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無駄があるから世の中はきっと楽しい
こんにちは、フジミです。
街を歩くと誰もかしこもセカセカと動き回っていますね。
電車への駆け込み乗車や駅で走り回る人、タイムパフォーマンス云々
映画を早送りで見る人もいるらしい
そんなに生き急いでどうするんだい、と僕は思う。
ニュースを見ていても暗い話題ばかり。
犬のコンテストとか美味しい味噌汁の作り方とかそういうニュースだけ見ていたい。
そのような報道しかしない局があってもいいのに。
世の中、必要なものだけでみんなやりくりできてしまうのならそんなクソつまらない世界はないと僕は考える。
食って寝て起きて仕事するだけの退屈な人生を送るぐらいなら死んだほうがマシである。
娯楽や文化を愛することができる人間が平和を愛せるのだ。
余白のない紙に詰め詰めで字が書いてあったら読みづらくてしゃーない。
余白が必要なのである。
一度、仕事や創作に追われてる人は足を止めてみて欲しい。
脳のリソースに余裕がなければクリエイティブな活動はできない、ましてや中身のある質の良い仕事などできるわけがない。
"やる"のではなく、"こなす"になってしまうだろう。
そうなっては色々心苦しいだろう。
何もせずぼーっとCDを聴く時間が僕らには必要不可欠なのだ。
ひいてはそれがクオリティオブライフの向上につながる。
僕らは苦しむ為に生まれたのか?
それは違う、僕らは僕らの選択に納得する為に生きている。
周りでやいのやいの言ってくる連中は自分の人生に納得がいっていないことに対して責任転嫁をし、他人に当たり散らしているだけなのである。
たい焼きも、尾っぽまであんこが入ってないから美味しい。
アメリカンドッグだって真ん中のソーセージが小さいから美味しい。
満員電車は余白がないからイライラするし、サウナだってガラガラの方が長居できる。
ふとぎゅうぎゅうになってしまった時は思い出して欲しい。
"無駄を愛する"ということだ。
外に出てバッタやザリガニを捕まえてみたり、酒を河原で飲んだり、そういう営みをしていこう。頭を空っぽにするのだ。
なかなか難しいことだが、一つ対策として何かを考えたくない時は単純作業に没頭するのもありだと思っている。意識を逸らすのだ。
トランプで塔を作ってみたり、折り紙で紙飛行機を量産してみたりする。
人生の余白を愛すことが自分の人生を大事にすること、につながると僕は思う。
みんなもみんななりに余白を作る活動をしてみることを勧める。
今日はそんなところです。
またねー。