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酒毒に侵された世界で

おす。フジミです。

最近は共催を3本抱えつつ、バンドや弾き語りのライブや創作活動をしつつ、仕事をしつつ遊んでいる。
マジで時間がないですが充実しています。
だが、noteを書くぜ。

無事8月を乗り切りました!!
計5本の弾き語り(+1)などあり、いろんな人にお世話になったり、情緒不安定になって酒でやらかしたり、怪我をしたり、ワイワイ楽しんだりあっという間に夏が過ぎた。

ワーワーはしゃいで叫んで泥のように家で寝るみたいな生活でした。
ツイキャス配信もこまめにやっているので覗きにきてね。

絵を描く機会があり、ねこだんごやねこくんなど謎のキャラクターが誕生したりしていました。グッズ化しようかな。

この8月でほんと言葉で表現するのが億劫になるぐらい様々な表現者の方に触れた。

愛を歌う人、希望を歌う人、絶望を歌う人、怒りを歌う人…。

表現者の数だけ正解があって自分自身もそれを模索中である。
その中であの曲よかったよー。とか言われるとものすごく嬉しい。
続けてきてよかったし、もっといいものを作ろうと思える。

何か自分の中で燻っていたようなものが前進した感じがしました。
やはり、人と関わること。話すこと。委ねること。信じること。

僕の悪いところなんだけど、人を疑ってしまうあまり自分一人でどうにかしようとする癖があるようで最終的にパンクしてしまう。
結果総崩れみたいなパターンが何回かありました。
なのでタスクを振ること、リスク分散すること。念頭においてやっていけばみんなハッピーになれるかなということでちょっとずつ人のことを信じることができればいいかな。
10年前の「誰も信用できない」状態からは少し進歩したかな。

ありがたいことに共催の話を弾き語り、バンドでいただき。詳細はまだ内緒ですがめちゃくちゃ濃い日を作るつもりです。
フジミカツトシの一つの集大成を作るつもりで色々動いている。みんなの心が揺さぶられる日を作るから待っててくれよな。

僕は天才なんかじゃなかったし、なんなら劣等まである。それでも続けてこれたのはただ認めて欲しかったからなのかもしれないなぁと最近思っている。

だから色々と褒めてもらえた時、なんとも言えない居心地の良さを感じるし、もっと頑張りたいと思う。
しかし逆にやり続けないとみんなに置いてかれちゃうのかなあと思ったり。ある種の強迫観念なのかもしれない。
逆説的な話をするとそう言った焦燥感が作るイベント、曲、ステージに爆発力を生み出すと信じている部分もある。

他人と比較してしまう病。もとい比較地獄はとうの昔に過ぎ去ったもんだと思ってたけどまだ心の奥底に居着いている。

例えばたくさんお金を稼いでいる人を見て
例えば心から信頼できる恋人がいる人を見て
例えば居心地の良い家庭を持っている人を見て

僕にはなんもないなぁなんて考える。
午後六時の逢魔ヶ刻。夕陽が落ちる頃。
六畳半の部屋に悲しみが溶けているわけです。

そんな中で音楽活動が捨てきれないのは「こんな自分でも誰かに認知してもらえるのかも」
というある種の希望かもしれませんね。

時々、暇ができると耐えられないような孤独感に襲われる日があります。
ギターを弾いても酒を飲んでもどうしようもないぐらいの日が来る。
そんな時にうっかり希死念慮が爆発してしまうもんだから僕は約束を作ることを欠かさない。

きっと約束があるから生きていける。
破るわけにはいかないので。

この前後輩と少し話した。
「自分が死んだ時リザルト画面が出てきて、救った人間の数が出てきて。何人かいたら嬉しいですよね」
こんな会話。
安易なヒロイズムと言われればそれまでだが、そのような概念が存在するなら今、いろんなものを犠牲にしてやっていることにも価値が見出せるだろうか。とかそんなことを考えたり。

僕は基本的に歪な愛情しか受け取ったことがない。正常な愛を受け取ったところで噛み砕けない。人間として著しく欠けていると自覚しています。男女問わず"愛されたい"と思いながらいつも心のどこかにその断片があり、日々の鬱屈とやるせなさという形で消化している。

殴られるのも、傷つけられるのも、酷い言葉を投げつけられるのも好きな人に言われたら全部"愛"だ。

と思っていたのですが最近「それは愛じゃないよ。」と言われたのできっとそうなのかもな。

残念ながら僕にとっての愛情表現って薄っぺらな言葉がセックスしかないのが残念だが、いつか本物を見つけたいと思う。そのために音楽やってるわけだしな。

さて、今週の引っ越しを終えたら9月も4本。死ぬ気でやってく。

どこかのライブハウスでお会いしましょう。

それではまた!ちゃす!

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