自分を受け入れるためのギターだろ
こんばんは、フジミです。
音楽をやる上での指針として、もちろん誰かに何かを伝えたいという大前提がある。
同時に一つ目的があって、自分という生き物を受け入れるためでもある。
自分は普通の人に比べてやはりどこか何かが欠けている人間だと思っている。
心のどこかで共感ばかり求めていて、精神的に繋がりたくて、認めてもらいたくて受け入れてくれそうな人を見つけたら男女問わずにその人にベタベタしてしまったりして嫌われたり、距離を置かれたりして自己嫌悪に陥る。毎回その繰り返しだ。
他人に期待しないようにしているが、どこかで期待してしまう弱い人間だ。
気持ちが暴走して誰かを傷つけることだってあるし、その度もう自分が自分でいることが嫌になる。
突発的なことで何かを伝えるより、こうして文字や歌詞に起こして気持ちを整理しつつ、誰かに何かを伝える方が得意だったりする。
もちろん自分が作った曲で誰かに何か感じ取ってもらえるようなことがあればそれが一番の喜びだ。
だが、同時に自分に言い聞かせている節もある。
何かの心理学書で「人間は社会貢献をすることで自己を認めてあげることができる」と読んだ。
自分がやっていることはそういうことなのかもしれない。
僕がこの先誰かから認めてもらうにはきっと音楽的なことで伝え続けるしか方法がないのかもしれない。
それで誰かに刺さってくれたらきっと同時に自分も救われる。
きっと僕が愛される方法はこれしかないんだ。
そうやって曲ができる。ライブができる。
誰かに良かったよ!って言われた時にようやく自分自身を認めてあげられる気がした。
なにより、その人の人生の断片に自分の曲がいてくれるのが本当に嬉しかった。
その時に音楽やってて良かったなぁ。と思ってしまう。
そのためにリズムキープもしっかりしなきゃだし、いい曲も書いてかなければならない。
最終的にどうなりたいか。
目的はあれど、まずはこの感じを手放したくないのだ。
誰かを救うには、まずは自分自身を救ってあげなきゃ。
そうしないとただの傲慢なお人よしになってしまうのかもしれませんね。
それでもまぁ。自分の救い方がわからないから右往左往してるわけで。
ともかく、自分にできることを少しずつやっていこうと思う。
またねー。
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