【言語学】関西おばさん「明日のパン」の謎は深かった
大阪のおばちゃんは「明日のパン」が口癖らしい。
「これ焼きたてやねん」
ホカホカのパンを携えてレジを済ませたおばちゃんがカメラに映る
「今日食べるんですよね?」
「いやこれ明日のパン」
久しぶりに吹いた。
方言って、面白いですよね。
自分が通っている大学でも、頭からつま先まで、津々浦々から来た馴染みのない方言がそこかしこで聞こえてきます。
自分は純正の関西弁で、博多弁推しです。
関西弁って、語気が強くて怒ってるように聞こえるとよく言われますが、それ以上に「汚い」イメージがあるんです。
やんなぁ〜?
やろやろ?
せやねんな〜
自分もしょっちゅう使うことばですが、なんかきたなくないですか?
どこが汚いのか聞かれても答えられないし、言語化する気もないんですが、
どうやら、この関西弁にうっとりする人もいるらしく。世界は広い。
されば、「ごめんやで」と言われたときに胸キュンしたとか、その日は余韻に入り浸ったとか、んなもんなんぼでも言ったるわ
国学者で有名な柳田國男先生、かの御方はかつて「蝸牛考🐌」と題した大規模な方言調査をおこなっております。
その名の通り、「カタツムリ」の方言分布を調べたもので、地域によっては「ナメクジ」(東北や九州)、「マイマイ」(中部や中国)などさまざまな呼び名があることがわかりました。
導き出された分布図より、どうやらカタツムリの方言は、京都(かつての都)を中心に同心円上に広がっていることが明らかになりました。
京都が方言の発生源とすると、そこから地方へと人が流れて行ったとき、方言のアップデートは行われずに従来の言い回しが各地に分散するようになります。
「服のお下がり」をイメージすると分かりやすいです。京都は「長男」、関東・四国あたりが「次男」としますと、東北・九州は「末っ子」にあたります。
さて、長男は常に新品の服を着れるわけですが、時間が経つとやがて次男のものになり、末っ子へと回されます。
長男は常に新しい服(方言)を使い、次男から末っ子のもとへ渡るときはお古になってるわけです。
京都やその付近の近畿地方の方言は「新しい」方言で、そこから離れていくほど「古い」方言が使われているということです。
あくまで蝸牛「考」ですけども。
ではここでスケールアップして、「言語の広がり」はどうでしょうか!
「言語」というものがそもそも、いつ、どこで、どのように広がったか、という根本命題は未だはっきりとしたところは分かっておらず、推測の域を出ていないようです。
しかし、古〜いふる〜い文献を参照すると、例えば「雪」に相当する単語が見つかれば、その言語を使用していた集団は熱帯には住んでいなかったことがわかります。
そんな感じで、言語の変遷から、かつての文化、生活を読み取ることも、一定の範囲内であればできるわけです。
閑話休題、では言語はどのように広がったかという問いには、なんと蝸牛考と同じく「中心から広がった」という答えが出されているのです!
これは波動説 wave theory と言われるものでして、19世紀末のドイツ人学者ヨハネス・シュミレット氏によって提唱されている学説です。
「言語変化は、ある中心的な言語もしくは方言からちょうど波紋のように広がっていく」というのがその言わんとしているところです。
そしてまあ、これとは別に、地理的な音声変化というのもありまして、とかく言語も方言も、ある特定の場所から派生していく動きは変わらないのかもしれません。
みなさんが毎日のように耳にする「英語」も、かつてはゲルマン語という一つの言語のいち方言に過ぎなかった
それが侵略の歴史、そして言語同士の融合、新たなことばの形成によって…
あぁ例えるならこれは……恋
兎にも角にもですよ、一抹の泡沫言語だって、その気になれば世界共通語と叫ばれるまでに他を圧倒することができるときた、
「明日のパン」が日本を席捲する。
そんな明日も夢ではない…
しらんけど