便利っちゃ便利だけどね
こんにちは、フジミです。
インターネットが発達し、SNSなどで告知もしやすくなった現代ですが、一つのきっかけで炎上などが怖くなったり、何やらギスギスしたものも垣間見える、そんな時代ですね。
他人の人生を覗けるインターネット
誰でも主義主張をオープンにできるインターネット
大多数に向けて堂々と宣伝できるインターネット
一見して便利に見えて、使い方次第では毒にもなりうるのがインターネットというテクノロジーだ。
ちょっとした思想の違いで、考え方の違いでバッシングを浴びることも昨今少なくないように思える。
いろんな人が見ているので自衛の意味も込めて我々ユーザーも発言には気をつけなければならない。
いつどこで、誰がどう思うのか最新の注意を払いつつ運用している。
しかしながら、いささか僕を含む現代人に余裕がないようにも思えてしまう。
それが不況の影響なのか思想の多様化の弊害なのかはわからない。
だが、そんなことで炎上するの?といえ事柄で大多数からバッシングされている人もちらほら見る。
昔といえば某匿名掲示板が全盛期だった頃、自虐や創作話で大いに盛り上がっていたものだ。
楽しむ側にも一定のモラルが求められるため、同じレベルの人が集まってコミュニティを形成していたように見受けられた。
しかし、スマホの普及とともに、いろんな人が運用していくようになった。
自虐をすればマウントを取られ、創作話をすれば嘘だ!と叩かれ、息苦しい世の中だなぁと思いつつ僕は今日も電子の板を眺めている。
昔は昔でもちろんデリカシーのない発言を平気でぶつけてくる人がいたり、今と比較しても一長一短だろう。
しかし、多様化が進んでいる今こそ我々に求められるのはネチケットやスルースキルじゃなかろうか。
画面の向こうにも相手がいることを忘れてはならないし、強い言葉を使えばいつか自分に返ってくるのである。そんなもんです。
インターネットを免許制にしろ!とたまに聞く。僕はありなんじゃないかなぁと思える。
今があまりに無法地帯であるためだ。
ましてや学生さんに社会人と同じモラルや価値観を求めるのは酷な気がする。
我々が先導してあれは良くない、これはやってもいい。と教えてあげなきゃいけない。
しかし、内在しているその人のスキルや人間力を測る術が現状我々にはない。
講習を受けて手に入る免許みたいなものがあればというのは一案としては大いにアリなのかもと思う次第である。
高校生の頃にこのまま社会は相互監視社会みたいになるのかなぁ。と漠然と考えていたのだがまさにその通りになってしまったように思える。
人間だからきっと全員傷つかない社会は無理なのかもしれない。
それでも一人でも嫌な思いをしたり、傷つく人が少なくなる社会をみんなで作って行けたら良いですねと思う次第である。
誰かの生きやすいは誰かの生きづらいになるわけでこの方法が絶対良いに違いない!ってのは提示できないのは情けないが、便利に使って余裕を持ってなるだけ平和的に使っていきたいもんです。
今日はそんなところです。
またねー。
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