空に募らすこの想い
あの方はこう言っていた。
「旅客機って我々の手を離れたら
半世紀近く世界中の空を飛び続けるんです。
国境超えて人々の夢とか希望まで乗せて」
ボーイング787の開発に
協力会社の一員として参画し
航空機設計の花形ともいうべき
主翼部分で主体となられていた方。
旧MRJでも機首や内部の天井について
その秘めたる想いを打ち明けてくれた。
「この尖った部分
何をイメージしたと思います?
そう、手裏剣」
「機内に入った人々が見上げると
ほら、文様の富士山が待っているんですよ」
途方も無い量の部品点数を
そのひとモデルの為に。
安心安全を第一にしながら
耐久性やコスト、燃費も考慮しつつ
ミリ単位で設計する作業はとてつもない仕事量。
だからこそ彼らのように
設計技術だけでなく
人間性も問われる現場だった。
我らも加わり
前例のない育成手法が求められた。
彼らが独自で編み出した
特殊な設計理念のみならず
ものづくりの想いや願いも
継承する為に。
かつては零戦も設計され
宮崎駿さんの映画「風立ちぬ」にも登場した
東名古屋港の通称「時計台」。
そして最先端の技術有する
データセンターも連携して。
陽の当たらない場所での
あの名もなき人々の挑戦を
自分は失敗だとは思わない。
50年もかけて社会に貢献するものに対して
10年そこらで完璧を求めてしまう世の中の失敗だと思う。
この時計台や
県営名古屋空港隣のあの場所へも
いつか必ず我が子を連れて。
その物語を伝える為に。
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