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「自分なんて」の言葉の鎖
2019年最後の日。
本当は2019年の振り返りや2020年なにをしたいかを書こうと思ったけれど、どうしても気持ち的に年内に書いておきたいことがありました。
振り返りややりたいことは新年におめでたく書きます!(やりたいことたくさんありすぎて大変)
ずっと自分の中で留めていた気持ちが、今年いっしょに活動したREINGや6curryみんなと出会って形を得て書くことにしました。
今年初めて開催したイベントmirrorsにて
「自分なんて」
きっと特に深い意味はなく使う人もたくさんいる言葉。自分でも昔は使っていたと思う。
ついつい謙遜しがちな日本の文化みたいな言葉のような気もする。
大人になって、少なくとも上京してからはこの言葉を使わないようになった。
この言葉は謙遜でもあるけれど否定の言葉でもある。
自分を否定することのしんどさと、一番に肯定してあげられるのは自分自身でありたいから、シンプルに「使いたくないな」と思うようになった。
ものをつくることを生業にしていく身としても、自分自身だけじゃなく自分のつくったものたちは大好きだと胸を張って言いたいし、一番のファンでありたい。(たまに自信を失くしてしまうこともあるけれど)
制作を依頼してくれた人に対しても、「自分なんて」は失礼にあたる言葉だと思う。
6curryで誕生日にもらったぬいぐるみ。食パンマンがフルーツサンド持ってる…!手に持ってるものは全部手づくり。こんなあたたかな贈り物をくれる場所。
こうしてこの気持ちを文章にできたのも、冒頭に書いたREINGや6curryで出会ったみんなのおかげ。
周りを“否定しない”人たちが集まっている。
無理に「否定しないで!」と強いているわけではなく、そのマインドを持った人たちが自然と集まっている印象がある。
皆がそれぞれの考え、価値観、指向を持って、それを否定しない。
認めるとか受け止めるとかではなく、ただ否定しない。
そういう人たちが集まる場所だったから、いつのまにか自分にとってとても大切な場所になったように思う。
自分自身も他人は他人だと割り切って、マイナスの意味はなく他人に期待をしない。
割り切るから、自分の価値観も押し付けはしないし他人の否定もしない。
こういうと冷たく聞こえるし、実際そう感じる人もいるのだろうけど、このマインドを持っていると他人と比べないから「自分なんて」も出てこない。
この言葉はきっと呪いの鎖のようにずっとついて回る。言い続けていると、ずっしりと重たくなって逃げ出したくても逃げられなくなってしまいそう。
2020年もこの気持ちはずっと持ち続けて、伝えていきたかったのでここに書いてみました。
top photo by Kota Yoshida
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