「視座」と「本質」
※ 画像: 先日ブルーノートに行ってきました。JOEY ALEXANDER、最高すぎ
視座
「視座が高い/低い」など、高低で語られることが多そうですが、辞書を引くと単なる視点や座標みたいに言われてるんですね。新発見。
高低で語ることもできたり、多次元的であったりするのでしょう。たぶん。
以下の記事でも色々な軸でプロットしているようです。
「視座」のことを厳密には理解できてない自分ですが、ヒューマンマネジメントや採用のときにはかなり意識しています。
採用時は、「視座が高いかどうか」を見るようにしています。
考え方が自分本位で閉じてないか、チームや会社全体、社会の状況など、幅広い部分を考えたうえで選択できているか、など。
ヒューマンマネジメントをするときは、メンバーの視座を上げるようにコーチングやタスクアサインなどをします。
隣接領域に挑戦してもらったり、他のチームと関わってもらったりなども行います。
なぜ「視座の高さ」を重視するのか。以下のようなメリットがあるからです。
全体の方向性と合致した効率の良い動きができる
自分自身の動き方を自分で決められるようになる
他人の置かれてる状況を理解し、衝突しにくくなる
マネージャーやテックリードなどのキャリアプランを設計しやすくなる
社会で働く上で、おおよそ視座が高いほうが有利なケースが多いと思います。なので、基本的には、視座を高める方向のマネジメントをしています。(もちろん人によりますが)
本質とは
「視座」と並んで、最近自分が気になっている言葉です。
「本質」という言葉を使うパターンは、「自分が本当に本質だと思っているため」か、「周りが本質的であると感じている思考に寄り添うため」に二分されると思います。
前者であれば、場合によっては慎重になった方が良いかもしれません。
その文脈で使う「本質」は、「今の自分の視座から見た本質」の可能性があるからです。
視座が高い場合は問題ないケースも多いと思いますが、視座が低い場合だと部分最適解を導いていることもあります。
例えば、「この対応では本質的な解決につながらない」とエンジニアの視座から言ったとしても、「ユーザーの心情に寄り添っているため本質的な対応である」とPdMは思っているかもしれません。
このように、「本質」は、見ている視点で変わります。
個人的に、「本質」は「そもそも定義できずあり得ない」ものだと思っています。もしくは、「閉じた系の中での条件付きの最適解」です。
そこを自覚した上で使ったほうが良い、注意すべきワードと考えています。
普段からどんな視座でものを語っているか。
まずは自分を知るのが重要かもしれません。
自分も、改めて見返してみようと思います。
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