刹那
「あのアーティストかっけぇよなぁ」
そう思っているバンドがいるそこのあなた。
すぐにライブに行ったほうがいい。
バンドないし、アーティストというものは賞味期限付きなのである。
時間は有限だ。
気がついた時には解散、もとい引退などで聞こうと思った時に聞けるものではないのだ。
桜が散るように、或いは線香花火のように。
そういう喪失があるからその一瞬が尊く、美しいのだ。
僕にも結構経験がある。
共演者でかっこいいなーとか追っかけたいなーと思った先輩バンドたちはみんな取り巻く環境が代わり音楽というカテゴリから去っていった人も数多くいる。
僕は当時お金がないから、時間がないから。それ自体は仕方ないことだけど。それを理由にライブに足を運ぶのを拒んでしまった。今も後悔している。
推しは推せるうちに推せとはそのこと。
普遍なものなどこの世に存在しないのだ。
いろんなアーティストが世の中にはいる。
一般的なバンドやSSW、絵描や物書きだってそうだ。
だけど、みんながみんな一生アートにしがみつくわけではない。
各々の環境や生活の変化だってある。
それを含めて人生なのだ。
たまにこう考える。
もし本当に音楽をやめる瞬間がきたのなら。
アーティストだから、不完全燃焼で終わりたくない。全部出し切って最後は楽器をぶち壊してやめたい。とかそんなことを考える。
でも多分リスナーもそれは一緒のはずだから確かな熱量を持ってステージに上がりたい。
そしてライブハウスやライブバーに"足を運ばなかった"経験が意外とボディーブローをくらったときの余韻のように、鈍痛がついて回る。
結局何が言いたいかというと、リスナーとして自分みたいな後悔はしてほしくないのだ。
と、偉そうに上から語っている口調になってしまっている。僕は嫌な奴かもしれない。
今思うとあのバンドやあのバンドの音源も多少無理しても買っておけばよかったし、ライブに足をは延べばよかった。
後悔ってのは一生残ります。
それでも便利な時代なのでYouTubeやサブスクで曲が聴けたりするのは時代に感謝である。
ただ、やっぱり生で見るあの距離感とかヒリヒリ感とか熱気ってライブでしか味わえないものなのである。
何度でもいうが推しは推せるうちに推すのだ。
その喪失がよりダイレクトで、美しいと思えたほうが後悔や悲しみよりずっといいと思っている。
いずれはみんな見えなくなってしまうのなら、心のシャッターに焼き付けておきたい光景はあるよね。
そんな話。
それではまた!
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