と異端と言う発想そのものが、日本の仏教史全体からすると非常に少ない。西洋史の理解が難しく感じるのは、この点で日本だと余り無い発想ということがある。

浄土真宗の親鸞『歎異抄』に出てくる「異安心」がある、と指摘あるかもしれない。ただこれを含めても歴史的に決定的な宗派間対立の根源になっている要素は少ない。(なお蛇足ながら、歎異抄については明治の清沢満之の再評価が巨大で、江戸時代での宗教界に与えた影響は限定的ではないか)
日本だと、一般的にむしろ「宗派内での利権をめぐる派閥争い」と言った方が実態に即し、理屈を後でつけている感がある。また現在のお坊さんも教義論争を伴わない宗派内での派閥争いは嫌いではなかろう(と言うか大好きだ)。

政治の世界でも、社会主義政党内で理論での路線対立が見られたが、日本社会からの感覚だとやはり違和感がある。実際に、極左では殺し合いにも発展してた実例も思いだしてほしい。この側面が彼らが日本で受け入れられなかった背景ではないか。
一方で、自民党は派閥があり、派閥争いも大好きだが、(良し悪し別にして)むしろ日本人の感覚に即している。イデオロギーではないからこそ、安心して派閥が楽しく、盛り上がる。

⑨信仰の単位は個人でなく「家」
檀家制度の影響で、宗教、というと反射神経のように「家の宗教ナニ?」の感覚になる。これは信仰を個人単位が前提のキリスト教の感覚との落差は非常に大きい
また、安倍総理の国葬でも「無宗教形式」と、即時に政府がわざわざ発表するぐらい、「宗教=葬儀形式」の感覚は根強い。今回の「国葬への反発」として、宗教=葬儀が「家」のものだという感覚からの要素も見逃せない点だ。良し悪しはさておき、現象が西欧の感覚とは異なる点は、学者ももう少し説明したほうがいいようにも感じる。

⑩キリスト教禁教で日本史でのキリスト教の経験が無い
西欧史の主役のキリスト教が戦国時代に伝来してから、追放と禁止まで江戸時代初期で短期で終わり完結させている。
ここは改めて説明はなくてもよさそうだ。

今の騒ぎを、以上のような歴史的背景について田舎の野良ネコの目線で好き勝手にわめいた。悪ろき口吻なり、石に漱いでおこう。

いいなと思ったら応援しよう!