例えば俺の声になんの価値もなくなってしまったら
フジミです。
CRYAMYのカワノのソロ音源が再販ということで飛びついた。
他にはハンバーグにナツメグを入れ過ぎたと呟いたら慌てて先輩から電話がかかってきて方々から意図せずも心配される結果に。
なんともなかったのはよかった。
スパイスってガチで入れ過ぎは危ないらしいので気をつけようと思う。
最近の僕はといえば活動的になったり、気分が落ち込んだり色々と大変ではあります。
希望は見えたり見えなかったり。
あまり期待はしないようにしている。
いいことってのが起こるのは奇跡に近い。
俺の負のエネルギーはとんでもない総量があると思っている。
発電できちゃうんじゃないかぐらい。
小学生の時に真夏の体育倉庫に俺を閉じ込めた連中や、俺のドラクエをパクったアイツ。
並びに実家の奴ら、他の男に靡いた元彼女たち、意地悪をしてきた奴ら。
そういう奴らに対しての黒い感情は時々思い出しながら、オラァ!!って曲を書いている。
先日、ちょっとモヤモヤすることがあって「女なんて嫌いだー!!」という曲を書いていた。
銀杏のメス豚みたいな。
だが、あまり納得のいく出来にならずに没に。
何せ、女性みんながみんな悪い人だとは思ってないけど、こう腹の立つ女っているじゃん。
こっちと対等に話す気なんてなく、完全に見下しているようなヤツ。
基本的に女性の「私は悪くない!!」
は全部受け入れてるし、基本的に全肯定マンである。よく俺が浮気されるのはその安心感からか。たまに言われる。
でも人に優しくするのはいいことだと教えてもらったから今更変えられない。
本物の愛って結局なんなんだ。というのを探している。
愛は条件付きであるのは俺の中で間違いはない。だからアイデンティティとしての音楽という概念が存在していたりする。
無条件の愛などこの世に存在しないと俺は断じてる。
いい子にしてなきゃ、親の思い通り立ち回らなきゃ親はガキを可愛がらないんすよね。これは絶対。
セックス、金、満たされない物を満たしてくれる存在なのか欠けている物を埋めてくれる誰かか。
安心感って言葉をよく聞くが、この性格なのでパートナーに安心したことはない。
というか浮気されても振られても。
まぁ、そんなもん。俺に価値がなかったということ。と考えてしまうので。
価値が仮にコップの水だとしたら俺という器はヒビが入っている、ないし穴が空いているので上積みはできないかもしれない。
など、そんな雲を掴むようなことを考えていてほとほと自分に嫌気がさしていたところだ。
ニーチェだってアドラーだってトルストイの言葉を見たって生き方の指針は示してくれるものの、それがピッタリ俺にハマるわけじゃない。
埋められない孤独感とか不甲斐なさ。
歌っただけじゃいなしきれない何か。
歌にしただけじゃ、ギターを弾いただけじゃ足らない。
全部歌にするぜ。なんてのは綺麗事である。
アーティストを名乗る以前に自分は弱く、醜さ極まる人間だったよなと再認識した。
音楽という概念は最近、音だけにあらずと思っているよ。生き様というか多分そういうもの。
ニルヴァーナのカート・コバーンがサラリーマンを真面目にやりつつネヴァーマインドをリリースしてたら。みんな触れなかったんじゃないかな。
コバーンのあのキャラクターや発言あっての今の人気なのかなと思っている。
みんな生き様に憧れて惚れ込んだのだ。
サウンドと人間性が合わさって一つの作品かもしれないなぁと思っている。
だから破天荒なやつを見てカッケェとか自由だなとか思ったり、真面目にやっている人の真摯さに感動をしたりする。
音楽家に人間性を求めないという意見はあるけど、楽曲に対する説得力だと思うんだよね。
優しい歌を歌うぜ!ってやってる人がひたすら人に意地悪をしていたらどうだろう。
多分その人がいくら優しい歌を歌ってもチラついてしまって集中できないと思う。
エンタメの側面も芸術の側面もありつつ、人気商売であるのも明白である。
各々スタンスはあるだろうけど、楽曲に説得力を持たせたいならキャラクターって重要だよなというのが俺の超個人的な考えである。
最近はそんなことを考えていました!
ばーい