小瀧達郎 様へ「お礼」
小瀧達郎 様
はじめまして、田中信太郎と申します。
このたびは、貴重な示唆を与えていただきありがとうございます。
感謝の気持ちから、こんなことを考えましたので下記にてご報告させていただきます。
以下の思索は、小瀧達郎さんの示唆に富む文章に出合うことができたからこそであることを、まずお知らせして、本論に入らせていただきます。
その上で、わたくしなりに、「デジタル時代のモノクローム写真とカラー写真について」考察し整理できた結果を報告させていただきます。
記
「デジタル時代のモノクローム写真とカラー写真について自分なりに整理してみました」(小瀧達郎さんへのお礼として)
ポイントは二つあります。
一つは、かつても今も、モノクローム写真の場合は、フィルムで撮影することが大前提であり、かつ、ラボの世話にならずに、自分の思ったとおり見たとおりの納得いく表現ができる技術が十分間に合う環境があるのだ、という受け止めです。
その整った環境であるからこそ、形而上学的写真生成のための統合された一連の流れ、すなわち、「撮影前の準備からセレクトされた写真の生成に至るまでの全過程についてを、無意識における視神経のオートマチック反応で説明できる」というところまで思索追究できたのだと理解しました。
一方、カラー写真の場合は、フィルム選びによる制約が多く、自家現像に限界がある。そのため、ラボに頼らざるを得ない技術工程が存在したために、自分の表現を、ある意味で、妥協しなければならない環境であったのだろう、という受け止めです。
その上、写真印刷用の用紙のことを初めて気づくことができました。これぞという写真印刷用紙に、なかなか出合うことができなかったという小瀧達郎さんの言葉が印象的でした。
したがって、そういう制約された環境の下で形成されたであろう価値観は、カラー写真では、モノクローム写真の生成環境と比べるまでもなく、フィルムにおいてもデジタルにおいても、「色があるという特性そのものが制約を生み出した」のでしょう。
真面目な哲学的写真の生成には支障が生じることとなって、「やはり、フィルムでモノクロームだろう」という大勢になっていたのだろうな、ととらえることで理解しました。
このことから、モノクローム写真でないと・・・という主張ができてきたことも納得できました。これまでの引っかかっていた「なぜ、モノクローム写真なのか」という疑問が氷解したように思えました。
+++(なお、モノクロームについての、視神経の特性との関わりからのアプローチ及びフィルムかデジタルかという議論については、ここでは行いません)+++
もう一つは、「これまでのカラー写真の生成における制約は、特にデジタルにおいては、今では過去のものとなってきているのだろうな」という期待を込めた受け止めです。
根拠の一つは、エプソンをはじめとする、画像の入力・出力にかかる調整の技術の進化・発展です。お世辞抜きにして、すごいなあと思います。歴史に裏づけられた確たるものがあります。
特に、エプソンの場合、数々のスキャナーあるいはデジタルカメラなどをはじめとするデジタル画像入力装置を世に送り出しながら、エプソンは最先端の画像入力処理技術の研究・開発に取り組みました。
それと同時に、プリンターあるいは液晶プロジェクターなどをはじめとするデジタル出力装置をも同様の取り組みをしてきました。この入出力両面を統合した総合的画像処理技術には目をみはるものがあります。
もう、お気づきのことでしょう。
そのエプソンの総合的に統合されたデジタル画像処理技術を最大限に活用することができれば、モノクロ写真の取り組みの歴史のように、ラボの世話にならずに(総合的に統合された画像処理技術の恩恵があることで)自分の思ったとおり見たとおりの納得いく表現ができる技術が十分間に合う環境がようやく整う時がきたのではないのか、という受け止めが、ある種の仮説として生まれたと言えるわけです。
それを実践され、デジタルカラー写真生成を実現されたのが小瀧達郎さんであったという次第です。
おかげで、自分自身の中にあったさまざまな問いについて、スッキリできました。
特に、
「どうしてモノクローム写真なのか」
「デジタルカラー写真は本当に存在感が希薄なのか」
「「フィルムとデジタル」「モノクロームとカラー」それぞれ、どちらも生かされるのはいつのことだろう」
自分なりに整理をつけることができたのではないかと思います。
小瀧達郎様のますますのご発展とご健康をお祈りいたします。
このたびは、どうもありがとうございました。
田中信太郎
修正および追記202112181350
公開にあたり、当初はK様、Kさんとしていたところを実名でよいと快諾をいただき、小瀧達郎様、小瀧達郎さんといたしました。
また、手紙でのお礼ということから、「ペンネームよりも実名で」と田中長徳先生からのアドバイスにより、にゃんたろう、ではなく、田中信太郎といたしました。