虚しい日々もいつかって言われても
どもども。
相変わらず、酒を浴びているフジミです。
空っぽな毎日の中で生きている。
それでも楽器を持てば息できるのだが。
ネットを見ていると友達も恋人もいなく、不幸な状況にいる人がよくいるよう見受けられる。なんのライフイベントもなく、終わっていくのかと彼らは嘆いていた。
かくゆう僕もどっちかというとそっち寄りの人間だ。
物事を適当に考えられなかったり、猜疑心が強かったり、変なところで真面目になってしまい、自分で首を絞めているような気がする。
きっかけを掴めずに苦しんでる彼ら彼女らに対して"努力不足"、"自業自得"と上からモノをいう人間が少なからずいる。
ハッキリ言って僕はそういう人種は嫌いだ。
嫌悪感すら憶えてしまうのである。
中には本当に怠けてる人もいるのは否定しない。だけれどもたとえ努力をしたところでみんなが結果を出してみんなが報われるわけではない。努力アピールなんてしたところで煙たがられるだけだ。
これは僕は何度も言っているが、『優しさとは、想像力である』という持論がある。
その人のバックボーンは?トラウマは?幼少期の養育環境は?
僕も完璧な人間じゃないから、できるだけだけどそれは考えるようにしている。
簡単にさ。
『乗り越える』とか『耐えろ』
とか。なんも背負ってない傷ついてない奴が言っても説得力がないのである。
上からマウントオナニーよりも人として大切なこと。人としての格を上げるのに必要なのは。
『寄り添い、対話すること』だと思ってる。
こんなもんは性善説かもしれない。
だけど綺麗なモノを、純潔さを、素直さを追い求めることって悪いことではないと思う。
できるかできないかの話でなく、目標の話ね。
まあ、こんなことを言ってる僕は中々のクズなんだけれども、、、。
決して寄り添うことは一対一だけが手段としてあるわけじゃないと思っていて一対多もきっとできる。そのための音楽とか芸術とか哲学という分野だと思っているので。
よく女性は共感の生き物というが、男だって似たようなもんである。というか人間。
好みが合う人と話してれば楽しいし、共感を得られれば嬉しい。
だから俺はそういう苦しんでる人に対して共感できる部分はあるのだからギターを弾いて曲をやって寄り添いたい。
ぶっちゃけると僕は人間が怖い。
怖くて仕方ない故に結構無理をしている。
相手がどう思ってるのか気になって仕方なかったり、この人は俺のこと嫌いだろうな。センサーが動いてしまう。
理不尽に虐げられたことも、嘲笑されたことも絶対に忘れない。
だけれども、そんな人間不信代表として何か同じような人に遺せるものがあるとすれば、自分の選択に納得がいく。
そうやってコツコツやっていきたいです。
そしていつか人のことを心から信頼できるように。愛し愛せるように。そんな人間になりたい。
それではまた!
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