今日はちょっとワンインチパンチを打って肩があがらなくなりました。
石井東吾先生のユーチューブみてワンインチパンチどうだったっけなって思ってちょっと部屋の柱に向かってやったら、全然できると思って喜んだのもつかの間、肩あがらなくなっちゃった。大丈夫今回は2回だから。馬鹿だよねえ、この前記事書いたばっかなのに。ミットとかでやらなきゃだめだって、固いところに打ち込んじゃだめ。絶対。
このあといろいろ書いたけど読み返すと書いちゃいけない内容なので消しました。勁を使うことは責任を持つことになります。今ユーチューブで色々な達人の先生方の技や動きをみることができるようになって本当にうれしいのですが本来武術というのは人を殺すことを前提に作られた非常に恐ろしいものです。特に勁を使った打撃はその勁を逃がす術を得ないで受け続けるととんでもないことになります。私みたいに2日間天井をみながら梅がゆ生活を送るくらいならいいですが、救急車とか霊柩車とか洒落になりませんからね。
活殺自在
生かすの殺すも自在というのがこの言葉の語源です。その手が菩薩の手になるのか修羅の手になるのかは力を持つものの自在ということ。私も力がほしいと願っていた時もありましたが、いざ実際にその力を手にいれた時「こんな恐ろしい力を手に入れてどうするんだ?」となったのを覚えてます。ですが、使い方次第で人の為になる良い方向へ生かすことができました。みなさまの手が菩薩の手の方向へなっていくように願っております。
追伸
風呂入ってあがったら足があの時みたいに生まれたての子羊状態になっちゃった。また、梅がゆ生活はじまるのかな?あした夜勤なのに。なったらネタで書きます。