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最もワタシらしくない一日から考えたこと
夫の実家へ行ってきました。
同じ県内で車で30分くらいなので、わりと頻繁に遊びに行っています。
月に一回くらいは呼ばれるので、たまにめんどくさく思ってしまうのが本音でもあります。
とても友好的で優しい両親ですし、好かれているのはありがたい。
遊びに行くと、食事の用意はされており、頂きながらテレビを観ることになります。
わたしは、テレビ見ない生活歴が長いので、食べながらテレビ見る習慣がないので違和感を感じます。
音がうるさく気になってしまいますし、目に入ってくる情報があると、会話がおろそかになりがちで微妙だなと感じてしまいます。
今回は、高校野球が放送されていたので、それをみんなで観ていました。
75歳で今でも野球をやっているお義父さんなので、甲子園で熱くなっていました。
声も大きくてパワフルな人です。
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こんな感じで、新聞の切り抜きに点数まで書いてチェックしていました。
わたしは、全く野球興味ないので、観ていても面白さがよくわかりません。
ルールもザックリしかわからないので、何が起きてるのかわからない事多々あります。
その度に説明してくるんですが、イマイチ理解しきれてない感じです。
球技苦手意識がまだ抜けないようです。
子供の頃から、集団でやるスポーツが嫌いですし、勝ち負けなんて嫌だなと考えていたくらいですから。
たた、ひとつだけ観ていて面白いことがありました。
それは、選手たちのカラダと姿勢と動きですね。
たいていの選手は、姿勢がいい。
やわらかい肩甲骨や股関節、腰の動きが、しなやか。
プリッとした上がったお尻や脚力を見ると力強さを感じる。
こういうのを見てるのがワクワクうっとりしてきますね。
あの動きがすごい!と姿勢が美しい!美しい!なんてブツブツ言いながら
観てる視点違いすぎる、と突っ込まれていました。
上手な人は、カラダに適度な緩みがあるんだなと素人が見ていてもわかります。
プレッシャーや緊張はモニター越しでも伝わってきます。
言葉以上に身体は物語る
カラダの動きや姿勢は、わたしの本当に興味があるゾーンなんだなと改めて感じたのでした。
あの足腰の強さは、忍耐力や精神力を鍛えられるだろう
野球に限らず、スポーツを極めている人は精神力も高い。
昔、何かの女性誌を読んでいて、「結婚は野球やってた人がおすすめ」と、その理由についても書いてありました。
内容ははっきりとは覚えていませんが、精神力と忍耐力があるから、お付き合いが続き、いいお父さんになるみたいな内容だったと思います。
意図したわけではないですが、わたしは野球をやっていた人と結婚しました。
確かに忍耐力はあるとは感じます。
それに、スーパーポジティブで驚きます。
不思議なのは、私は野球をやっていた人に好かれるという事です。
たまたまかもしれませんが、また野球ですか?と、恋愛ループしてる気持ちになります。
そして、野球をやっていた人とは長くお付き合いが続いたなと、ふと気がついたのでした。
忍耐力があるからか、私のわがままもスルーできるのでしょうか。
月一回の生理前のデビルな感じでも、適当にかわすことができるくらい受け流しができる。
他人に影響されない強めのメンタルを持ってる気がします。
野球をやっていた人達は、どことなく考え方や雰囲気が似ている気がします。
明るい、素直、誠実、行動力がある
ざっくり表現すると、こんな感じでしょうか
私が付き合ってきた狭い範囲での話ではありますが。
逆に、出会ったことがない職業や趣味の人と仲良くなった場合、私との化学反応はどんなものなのだろうか?
なんて、恋愛妄想をしてしまいます。
良くも悪くも、付き合っている人からの影響は大きいです。
自分とあまりにもかけ離れている波動やエネルギーの人とは、出会ったとしても縁としてつながらないだろう。
そう思うと、今縁のある人達は、私と同じ波動。
周りや相手を変えたいと思うより、自分の波動をぐんぐんとあげていきたいと思うのでした。
結婚して学んだことは、
他人や周りの人に期待をしないということ。
こうして欲しかったなと期待することで、勝手に悲しくなったりイライラしてりしてしまうんです。
また、男性はこうしてくれるものだ、みたいな勝手な思い込みもだいぶ減りました。
例えば、男性は運転が上手くないとダメ、私より稼いでないとダメ、ご馳走してくれないとダメ、愚痴を言うのはダメ、週に一回仲良しをするものだ…、
こんな感じです。
自分の内側ではたくさん、こうだったらいいな、がありました。
男性に対する要求やジャッジが、かなり大きかったと思います。自分を棚に上げて。
最近は、男性にいい意味で期待をしないと言葉に決めた時には、イライラ度合いがかなり減りました。
男性に限らず、他人に要求することは良いこと一つもありません。
たとえば、お店で愛想が悪い店員さんに当たった場合。
接客は愛想がよいのが当たり前、感じよく扱われたい。
そうじゃなかった場合、イライラしたり大切に扱われてないような気持ちになる。
そんなふうに感じてしまうのは、周りに期待し過ぎているからです。
逆に、イライラしたときは、わたしはこうして欲しかったんだ…、こういうふうに言われたいと思ってたんだ…、と気がつくことができます。
そういう気づきのポイントをくれるだけなんだなって言葉にしてみることで、感情的にニュートラルになっていきます。
誰かと関わるということは、自分を知ることでもありますね。
わたしは、基本的には他人にあまり興味がないですし、自分大好き人間です。
それが、うわー!この人すごいな、面白いな、知りたいな、のモードに入ると凄いことになる。
そうすると、今まではしなかったことをやれるようになった考えたりできるようになる。
よい意味で、相手と共振するのも得意です。
結婚したから夫だけの世界だけというのは、個人的にはつまらない世界だなと感じます。
そもそも、どこからが恋愛なのか。
妄想は恋愛じゃないのか。
目があってときめいた瞬間は、恋愛じゃないのか。
というより、結婚して恋愛的感情を持つことへの罪の意識ってなんだろうか?
結婚制度に疑問を持ち始めた私としては、男女愛についてはこれからのテーマでもあります。
そんなようなことも書いていきたいなと思っています。