老子は超実践的武である

老子を勘違いしないでほしい

 ある程度の域に達した人ならわかると思うが、仏教や老子はガチの武術である。(もちろんそれだけじゃないよ)だが、大概の人は老子は中庸というところで無理をせず、流れに任せるみたいな哲学的解釈で終わっている人が多いのではないかい?老子はね、超実践的なんだよ。誤解を恐れずにいうと戦う術なんだな。

老子の力のやばいところはその形にある

 老子の力を一言で表すならば「柔」である。この柔の力は流れを変え、無理なくことを達成する力である。今回はその柔の力の使い方について説明をしよう。にゃんさん今回はあまり女の人には見てほしくない。
ひとことで言うと柔は限りなく無限の選択の中から超確実な一本の道を導きだす力である。変態ならわかりますね。
 現実的に話すと、例えば人間の腕を折ろうと思って柔の力を使ったら即カニの足みたいに折ることができるのですよ。普段私たちが使っている力は雑であり、力の順序があるなら1・3・5・7・9・10みたいに間が空くのですが柔の力の場合1・2・3・4・5・6・7・8・9・10この流れが無限の選択しの中から確実に選ばれるわけです。(あとは変態の人だけみてください)つまりゴールへ向かってそれ以外はないルートで力が存在していくってわけですな。
つまり最低限の力で確実にポキッとやれるわけです。それは使う人間の意志により自由自在です。武術でいうと意拳くらいになると意志の力がそのまま技になってしまう。だから意拳には套路が存在しないんですな。もう意拳を本当に使えるくらいなら何やったって卒業でしょうね。
その柔の力の鍛え方というのをにゃんさんの各記事で教えているんですが、使い方次第で良くも悪くもなるのが力であり、さらに柔の力というのは本当に一歩間違えばとても恐ろしい結果をまねく力ということをお伝えしたいと思います。ですが、この柔の力基本的に悪い方向には使えないようになっています。なぜならこの柔の力を使うには貪瞋痴の心を一度滅さなければいけないからです。そうしないと鍵が開かないのですよ。
はい、腰痛くなってきました。まとめます、丁寧に日常生活を行う。一つ一つの動作を焦らずに優しい気持ちで行う。急ぐ状況ができたときは修行チャンス!、確実にゆっくり早く行うこと。そして自分の身体の動きと心の動きを反省して次につなげる。それがやわらかい力を使えるようになる修行なのです。おしまい。


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