女根建太一 ご供養
R.N ニャンちゅう御中
いつだって騒がしい都会の喧騒の中
わざとらしく煌めく師走の夜
冷たい風に吹かれながら
存在小さく女一匹トボトボ歩く帰り道。
残業を押し付けられ、疲れた目に焼き付ける様に光る巨大なビルのディスプレイ。
その端っこにある、オマケの様な時計を見ると22時を回っていた。
高層ビルが立ち並ぶ帰路の途中。
けたたましい喧騒の隙間に
ポツンと小さく佇むバーがある。
私を癒してくれる場所が ここに ある。
思いもよらぬ“出会い”が
そこにあるなど知らない私は
小さなドアに手をかけた。
いつも通りの落ち着いた雰囲気とマスター。
カウンター席と2つの小さなテーブル席があり、テーブル席には私と同世代の男女が座っていた。
私はカウンターに座り、いつも通りファジーネーブルを注文した。
ピーチリキュールとオレンジのフレッシュな香りが鼻を抜ける。
そんな格別のカクテルがグラスの半分程喉を越した頃だろうか。
何やら穏やかではない会話が耳につく。
「ごめん、他に好きな人ができたんだ。こんな俺のこと好きでいてくれてありがとう。もう、別れよう。」
男が突然別れを切り出した。
女性はしばらく呆然としたあとで
悲愴に満ちた表情を浮かべ、震えた声で答えた。
「なぁ〜〜〜!!」
「他のヤツ好きになるとか、だらしねぇって〜!」
「2人で砂の温度確かめたじゃん!」
「忘れたのかよテメェーーー」
モダンジャズのBGMが掻き消され、重い空気が立ち籠める。
男は
「身体弱いんだから、風邪ひくなよ」
「じゃあな…女根建太一…」
とだけ言い残し、店を出た。
“女根建太一”と呼ばれた女性の目尻から
真珠 の様な大粒の涙がこぼれ、一筋の光の川を作っている。
私は無意識にハンカチを手渡していた。
今思えば差し出がましさもあったかと思う。
ハンカチを受け取った女根建さんは
しばらくして、溜息混じりに心の内を漏らした。
「クリスマスに彼女振るとかやってみろよ…」
「最後まで優しいとかズルいってぇ…」
「その優しさが鬼キチィのよ〜…」
私も女の端くれ故、気持ちはわかる。
同情さえしていた。
ハンカチは返さなくてもいいとだけ伝え、店を後にした。
翌日、いつも通り残業を押し付けられた私は
23時を過ぎて会社を出た。
帰路の途中にある、いつものバー
昨日の出来事が頭に蘇り、なんとなく気になって小さなドアを開けてみると
そこには女根建さんがカウンターに突っ伏して
スヤスヤと寝息を立てていた。
マスターに伺うと
私にハンカチを返すために
20時頃から待っていて、酔いもほどほどに眠ってしまったらしい。
ハンカチは返さなくてもいいと言ったのに
随分と律儀な人なんだな、と思いながら
とりあえず女根建さんを起こそうと試みた。
しばらくして目を覚ました女根建さんは
私に気付き、状況を理解してハンカチを手渡すと同時に大きく声を上げた。
「いなーーーーい!!
約束もしてないのに来るヤツいなーーい!」
「ハンカチ、まじありがとなーー」
「もう1軒付き合えよテメェーー」
女根建さんは、この時間でも開いているスナックがあるから と店を出ると
私の手をとって、どんどん歩いていく。
女根建さんに手を取られた私は、女同士なのに
なんだか恥ずかしいような照れ臭いような、そんな気分になった。
店に着くと60代くらいの男性客が
カラオケを楽しんでいた。
女根建さんは席に着くや否や
デンモクに指を走らせ曲を入れた。
血管が浮き出るほど力強くマイクを握り
積もり積もった鬱憤を吐き出した。
「昨日からずっとムカつくわマジで!!」
「ここで一曲お届けします」
「佐村河内守 で HIROSHIMA」
女根建さんは昨日の事で
ヤケになった様子だった。
そのあとも彼女に付き合い、飲んで歌い続けた。
空がぼんやりと白んできた頃
私たちはすっかり打ち解けていた。
少々飲み過ぎて、朧げな意識の中
今話題のロボットと人間の戦いを描いた映画
“ダダス・ダダス・ダダス”を見に行こう
と約束をした後、五本木にあると言う自宅に帰って行く背中を見送った。
後日、映画を見た私たちはそれ以降も
ショッピングやドライブ、水族館など
休みが合うたびに遊びに出かけ
会うたびに、どんどん距離は縮んでいった。
明日も 某夢の国 へ行く約束をしている。
段々と親しくなるに連れ
女根建の事を思い出すたびに
淡い何かが弾けそうな、それを抑えているような、そんな鼓動の高ぶりを感じるようになった。
初めて恋をしたあの日のような。
いや、女同士なのだから
一気に距離が縮んだお陰で
そんな気がしているだけだと思う。
“明日が待ち遠しい”
とにかくそう思った。
翌日、待ち合わせた喫茶店で女根建と合流したその直後。
何の偶然か、あの日女根建をフッた“彼”がそこに現れたのだ。
“彼”の隣には正直、豚に真珠と言っても
いい程の容姿端麗な女性が寄り添っていた。
“彼”が私たちに気づいた途端
信じられない言葉が
私たちの鼓膜を気色悪く震わせた
「あ、あれ前に話した女根建」
「キープしててお前の方が全然可愛いからフッたんだけど、マジになってボロ泣きしてさ〜」
「ほんと笑えるよなぁ〜w」
“パンッ!!”
口より先に手が出たのは女根建ではなく
“私”の方だった。
「テメェ豚確定だなぁ!」
「いっぺん死んで、来世 虫になりてえのか?」
「タイマンはれよタイマン」
私が凄むと“ヤツ”はそそくさと消えた。
女根建はただ沈黙していた。
予定など既に気も乗らなくなっているし
どうでもいい。
女根建を連れてただひたすらに歩いた。
たまたま見つけた海の見える広場。
花壇には季節外れのユリが一輪だけ風にそよいでいた。
ベンチに腰掛けた頃には、空がオレンジ色に染まり、特に言葉も交わさず二人で佇んでいた。
長い沈黙を破ったのは女根建だった。
「あれはカッコ良すぎだってぇ…やってみろよ」
「ビーバップ知らないじゃん…」
そう言われて、先程声を荒げてしまった事が
やけに恥ずかしくなった。
それと同時にずっともどかしかった
心の霧が晴れてはっきりと答えが見えた。
その“答え”を今ここで伝える。
「ねぇ、女根建…」
「女同士でおかしいと思うかもしれないけど」
「私、女根建が好きなんだ。」
「アイツにあれだけ怒鳴れたのも、好きな人を傷つけられたからだって、今気づいた」
「でも、女同士なんて…」
「嫌…かなぁ…」
女根建は迷いもなく応えた。
「なぁ〜〜!!俺も好きだってぇ!!」
「お前以外 いねぇってぇ!!」
「とっくに惚れちまってんのよぉ〜…」
思いがけない言葉を受けて衝動的に唇を重ねた。
もう一度、もう一度。
女根建も拒む事なく受け入れている。
身体の奥底から溶けそうな幸福感が溢れる。
女根建に受け入れられた高揚感に支配された
脳で、私は必死に言葉を紡いだ
「ほ、本当に嬉しいよ…」
「この先もずっと、二人で生きていきたい」
女根建は照れくさそうにこう呟いた。
「な。」